
MLBの各球団はメジャーリーグを頂点に、七、八軍相当のマイナーリーグで構成される。その最下層にあるのがドミニカ共和国のアカデミーだ。おもに中南米の16歳から20代前半の選手が所属し、メジャーリーガーを目指している。野球選手の誰もが夢見る舞台に到達できる可能性は、2%程度と言われる。
昨年その舞台に飛び込んだのが、2023年限りで広島の育成契約が終わり、翌年5月にマイアミ・マーリンズとマイナー契約した右腕・中村来生(らいせい)だ。
【最初は本当に怖かった】
「(どれくらいで慣れたか?)正直、去年の3カ月では無理でした(苦笑)。今年はスケジュールもわかって動きやすくなり、毎日楽しく過ごしています」
多くの報道がされるメジャーリーグに対し、マイナーリーグは日本人にとって知られざる世界だ。特にドミニカのアカデミーと言われるカテゴリーは、実情を知る機会がなかなかない。
「最初は本当に怖かったです。選手たちはデカいし。でも、みんな年下でした(笑)」
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今季マーリンズのアカデミーには73人が在籍。16歳から20代前半のラテン系アメリカ人が中心で、22歳の中村は唯一のアジア出身だった。
中南米選手が大きいというイメージは、ドミニカから来日したフランミル・レイエス(日本ハム)が196センチ、135キロ、同郷のサンドロ・ファビアン(広島)が180センチ、81キロという点からも湧きやすいだろう。
じつは19歳時点の男性の平均身長を見ると、ドミニカ人は174.65センチに対し、日本人は172.06センチと大差ない(「WORLD POPULATION REVIEW」HPより)。
実際ドミニカで「プログラマ(英語で「プログラム」の意味)」と言われる、MLB球団との契約を目指す選手の育成機関(中学生から高校生年代)を訪ねると、上記プロ選手のように大柄ではない。縦に大きい少年はいてもガリガリで、日本人と大差ないのだ。
それがMLBアカデミーと16歳や17歳で契約後、みるみる大きくなっていく。中村自身にも同じ現象が起きた。昨年ドミニカに渡った時点で83キロだったが、今年7月には91キロに。広島時代は身長190センチ、71キロと長身痩躯だったが、当時から20キロも増量したのだ。
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「体重もめちゃくちゃ上がっていますけど、トレーニングで扱う重量が去年と全然違います。(おもりの)プレートが2、3個増えているので、明らかにウエイトの質も上がっていますし、フィジカル面の強さも去年と全然違うと思います」
【休むことも練習のひとつ】
ドミニカのアカデミーでまず着手されるのが肉体改造だ。ウエイトトレーニング、栄養、休養のサイクルをうまく回しながら、筋肉量を増やしていく。
マーリンズの場合、トレーニングは週に5回が基本だ。ドミニカでは日曜は家族で過ごす時間とされ、6月から8月に開催されるサマーリーグ(全72試合)の試合もオフになる。
中村がトレーニングについて説明する。
「内容は登板によっても変わりますが、投げた日は重量を扱うトレーニングが多いです。登板日の前までは瞬発系を入れるようにトレーナーさんが考えてくれて、しっかりメニューを組んでもらっています」
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練習は朝から行ない、午前中で終わる。マーリンズでは昨年、キャッチボールのみで終わる日もあったという。筆者が今年レンジャーズのアカデミーを訪れると、10分程度のキャッチボールのみで全体練習を切り上げる投手もいた。
なぜなら、体を大きくするには休養が大切になるからだ。中村がドミニカに来て特に変わったのは、オフの日の過ごし方だ。
「日本では休みの日もトレーニングをしたり、ボールを投げたりしていました。周りにそうしている人もいっぱいいたので。流されていたわけではないですけど、一番下の育成で『なに休んでんだ?』みたいな目で見られるのも嫌だったので......」
それが昨年ドミニカに渡って以来、価値観が180度変わった。
「こっちの休みにやるのはストレッチくらいです。ドミニカでは『休め』と言われるので、誰も体を動かしていません。逆に動いていたら、『何してんだ?』という目で見られます。しっかり1日休むだけで、次の日の体の状態が全然違います。休むことも練習のひとつだと思いました」
中村は広島時代、「回復が追いつかなかった」と振り返る。腰が痛くて投げられない時期もあったという。だが、昨年5月にドミニカに来て以来、コンディションが大きく改善された。
