【悼む】“エビジョンイル”豪腕発揮したNHK海老沢勝二元会長 怖い顔と笑顔の強烈コントラスト

0

2025年10月20日 13:04  日刊スポーツ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊スポーツ

海老沢勝二氏(2017年12月撮影)

NHK元会長の海老沢勝二(えびさわ・かつじ)さんが10月19日午後10時5分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため、都内の病院で死去した。91歳。NHKが20日、発表した。


茨城県潮来市出身の海老沢さんは、1957年(昭32)に早大卒業後、NHKに記者として入局。政治一筋に歩み、政治部長、報道局長、NHKエンタープライズ社長などを歴任した。97年に会長に就任したが、3期目の途中で不祥事が複数発覚し、05年1月に引責辞任した。


  ◇  ◇  ◇


海老沢さんが亡くなった。初めて会ったのは平成の初めの頃、NHKの専務理事を務めていた頃だった。池田勇人元首相番から自民党宏池会に食い込んで偉くなった、シマゲジこと島桂次会長に次ぐNo.2の実力者だった。同じ茨城・潮来の出身で田中角栄元首相の橋本登美三郎元官房長官から自民党逓信族のドンと言われた金丸信氏に食い込んでいた。


91年に1月に連続テレビ小説「君の名は」のオープンセットが千葉県野田市でお披露目された。大ヒットした「おしん」以来、8年ぶりに1年間放送されるテレビ小説とあって、NHKも力が入っていた。主演の鈴木京香、倉田てつを、脚本の井沢満氏と話していると、眼光鋭いおっかない顔の人が現れた。専務理事だった海老沢さんだった。お付きの職員の話をウンウンとうなずいて聞きながら、精いっぱいの笑顔を作って鈴木に話しかけていた。駆け出しの芸能記者だった記者にも「いつも鈴木京香さんを取材しているの。いいね」と笑顔を見せてくれた。


91年に島会長に理事を解任され、子会社のNHKエンタープライズの社長に就任。実力者の海老沢社長就任に伴い、それからはNHKエンタープライズ社長も定例の会見を行うようになった。93年に専務理事としてNHKに復帰、副会長を経て97年に会長就任。8年に及ぶ任期中にハイビジョン普及、報道強化、韓流ドラマ放送などに力を入れた。北朝鮮の指導者になぞらえて“エビジョンイル”と呼ばれるほどの権力者になった。だが、04年にNHKで不祥事が相次いで、05年1月に会長を退任。会長時代から務めていた横綱審議委員会の委員、07〜09年には横綱審議委員会の委員長も務めた。


そんな海老沢さんと再会したのが、13年に日本ゴルフツアー機構(JGTO)の理事長を務めていたときだった。25年ぶりにゴルフ記者を拝命して、同年5月から男子ツアーのダイヤモンドカップが開催された茨城の大洗ゴルフクラブだった。放送担当を離れた時以来、17年ぶり再会のあいさつに行くと、最初はけげんな顔をされた。だが、名刺を交換して「君の名は」のオープニングセットの話をすると笑みがこぼれた。ツアーで活躍する石川遼、松山英樹のこと、そしてゲストとして来ていたブレーク前の武井壮について話した。「久しぶりにテレビの話ができて楽しいね」と言うので「NHK時代は怖くて話しかけられませんでした」と言うと、また笑顔を見せた。


まだ、ネットもSNSもなく、“テレビが一番力のあるメディア”だった時代のNHKの実力者。鋭い眼光と、時折見せる笑顔のコントラストが強烈だった。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】

    ニュース設定