AWSの姿勢に変化? 業種別事業戦略で「理念」を語る意味を考察

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2025年10月16日 07:10  ITmediaエンタープライズ

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AWSジャパンの堤浩幸氏(常務執行役員 エンタープライズ事業統括本部長)(筆者撮影)

 ITベンダーは自社の製品やサービスの価値をアピールするため、業種別の顧客の活用事例とはじめとしたユースケースの公表に注力している。とりわけ、最近では業務効率化や生産性向上だけでなく、新たなイノベーションへの期待も大きいAIの活用事例について、ベンダー各社は業種別事業展開のアピール合戦を繰り広げている。


AWSの姿勢に変化? 業種別事業戦略で「理念」を語る意味を考察


●AWSの記者説明会から見えた「2つの注目ポイント」


 そんな中、Amazon Web Services(AWS)の日本法人アマゾン ウェブ サービス ジャパン(AWSジャパン)が、2025年10月6日にメディア・エンターテインメント、同年10月7日にヘルスケア・ライフサイエンス(医療・製薬)、同年10月9日に金融と、3業種の事業戦略および最新動向について、ユーザー向けイベントと記者説明会を都内で続けて開催した。そこで、AWSの業種別事業展開のアピールの仕方に新たな意図を感じたので、今回はその話題について考察したい。


 筆者は3つのうちヘルスケア・ライフサイエンスと金融の会見に出席した。新たな意図を感じたのはヘルスケア・ライフサイエンス向けの会見だ。AWSジャパンの堤浩幸氏(常務執行役員 エンタープライズ事業統括本部長)が説明した同業種の戦略の話から2つの注目ポイントを挙げる。


 一つは、AWSの親会社であるAmazon.com(以下、Amazon)のビジネスモデルだ。堤氏は図1を示しながら、次のように述べた。


 「この図はAmazonのビジネスモデルのベースとなっている『フライホイール効果』を示したものだ。当社はリテールから始まったことで、お客さまの体験を重視し、お客さまのイノベーションを長期的に支援し、共に創造して実践することをモットーとして日々活動している」


 図1は、Amazon創業者のジェフ・ベゾス氏が、創業のきっかけとなった事業成長の原動力となる好循環を示したものだ。既に多くの読者も見たことがあるだろうが、今回の話題のキーポイントなので、改めて要点を説明しよう。


 「フライホイール」とは、エネルギーを蓄え、回転運動を安定させるための円盤状の部品のことだ。Amazonの場合、うまく回り始めれば、後は回転が持続するという意味で「Amazonフライホイール効果」と呼ばれている。


 図1の好循環は、まず低コスト構造でビジネスを始めることで商品の低価格化を実現し、顧客の満足度を高める(顧客体験向上)。満足な買い物ができた顧客はリピーターになる可能性が高いので、全体として取引量が増える。すると、参入する売り手が増えるので品揃えが充実する。結果的に、顧客満足度はさらに高まる。後は「取引増→売り手増→品揃え増→顧客体験向上」が循環して回り続けることを意味している。


 この好循環をヘルスケア・ライフサイエンス業界に応用するとどうなるか。図2がそれを示したものだ。


 流れとしては、生活者・患者体験を起点にクラウド利用拡大とAWS顧客へのエンゲージメントを深化させ、業界に特化したしたサービス・ソリューション・人材育成を提供することにより、患者サービスの充実を図る。すると、より多くの医療データ・患者データを活用できるようになり、新しい医療サービスや個別化医療を設計できるようになる。そうすれば、多くのステークホルダーが参画するようになり、患者サービスが充実するといった具合だ。


●AWSが示した業種別事業戦略の新たなアピールの仕方


 もう一つは、2030年に向けて業種別に掲げた戦略的ビジョンだ。堤氏は図3を示しながら、AWSのヘルスケア・ライフサイエンス業界における戦略的ビジョン「Journey for 2030」について、「基本的な考え方としては、革新的な患者体験の実現に向けた戦略をパートナーやユーザーの皆さんと共に進めることだ」と強調した。


 同氏の説明によると、その戦略は縦と横のそれぞれのつながりからなる。縦のつながりは「一人の患者をミクロからマクロまでシームレスにデータでつなぐ」ことで、分子や細胞などが該当する。一方、横のつながりは「異なる組織や機関の間のデータをつなげて患者や疾患の横断的な理解を得る」ことで、電子カルテデータやPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)などが該当する。


