画像提供:マイナビニュースバーボンの聖地巡礼の旅では、バーボンフェスティバルをはじめとするイベントに参加したほか、バーボン蒸留所をたくさん見学してきました。今回は、その中から新進気鋭のクラフトバーボンの作り手、エンジェルズ・エンヴィ(Angel's Envy)蒸留所のレポートをたくさんの写真とともにお届けします。
○街の歴史に溶け込む赤レンガの蒸留所、その扉の先にあった父子の夢
ケンタッキー州で最大の都市、ルイビル――。歴史的な建造物が立ち並ぶダウンタウンの一角に、エンジェルズ・エンヴィ蒸留所はあります。2016年創業という比較的新しい蒸留所でありながら、その風格ある赤レンガの外観は、まるでずっと昔からそこにあったかのように街の風景に溶け込んでいました。
一歩足を踏み入れると、蒸留所らしからぬ洗練されたモダンな空間が広がります。この蒸留所を設立したのは、バーボン業界の伝説と称される元ブラウンフォーマン社のマスターディスティラー、リンカーン・ヘンダーソン氏です。
40年以上にわたりウッドフォードリザーブやジェントルマンジャックといった数々の名酒を世に送り出し、一度は引退した彼が、長年胸に秘めていたアイデアを実現するために再び立ち上がったのです。それは、当時のバーボンでは考えられなかった「ポートワイン樽での後熟」という革新的な試みでした。
エンジェルズ・エンヴィ蒸留所は2016年オープンですが、母体となる会社は2010年に設立され、ほかの蒸留所から原酒を調達し、「ノン・ディスティラー・プロデューサー(NDP)」として、試行錯誤を続けました。
「リンカーンは、ただ美味しいバーボンを造るだけでは満足しなかったの。誰も飲んだことのない、最高にスムースで複雑な味わいを求めて、息子のウェスと一緒に挑戦を始めたのよ」とガイドは語ります。
バーボンの熟成過程では、毎年3%〜5%のスピリッツが蒸発しますが、これは「エンジェルズ・シェア」(天使の分け前)と呼ばれています。試行錯誤の末、2012年にようやく完成したそのバーボンをテイスティングしたリンカーン氏は、感極まって「天使がねたむほどのできばえだ」と冗談で言ったそうです。これが、ブランド名の由来になっています。残念ながら、リンカーン氏はその翌年にこの世を去ってしまいましたが、彼の情熱は息子、そして孫へと受け継がれています。
歴史を学んだあとは、いよいよウイスキー造りの心臓部へと足を進めます。エンジェルズ・エンヴィのマッシュビル(原料の配合比率)は、トウモロコシ72%、ライ麦18%、そして大麦の麦芽が10%です。実は、このマッシュビルは、リンカーン氏が以前に手がけたウッドフォードリザーブと同じとのこと。伝統的なレシピを基礎にしながら、まったく新しいものを生み出そうとチャレンジしたのです。
発酵室には、巨大なステンレス製のファーメンター(発酵槽)が7基、並んでいます。各タンクの容量はなんと1万3,500ガロン(約5万1,000リットル)。さすがバーボンの本場、スケールの大きさに圧倒されます。
ここで最低でも70時間以上、一般的なバーボンよりも長い時間をかけてじっくりと発酵させることで、アルコールだけでなく、豊かな風味の元となる成分が育まれていきます。ここで作られる“もろみ”のアルコール度数は約10%です。
実は、エンジェルズ・エンヴィ蒸留所は19世紀築の元工場をリノベーションしたものです。2013年ごろの工場はほとんど崩壊していて、ルイビル市が崩れた工場を取り壊して駐車場にする計画があったそうです。しかし、それはもったいない――ということで、バーボン蒸留所として再生させました。外観のアーチ型窓や赤レンガなど、歴史的な建築要素を大切に保存しつつ、現代的な設備とデザインが融合しています。
蒸留室の光景には圧倒されます。天井まで届くほど巨大な銅製の連続式蒸留器(コラムスチル)がそびえ立っていました。発酵させて作ったもろみを上部から流し込み、下部から高温の蒸気を吹き込むことで、アルコール分が気化し、アルコール度数が約60%のローワインが作られます。
続けて、このローワインをダブラーと呼ばれる蒸留器に送り、2回目の蒸留を行います。ここで穀物由来の雑味や重たい成分が取り除かれ、より軽やかでスムースな口当たりの原酒(ホワイトドッグ)が生まれます。最終的に、アルコール度数は約70%まで高められます。この原酒は、これから長い眠りにつくため、熟成庫へと運ばれていきます。
バーボンは新樽で熟成することが義務付けられているので、まずは内側を真っ黒に焦がしたアメリカンホワイトオークの新樽に原酒を詰めます。エンジェルズ・エンヴィでは、この樽の内側を強めに焦がすだけでなく、遠赤外線でトースト加工を施すことによって、バニラのような甘い香りと、オーク由来の奥深い風味の両方を引き出す工夫がされているそうです。
