【プロ野球】金本知憲、黒田博樹、菊池涼介たちを見出した男・苑田聡彦のスカウト人生47年の真実

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2025年10月23日 07:20  webスポルティーバ

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元広島スカウト・苑田聡彦インタビュー(前編)

 現役時代は「中西太2世」と呼ばれた強打で注目され、引退後は黒田博樹や金本知憲、丸佳浩ら数々の名選手を見出してきた慧眼のスカウトとして知られる苑田聡彦氏。選手、そしてスカウトとして球団と歩んできた、半世紀近いスカウト人生を振り返る。

【現役時代は中西太2世と呼ばれた強打者】

── まず、苑田さんの選手時代のことをお聞きします。三池工高では原貢監督のもと、「中西太2世」と呼ばれた強打者でした。1964年に広島に入団し、4年目の67年に109試合に出場して107安打、打率.266でレギュラーの座をつかみました。

苑田 しかし68年のドラフトで山本浩二が1位指名され、私は根本陸夫監督に外野から内野へのコンバートを言い渡されました。「プロだから競争じゃないですか」と、翌年の春季キャンプまで契約更改せず抵抗しました。その後、内野守備コーチだった広岡達朗さんに手ほどきを受け、内野手に転向しました。

── 現役時代、一番思い出に残るシーンは。

苑田 やはり1975年の球団創設初の優勝です。ジョー・ルーツ監督が4月末に辞任し、5月4日から古葉竹識さんが監督に就任しました。私が30歳の時、最下位ばかりだったチームが初めて勝利の美酒を味わったのは感動でした。

── なかでも、「このワンプレー」というのはありますか。

苑田 この年の5月17日の大洋(現・DeNA)戦で、開幕から6勝1敗と絶好調だった間柴茂有投手から先頭打者本塁打を放ち、チームを首位へと浮上させた試合が特に印象深いですね。

── 引退の翌年(78年)からスカウトに転身したのですね。

苑田 アドバイスしていた木下富雄が伸びてきたこともあって、引退したらコーチをやりたいなと思っていたんです。しかし東洋工業(現・マツダ)出身でサッカー日本代表にもなった重松良典球団代表から『子どもはいないのか。借金はないのか。なら、今から東京に行ってマンションをひと部屋探してこい。東京在住のスカウトがいないんだ』と、辞令が出ました(笑)」

── ユニフォームを脱いで、すぐスカウトになる心境はどうでしたか。

苑田 気持ちはすぐ切り替わりました。ただ九州の人間が初めての広島で結婚し、九州弁と広島弁の合わさった者が、右も左もわからない東京で生きていくことが心配でした。なにしろ、当初は気軽に話せる友人がひとりもいなかったんですから。

【歩く姿がカッコよかった黒田博樹】

── 1978年から2024年まで47年間のスカウト人生で、思い出深い選手は誰ですか。

苑田 獲ってきた選手はみんなかわいいですよ。

── 黒田博樹投手はいかがでしたか。

苑田 黒田は、上宮高(大阪)時代はエースだった西浦克拓(のちに日本ハム)の陰に隠れ、まったくの無名でした。田中秀昌監督(当時)の推薦で専修大に入学したようです。

── 黒田投手は、3年まで2部で8勝5敗、4年になると大学生初の150キロをマークし、1部で6勝4敗の成績を残しました。

苑田 最初に見た時から、雰囲気がありました。専大の野球部グラウンドは高台にあるのですが、その道中にある100メートルほどの坂道を歩く姿がカッコよかったんです。キャッチボールの投げ方もいい。その姿にひと目惚れしました。バランスがいいんでしょうね。野球部のマネージャーに「彼は誰?」と尋ねると、「黒田です」と教えてくれました。

── それはベテランスカウトの苑田さんの経験値における"感覚"なのでしょうが、それ以外の具体的な要素は何でしょうか。

苑田 たとえば、内角のストレートを打たれると、次の打席は外角の変化球を投げたりするものなんです。でも黒田はもう一度、内角のストレートを放ります。そういう"負けん気の強さ"も重要な要素です。黒田は「スカウトが無名時代からずっと見続けてくれたから、広島を逆指名した」と言ってくれました。

