【Bリーグ10年目の開幕】宇都宮ブレックスがリーグ屈指のビッグクラブとして放つ異彩のフランチャイズカラー 礎は「草の根」活動

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2025年10月02日 10:10  webスポルティーバ

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前編:ビッグクラブの足跡/宇都宮ブレックス

10月3日にB1の2025-26シーズンが開幕するBリーグ。創設から10年目という節目のシーズンを迎えるなか、これまでの過程でビッグクラブに変貌を遂げてきたチームのひとつが宇都宮ブレックスだ。

CSファイナル進出4回、優勝回数は史上最多の3度を誇る実績はもとより、ブレックスが宇都宮という北関東の地方都市で根強く受け入れられ、さらにはその域を超えて全国に名を馳せるチームになった理由は? Bリーグのトップランナーでも異彩を放つこれまでの歩みについて、球団社長を務める藤本光正氏の言葉を交えながら考察する。

【原点はあくまで「草の根」の展開】

 アリーナが黄色く染まる。空気は完全に彼らのものだ。

 2024-25シーズンのチャンピオンシップ(CS)。レギュラーシーズン全体1位の勝率(80.0%/48勝12敗)を挙げた宇都宮ブレックスはクォーターファイナルとセミファイナルを、日環アリーナ栃木で戦った。

 6200人ほどを腹いっぱい飲み込んだ会場は、圧倒的なまでに宇都宮を勝者とする舞台となっていた。進撃を続けた宇都宮はファイナルを制し、Bリーグ史上単独最多となる3度目の優勝を遂げた。

 2023年のFIBAワールドカップでの日本代表の活躍などに後押しされ、Bリーグの人気は加速度を増してきた。人口の多い都市圏だけでなく、地方都市を本拠とするチームに対する支持も膨らんできた。

 そのなかでも、宇都宮というチームの立ち位置は別格だ。多くの人たちが目を見張る存在であり続ける。

 全国的な巨大企業が本社を置くわけでもない栃木県で、宇都宮を日本バスケットボール界屈指の人気チームへとするのに近道はなかった。選挙活動のように直接、地元の人たちに語りかけながら握手をしたり、地域貢献活動をするといった草の根の営みによっていまがある――。球団社長を務める藤本光正氏はそう述べる。

「当時の社長だった山谷(拓志、現ラグビー・リーグワン 静岡ブルーレブズ代表取締役社長)さんは『とにかく地上戦』という言葉を最初からずっと使っていました。選挙活動と一緒で、ひとりでも多くの人たちと接点を持って、どれだけ握手をするかということです」

 いわば足で人気を獲得してきた宇都宮が、日本プロバスケットボール界屈指のビッグクラブとなったことは数字も証明している。9月中旬、宇都宮は2024-25シーズンの売上高が31億9600万円となったことを発表した。チケットの売上は10億円を超え、前年度から32%という大幅な伸びとなった。ポストシーズンをホームで開催したことや、シーズン後にFIBAアジアチャンピオンズカップで優勝した賞金が入ってきたことなども、増収に寄与した。

「地方」ではあるが東京からの距離がそう遠くなく、大手のメディアにも取材してもらいやすい。また、NBAに挑戦していた田臥勇太や、やはり日本を代表するスター選手、比江島慎を獲得し、常勝チームたる地位を確固たるものとしつつ、幾度も優勝杯を手にしてきたことは、もちろん全国的な人気と知名度を得る大きな原動力となってきた。

 チームの編成力もまた、球団の実力である。だが、藤本氏はそういったスター選手の獲得やそれによる優勝といったものを人気拡大の「外的な要因」、「運」に分類した。先述したワールドカップの盛り上がりや映画『THE FIRST SLAM DUNK』のヒットが日本のバスケットボール界の追い風となったことについても同様だ。決して自分たちだけの力で人気を得てきたわけではないとでもするような、殊勝な物言いに聞こえた。

 原点はあくまで「草の根」の活動であり、Bリーグ時代に入ってSNSの発達やメディアの露出が増えても、「そこを緩めなかった」ことで継続的な人気を獲得してこられたと、藤本氏は自負をにじませた口調で言う。