エンジェルズ・エンヴィの味わいを決定づける、最も重要な工程がカスクフィニッシュと呼ばれる後熟です。熟成が終わった原酒は再び蒸留所に運び込まれ、ポートワイン樽やカリビアンラム樽で2回目の熟成を行います。カスクフィニッシュを行っていない原酒のことを、エンジェルズ・エンヴィでは製品名ではなく、「アンフィニッシュバーボン」と呼んでいるそうです。
エンジェルズ・エンヴィの主力商品はなんといっても、ルビー・ポートワインフィニッシュです。新樽で熟成したバーボンは一度樽から出され、ポルトガル産の甘口ワインを熟成していた60ガロンの古樽に移し替えられます。
そこでさらに半年ほどの時間を過ごすことによって、ベリー系の果実やドライフルーツを思わせる、甘く華やかな香りが見事に溶け合った、えもいわれぬ芳香が生まれます。これこそが、エンジェルズ・エンヴィが「天使の嫉妬」と呼ばれるゆえんです。
カスクフィニッシュ用の樽は4回使いますが、味が均一になるように、ファーストフィルからフォースフィルまで混ぜて製品に仕上げているそうです。ただし、シングルバレルという単一樽を詰めた製品については、すべてファーストフィルのものを利用しています。美味しいわけですね。
最後に、バーボンの瓶詰め工程です。蒸留所の製造工程では、熱を扱うので冷房を入れられません。しかし、この瓶詰エリアだけは、リノベーションして冷房が入っています。蒸留所で働いている他部署のスタッフは、熱くなるとみんな集まってくるそうです。
リノベーション以前は一部の工程が手作業だったのですが、今は最初から最後までボトリングを自動で行えるようになりました。そのため、以前の生産量は1日2万6,000ボトル(瓶詰め)でしたが、現在は4万ボトルまで対応できるようになったそうです。
さて、ツアーのクライマックスは、お待ちかねのテイスティングタイム! 案内されたのは、蒸留所内に併設したスタイリッシュなバーカウンターです。
まずはアンフィニッシュの状態の樽出しバーボン。カスクフィニッシュをしていませんが、それでもすごくおいしかったです。ガイドの解説によると、エンジェルズ・エンヴィをあまり知らない人から「ポートカスクフィニッシュすることで美味しくないところを隠しているのではないか」と言われることもあるそうですが、アンフィニッシュでもきちんと美味しいことを証明するために、テイスティングで出しているとのこと。
次は主力のエンジェルズ・エンヴィ ルビーポートワイン樽フィニッシュ。果実感あり、スパイス感あり、もちろんバニラ感も。甘やかなニュアンスがあり、余韻も長く、最高です。
最後に、なんとルビーポートワインそのものも飲ませていただきました。ポルトガル産のシングルエステート・ポートでアルコール度数は19度。より自然な味わいで、甘すぎず、とても美味しかったです。このポートワインを寝かせた樽でウイスキーをフィニッシュするという考えに行きついたリンカーン氏の慧眼に感服です。
お手製のクラッカーも出してくれたのですが、なんとエンジェルズ・エンヴィのマッシュビルでコーンとライ麦、大麦を使ったものだそうです。こちらも美味!
ほとんどの蒸留所には、ギフトショップが併設されています。さまざまなお土産や製品を購入できるので、観光客に人気。エンジェルズ・エンヴィ蒸留所のギフトショップは、広さ、品ぞろえ、雰囲気などトップクラスです。筆者も限定ボトルをはじめ、様々なグッズを購入しました。
エンジェルズ・エンヴィ蒸留所を見学し、一人の伝説的な職人が夢を追って今までにないチャレンジをして、その情熱を受け継いだ家族が紡いできたストーリーに触れることで、一層ファンになりました。
「天使が嫉妬する」というユニークでチャレンジングな名前ですが、その名にふさわしいオンリーワンのバーボンです。2023年末から、バカルディジャパンが公式に輸入販売しており、ポートフィニッシュなら価格は1万円前後です。一般的なバーボンより高めですが、すばらしい体験になることうけあいです。
柳谷智宣 やなぎや とものり 1972年12月生まれ。1998年からITライターとして活動しており、ガジェットからエンタープライズ向けのプロダクトまで幅広い領域で執筆する。近年は、メタバース、AI領域を追いかけていたが、2022年末からは生成AIに夢中になっている。 他に、2018年からNPO法人デジタルリテラシー向上機構(DLIS)を設立し、ネット詐欺の被害をなくすために活動中。また、お酒が趣味で2012年に原価BARを共同創業。 この著者の記事一覧はこちら(柳谷智宣)