【オーナーに直電して「絶対に獲ります」と宣言】

── ほかにも88年5位の江藤智選手、91年4位の金本知憲選手、07年の高校生ドラフト3位の丸佳浩選手など、下位選手や高卒選手が大成したのは苑田さんの慧眼です。

苑田 カネ(金本)の時は、東北福祉大の伊藤義博監督(当時)の前で松田オーナーに電話して「絶対に獲ります」と宣言しました。とにかくリストが柔らかくて強かった。丸は千葉経済大付高時代、投手で甲子園に出場していますが、松本吉啓監督(当時)には「懐が深いから、打者として大成すると思う」と伝えていました。カネも丸も江藤も、ほかの球団は来ていなくて、いわば"一本釣り"でした。

── 江藤選手はドラフト5位ですね。

苑田 関東高(現・聖徳学園)時代は捕手で、肩を痛めていました。ただバッティングがすばらしく、インサイドアウトの軌道でボールをバットに乗せ、リストを返さず押し出すようにしてセンターに打つ。その打球の伸びがすごくて、絶対に獲りたいと思っていました。肩も治ったのですが、問題がありまして。

── どうしたのですか?

苑田 その2年前、同校の選手がある球団に指名すると言われながら、約束を反故にされたんです。当時ドラフトは11月だったので、進学も就職も間に合わなかったようで......。そんなこともあって、疑心暗鬼になっていたんです。それで私は、学校長に向けて誓約書を書きました。

── 金本選手は通算2539安打、江藤選手は本塁打王2回、丸選手は2度MVPに輝きました。

苑田 みんなFAで移籍しました。下位で指名した選手が大成して、他球団から高く評価されるというのはスカウト冥利に尽きますね。ドラフト当日は、彼らが指名するまで無事に残っているのか、汗びっしょりになって待っていました(笑)。

【菊池涼介と小園海斗の共通点】

── 現在の広島内野陣は好選手がたくさんいます。二塁手として10年連続ゴールデングラブ賞の菊池涼介選手は、どのような評価だったのですか。

苑田 菊池は、打者がバットに当たった瞬間の一歩目が滑らかで早い。だから、あんなに守備範囲が広いんです。派手なプレースタイルに見えますが、実際は常に打球の正面に入って両手で捕ろうとする堅実な選手なんです。大学時代は遊撃手で、送球がシュート回転していましたが、セカンドにコンバートされたのがよかったですね。

── 今年、初の首位打者を獲得した小園海斗選手ですが、2018年のドラフトは大阪桐蔭の根尾昂選手(現・中日)も注目でした。小園選手を1位指名した理由はなんだったのですか。

苑田 バットを扱うハンドワークがよかったですし、やはり彼も一歩目が早かった。彼が報徳学園2年の時に見に行って、「1位は小園以外いない」と担当地区の鞘師智也スカウトとも確信しました。

── スカウト人生のなかで、「獲っておけばよかった」と後悔した選手はいましたか。

苑田 それは絶対に言いません。そんなこと、あとで思っても仕方ないですから。他球団のスカウトは「鈴木誠也(2012年ドラフト2位で広島に入団)を獲っておけばよかった」とみんな言いましたよ。私はスカウト部長になった時、後輩スカウトに言いました。「若いスカウトは言いづらいかもしれないが、ほしい選手がいたら先に言いなさい」と。逆に、私の欲しかった選手が他球団から先に指名されると、その選手のお母さんに「よかったですね。おめでとうございます!」と連絡します。スカウトをやっていたら、そういう気持ちになれるはずです。

つづく>>

苑田聡彦(そのだ・としひこ)/1945年2月23日生まれ。福岡県出身。三池工高から64年に広島に入団。4年目の67年、自己最多の109試合に出場。貴重なバイプレーヤーとして75年の球団初優勝に貢献。77年に現役を引退し、78年からスカウトに。2006年にスカウト部長となり、その後、スカウト統括部長、24年にスカウト部顧問となり、25年2月に80歳になったのを機に野球界から引退した

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