【肉体改造により成績が飛躍的に向上】
一方、野球の練習は今季大きく変わった。昨年からコーチングスタッフが一新され、方針も見直されたからだ。
「今年はしっかりアップをして、キャッチボール、そのあとに的を狙うネットスローは球数制限されながらも、しっかりする。投内連携も時々あります。今年は実戦に近い練習がすごく多く、練習の質がすごく高いと思います」
マーリンズはエウリー・ペレスやエドワード・カブレラを台頭させるなど、投手育成に長けた球団だ。中村はサマーリーグでリリーフ登板をしながら、投げる能力も磨いてきた。
「ブルペンには週1〜2回入り、投げるのは15球から多くても30球ほどです。1週間のなかでうまくバランスをとりながら調整しています。強度を高くした日は、翌日は少し抑えるといった具合です。重いプライオボールを投げる日もあれば、軽いボールを使う日もある。体への負担を考えてしっかり制限してもらっているので、ケガなく続けられています。最初はこのやり方に慣れませんでしたが、今ではこのくらいのほうが回復もスムーズで、次の登板に向けていいパフォーマンスを発揮できています」
ドミニカのアカデミーは若手を養成する期間だ。いかにして上のカテゴリーに選手たちを送り込むか。極端に言えば、それができなければ球団にとって価値は生まれない。
だからこそ、栄養面も充実している。食事は米とチキンや豚肉、豆という、いわゆるラテン系アメリカ人の好物が中心で、炭水化物とタンパク質を十分に摂取する。中村は「正直飽きている(苦笑)」と言うが、栄養補給も本業の一環と捉えている。
「大豆が苦手であまり摂れていませんが、サプリもプロテインもしっかり全部揃っています。それらをしっかり摂取すれば、体は大きくなっていますね。逆に日本では(球団の用意は)なかったので、プロテインは自分で買っていました。日本にいた時と、タンパク質を摂取する量は全然違うと思います」
そうして肉体的に鍛えられ、ドミニカ2年目の今季は成績が改善された。
2024年 11試合(12.2イニング)/防御率14.21/与四球14/奪三振9
2025年 12試合(18.2イニング)/防御率4.82/与四球12/奪三振17
【サイドスローに転向した理由】
じつは、成績改善の大きな要因はもうひとつある。今季開幕前、オーバースローからサイドスローに変えたのだ。その裏には、アカデミーならではの事情がある。中村が説明する。
「こちらでは、10代で99〜100マイル(約159〜161キロ)を投げる選手がたくさんいます。22歳の僕が147キロ程度だと見劣りするので、コーチと相談して腕の位置を下げ、クセのある投げ方に取り組んでいます。求められているのは"1球でもえぐいボール"。それをつくっていきたいと思っています。まだ始めて2カ月ほどで完成度はまだまだですが、上から投げたほうが球速は出るものの、打者の反応を見ていると、今年のフォームのほうが打ちにくそうに感じます」
制球面も改善中だが、右打者にスライダーがうまく決まると、腰を引けたような反応を見せる。MLBの世界で上を目指すには、周囲とは異なる武器が不可欠だ。
「年齢的にも、来年はアメリカにいないといけないと思うので、悔いなくやるしかないですね。コーチ、スタッフの反応は悪くないと思うので、どんどんストライクゾーンに強い球を投げることができれば可能性はあると思います」
昨年ドミニカに飛び込んだ当初は「怖い」と感じたが、話してみるとみんな人懐っこく、やさしいチームメイトばかりだった。会話は英語とスペイン語を片言で話すくらいだが、こっちの選手たちは誰に対しても「表裏」がなく、心からフレンドリーに接してくれる。ドミニカに来てよかったと、中村は心の底から感じている。
「腕の位置を下げるのは初めてですし、新しいことに取り組めています。いろいろ引き出しが増えたし、新しいことに挑戦することで上から投げていた頃とは違う感覚もある。これから野球をするうえでもプラスになると思います。
野球以外だと、みんなうるさいし、寮でも片付けないから汚いけど、そういうことにも慣れました。いつか日本に帰った時、ちょっとしんどいことでも乗り越えられると思います(笑)」
恵まれた環境ばかりではない。結果を残さなければ、いつクビになっても不思議ではない世界だ。
「キャンプ中に切られていなくなる選手もいっぱいいました。本当に1日1日が勝負。今日ダメで、明日切られることもあると思うので。そういう意味で、日本にいた頃と違って、いい意味で吹っ切れています。そこはいい方向に進んでいるのかなと思います」
今いるのは、MLBの一番下の世界だ。ここから、どこまで上がって行けるか。ドミニカで2シーズンを過ごし、たくましさを増した中村は上だけを見据えている。