 その上で、同氏は「この縦と横がしっかりとつながることによって、この業界でさらに大きなイノベーションが起こると考えている」との見方を示した。


 そして、「そうしたこの業界の取り組みに対し、AWSは4つの価値を提供できる」として図3の下段に記されているように、テクノロジー基盤として「つないで広げる」(データ連携/統合)と「賢く支える」(生成AI/業務支援)、DX(デジタルトランスフォーメーション)推進体制として「安全に使う」(セキュアな利活用)と「共に進める」(共創と人材育成)を挙げた。この4つの価値の内容については、図4をご覧いただきたい。


 2030年に向けた戦略ビジョンについては、金融向けの会見でも掲げられていた。AWSの金融向けの戦略について説明したAWSジャパンの飯田哲夫氏(金融事業開発本部 本部長)によると、「Vision 2030」はこれまで同社が展開してきた金融向け事業戦略の発展形として位置付け、顧客の事業課題に着目して「戦略領域への投資拡大」「新規ビジネスの迅速な立ち上げ」「イノベーション人財の育成」「レジリエンシーのさらなる強化」の4つの取り組みを支援している(図5)。


 この4つの取り組みの内容については、図6をご覧いただきたい。


 ヘルスケア・ライフサイエンス向けの会見において、Amazonフライホイール効果の応用展開と、2030年に向けた戦略的ビジョンの2つに着目したのは、これまでのAWSの業種別事業展開の説明の中で初めて聞いたアピールの仕方だったからだ。


 Amazonフライホイール効果については、Amazonのユニークな経緯とサクセスストーリーの原点との印象が強い。その基本的な意味を踏まえながらヘルスケア・ライフサイエンス向けに応用した意図はどこにあるのか。


 また、2030年に向けた戦略的ビジョンについては、早くから掲げてきた金融向け事業では今のところ「Vision 2030」へ向けた取り組みとして説明されている。一方、ヘルスケア・ライフサイエンス向けではJourney for 2030と銘打って業界ごとの課題と対策を挙げ、それに対してAWSが提供する4つの価値を明示している。


 AWSはこうしたアピールの仕方を、今後、他の業種にも展開するつもりなのではないか。そう感じたので、会見後、堤氏に聞いたところ「そのつもりだ」とのこと。その理由まではぶら下がり取材で聞けなかったが、その後、同社の関係者から「AWSのクラウドがあらゆる分野をカバーする社会インフラとしてしっかりと役目を果たしたいとの意思の表れだ」との見方を耳にした。


 なぜ、今、その意思表示をするのか。それはこれまでのクラウド事業だけでなく、AI活用という市場のゲームチェンジを起こし得る動きが出現したからだろう。Amazonフライホイール効果の応用展開については、創業精神に立ち返る姿勢を社内外に明示するためだと考えられる。Journey for 2030についても業界ごとの課題と対策を分かりやすく示し、どの業種にも共通するAWSの提供価値をベースとした「1枚の絵」に仕立て上げたところに意味があるのではないか。一方で、原点回帰を想起させるところに、「今からが創業以来の一大勝負」との緊張感も伝わってきた。


 ITベンダーの業種別事業戦略についての会見では、業種ごとの課題とその対策、ベンダーの実績について説明した後、ユースケースの紹介に時間を割くケースが多い。今回のAWSジャパンの会見でも先進の事例を幾つか知ることができたが、同社の業種別事業戦略の説明が筆者には最も印象に残った。他社もこうしたアピールの仕方をもっと工夫すればよいのではないか。それがユーザーにとっても自らを見つめ直す良い機会になるはずだ。


 ITベンダーの業種別事業戦略は、垂直展開のディテールもさることながら、水平展開で共通する理念や姿勢を語ることも非常に大事だと考える。


○著者紹介:ジャーナリスト 松岡 功


フリージャーナリストとして「ビジネス」「マネジメント」「IT/デジタル」の3分野をテーマに、複数のメディアで多様な見方を提供する記事を執筆している。電波新聞社、日刊工業新聞社などで記者およびITビジネス系月刊誌編集長を歴任後、フリーに。主な著書に『サン・マイクロシステムズの戦略』(日刊工業新聞社、共著)、『新企業集団・NECグループ』(日本実業出版社)、『NTTドコモ リアルタイム・マネジメントへの挑戦』(日刊工業新聞社、共著)など。1957年8月生まれ、大阪府出身。



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