
10月4日の最終戦をもって、ヤクルトの2025年シーズンは終わりを告げます。毎年、この季節になるとチームを去る選手が出てきますが、私の中で最も大きなニュースだったのは川端慎吾選手の引退です。
天才的なバットコントロールで、14年ぶりにリーグ優勝を果たした2015年には、首位打者と最多安打のタイトルを獲得。同年は山田哲人選手が本塁打王、畠山和洋選手が打点王に輝きましたが、川端選手もチームの中心選手でした。
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当時、打順は2番で固定されていましたね。2番にいいバッターを置くことは、今やプロ野球でも当たり前になりましが、当時の対戦チームは「2番・川端」を脅威に感じていたでしょう。
後年はケガの影響もあって出場機会を減らし、代打での起用も増えましたが、「代打の神様」という呼び名が定着するほどの活躍を見せてくれました。思い出に残るプレーは数え切れませんが、ひとつ挙げるならば2021年の日本シリーズ第6戦、20年ぶりの日本一を決めた代打決勝タイムリーですかね。
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野球に"たられば"は無粋ですが、川端選手の最大の敵はケガでした。ヘルニアさえなければ、間違いなく2000本安打を達成していたでしょう。
ただ今年は、万全の体調でシーズンを迎えたと聞きます。戸田球場にファームの試合を見に行った際も、率先してケージを運び、ノックを受けていました。これまで苦しんできたケガから解放され、健康な状態で野球ができるという喜びも感じました。
それだけに、ファンとしては「もっとプレーが見たかった」というのが正直なところですが......引退会見では自らの衰えも自覚していたとおっしゃっていましたけど、引退という苦渋の決断は、チームにとってもつらかったでしょうね。
周囲の方たちが口を揃えて言うのは、「川端選手はやさしくて、厳しい」ということ。若かりし時の山田選手をはじめ、多くの選手に対して兄のように優しく接しながらも、練習に関してはとにかく厳しい。
それを貫いた根底には「野球は謙虚にやりなさい」という高校時代の恩師の教えがあったそうです。厳しい練習を自他に課すことで知られ、それが若手の成長につながりました。今年は戸田球場で過ごす時間が長かったですが、そこで若手に残したものも大きいはずです。
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引退会見で、自主トレを共にする後輩たちがサプライズで顔を出した時に、思わず涙を流した姿も印象的でしたね。自分自身はもちろん、若手の成長を心から願った川端選手らしいひと幕でした。
川端選手との個人的な思い出は、高津臣吾監督の取材で宮崎県・西都市のキャンプにお邪魔した際、遠くから爽やかな笑顔で会釈してくれたことを覚えています。2月の寒い宮崎に、春のようなさわやかな風が吹きました(笑)。
神宮最終戦は仕事が重なって見られそうになかったので、練習している姿を目に焼き付けるために球場に行きました。そこにはやはり、颯爽とサードでノックを受ける姿が。それがもう見られなくなると思ったら、涙が止まりませんでした。
昨年に引退した青木宣親さんもそうでしたが、私が小学生の頃から見ていた世代の選手が引退する喪失感はとてつもなく大きいです。川端選手が活躍する姿、苦しむ姿も見てきたファンの中には、自分の人生と重ねていた方も多いんじゃないかと思います。球団はコーチのポストを用意しているとのことですが、さまざまな経験を積んできた川端選手は間違いなくいい指導者になるでしょう。
最後にひと言。これまで、本当にありがとうございました。それだと当たり前だからもうひとつ言わせてください。今までも、これからも大好きです!
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構成/キンマサタカ 撮影/栗山秀作