【人気の背景にあるブレックスの特異性】

 現在の宇都宮は、もはや栃木という一地域の枠に収まらない、全国的な人気を有するチームとなった。同時に彼らは「勝利を義務づけられたチーム」にもなった。つまり宇都宮は、競技面でも商業面でも永続的な成功を広く日本中から期待されるチームとなったのである。藤本氏が「外的要因」を強調したのには、そんなところに理由が求められるのかもしれない。

 藤本氏もいい選手を獲った、優勝をした、というだけでは「継続性のある成長にはつながらない」と言う。スター選手を契約しても勝てないという例は、国内外にいくらでもある。そうしたチームは往々にして地域、ファンと球団フロントとチームが同じベクトルを向いていない。「勝ちたい」という切なる思いが結集しない。

「ぽっと出で優勝するとか、いい選手が来たからというだけでは継続性のある成長にはつながりません。そのふたつ(草の根の活動と外的な要因)をしっかりとやって、土台を築いたうえに、そういった運の要素で勝ち得たものも加わって、こういう(売上増や優勝)結果になっているのかなと思います」(藤本氏)

 宇都宮はまた、選手が変わらない。今シーズンなどは前年在籍した12名のすべてが残留をしている。よそへ移籍した選手はゼロ。チームによってはシーズンが変わるとロスターの半分以上が新規選手になるようなところもあるなど、Bリーグでは選手が絶え間なく着るジャージーを変えていく。だからこそ、中核の選手たちが長年在籍し続ける宇都宮は異質に映る。

 宇都宮のファンにとっては、大半の選手が顔なじみとなる。購入した選手のジャージーは何年にもわたって使い続けることができる。選手たちは派手なプレーだけでなく、味方のために自己犠牲を払う「ブレックスメンタリティ」を体現し、それが他とは一線を画す彼らの個性になっている。そしてだからこそ、ファンを惹きつける。ファンはより熱狂的になる。

「場合によっては他のチームに行ったほうがプレータイムが長くなるとか、もしかしたら、より高い給料をもらえる選手もいるのでしょうけど、それでもここに残りたいと思ってもらえるようなチームの風土やカルチャーが、彼らが残ってくれていることに貢献しているのかなと思います」

 藤本氏は、そう語る。お金などの条件や環境だけでなく、ブレックスのジャージーを着続けて黄色く染まるアリーナで戦い続けながら勝利を目指すことの価値に、選手たちは代えがたいものを見出しているのかもしれない。

【約20年の歴史で紡いできたもの】

 2026-27からはリーグが再編され、トップカテゴリーは「Bプレミア」として始動する。BリーグがNBAに次ぐ世界第2位のリーグを目指すなか、盟主のひとつである宇都宮も「継続性のある成長」を続けていかねばならない。宇都宮は売上30億円を突破した4つ目の球団だが、その数字は通過点だ。

 ただ、現状使用するブレックスアリーナ宇都宮や日環アリーナ栃木での試合はすでに満員が続いている。全国に多くのアリーナが建設されるなかで、宇都宮にも大きく、モニュメンタルな「箱」が必要となる。

「インパクトを大きく出せる成長はアリーナが手に入らないと難しい」と藤本氏は言う。建設費や人件費の高騰などの影響で新アリーナについての発表は遅れてはいるものの、球団としては「必ず実現させる」(藤本氏)方向で動いているという。

 2009-10シーズン。当時、リンク栃木ブレックスの名で戦っていたチームは創部3年目、JBLに昇格してわずか2年目にしてリーグ制覇を遂げた。ファイナルの舞台は中立地、代々木第二体育館。観客席は――もちろん今と比べると規模はずっと小さかったように感じられはするものの――多くのブレックスファンによって埋められていた。常勝は早くから始まっていた。

 だからといっていまの、Bリーグでの隆盛が想像できたか。優勝した2009-10シーズンですらまだ球団の売上は5億9000万円ほどでしかなかった。チームの創設から籍を置いている藤本氏は「こんな規模になるようなイメージはまったく持っていなかった」と振り返る。

 会場に入れば、そこには黄色の海が広がる。プレーオフのような大舞台となればなおさら、その波のうねりは大きくなる。約20年の歴史のなかで紡いできたことの成果が、その光景だ。

 リーグ屈指のビッグクラブとなっても、その光景はほかのどのチームが作り出すものとは違っていて、異彩を放つ。

つづく

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