[写真]= 2025 S.FC「すべてに満たされて、彩りのある人生を送ってほしい」。そんな思いが塩田満彩の名前には込められている。
「本当に人や環境に恵まれていますし、自分の周りは常に明るくて笑顔がたくさんあるので、名前のとおりの人生になっていると思います」
サンフレッチェ広島レジーナで5シーズン目を迎えた塩田は、充実した笑顔でそう話した。
確かな成長
さかのぼること3年前の2022年10月、当時23歳の塩田は、「リーグ戦でスタメン出場する」という個人の目標を実現させたばかりだった。
徳山大学(現・周南公立大学)卒業後、2021年に設立された広島にセレクションを経て加入し、WEリーグ初年度は6試合の途中出場とプレー時間は少なかったが、それでも前を向いて一歩ずつ取り組んだ。2年目の2022/23シーズンは、リーグ戦に先駆けて開催されたリーグカップ戦で初の先発出場を果たすと、リーグ開幕戦で目標だったスタメンの機会をつかんだ。
「レジーナに入ったばかりの時は周りがみんなエリートな選手ばかりで、ちゃんとした強豪校を出たり、アカデミーやユースに行っていたりして、自分だけが名の知れない学校からポツンと来て、その時の先輩たちからも『どこから来た?』みたいに言われていました。やっぱり、みんなうまかったし、自信はなくしていたし、迷惑をかけないようしないといけないと思っていた記憶があります」
「でも、高校も大学も最初から出続けていた選手じゃないからこそ、出られていないことに対して落ち込むことはなかったです。練習や自主練をやり続けて、少しずつ機会をもらって定着するというのが今までのサッカー人生だったので、最終的には出場できるというイメージを持っていました。だからこそ、うまくいかなかった時に、短所をなくすより長所を伸ばしていこうという方にシフトチェンジして、それこそ3年前ぐらいから自分の強みのロングキックをひたすら練習でアピールしていましたね」
それからときが経ち、今年26歳になった塩田は主力の1人としてポジションを確立している。「試合に出続けるのは難しいですけど、出ないとわからない感覚があるし、上手くなるのに1番の近道は試合に出続けることだと思います」とピッチでの経験を積み上げて、今ではチームに欠かせない存在となった。
「3年前はまだまだ下の立場で歳も若かったですけど、今は歳上の選手が抜けていって私たちの代が上の方なので、自覚や責任もしっかり感じています。自分は人と楽しくわちゃわちゃするのが好きなので、そういう部分でもいろんな人を巻き込みながらコミュニケーションを取っています」
ポジションはもともとボランチだったが、3年前はDFにコンバートされたばかりの頃で、最終ラインでプレーするのも初めてのことだった。当時は先輩たちから教えを受けながら奮闘していたが、この3年間ですっかり右サイドバックが主戦場となった。「もうやるしかないって吹っ切れていましたね」と振り返る。
「レジーナに来て最初はボランチでしたけど、パススピードや判断スピード、技術の部分も全部が敵わなくて、選手のレベルの高さをめちゃめちゃ痛感して、世代別や日本代表を経験した選手がいる中で戦うのは厳しいなと思っていました」
「サイドバックは監督から求められて、やってみて最初は全くダメだったけど、自分のアグレッシブなプレーを活かせる1つのポジションだなとも思いました。もともと守備をそんなにするタイプではなかったけど、サッカー選手として成長するためにはできた方がもちろんいいですし、試合に出たかったのでチャンスをもらえるなら、もうどこでも頑張りますという感じでした」
「今はもうサイドバックで出たいと思いますし、自分でも守備の選手だと思うようになりました。映像やサッカーを見るときも、やっぱり目が行くのは守備の部分なので、もうそこは染み付いています」
サイドバックでの経験を重ねて自分なりの楽しみも見出している。ポジションは変わっても、同じ岡山県出身でサンフレッチェ広島のレジェンドである青山敏弘さん(現トップチームコーチ)のような理想のプレーは変わらない。
「守備のポジションではあるけど、攻撃も好きなので、どんどん前の選手を追い越してボールに関わっていくのが楽しいですし、守備の部分だったらボールを奪えた時に観客の皆さんがわーっと盛り上がってくれるのがめっちゃうれしいです。ボランチのときからずっと青山さんのようなプレーをしたいと思っていて、サイドバックになっても青山さんみたいな1本で局面を変えられるパスを出したいと思っています」
ピッチ外でも今年3月に選手主体で作り上げて2万人以上の観客を集めた「自由すぎる女王の大祭典」をきっかけに、レジーナを盛り上げる活動にも積極的に取り組むようにもなった。
「楽しいことが大好きなので、みんなを喜ばせたり、楽しませたりするためには、自分たちが1番楽しむべきだと思っていて、自分たちが楽しみながら、その楽しさを共有できたらなと思っています。選手にはそれぞれ性格があって、目立ちたい人、目立ちたくない人、いろいろいる中で、協力しくれたみんなにも感謝ですし、選手だけじゃなくて、たくさんの方々が関わってくださったのですごくありがたいです」
広島で人や環境に恵まれた充実の日々は、決してエリートではなかった選手が這い上がってつかんだ居場所だ。常に前を向いて努力し続けてきたからこそ、塩田の今がある。
「(広島加入前に)もうサッカーをやめようと思っていたので、今この歳までサッカーを続けているのも予定外だし、昔はこの歳でもう結婚して子供を産んでみたいなことを勝手に思い描いていたので全く違う人生ですけど、でも自分みたいな選手の方が多いと思うし、そういう選手が諦めないきっかけになれているのかなという部分では、自分がサッカーを続ける1つの意味でもあると思っています。自分で『これまで頑張りました!』とは言い切れないけど、腐らなかったのが良かったんだなと思います」
今季これまでの戦い
今シーズンの広島は赤井秀一新監督のもと攻守にアグレッシブなサッカーを掲げ、シーズン前半戦の11試合を4勝5分2敗の4位で折り返した。DF呉屋絵理子やキャプテンのDF左山桃子、10番を背負うMF瀧澤千聖など長期離脱者が相次ぎ、厳しいチーム状況を強いられ、まだ勝ちきれない悔しい試合も多い。ただ、その中でも目標とする3強に君臨するINAC神戸レオネッサ、三菱重工浦和レッズレディース、日テレ・東京ヴェルディベレーザとは1勝2分と互角に渡り合った。
「リーグが開幕してケガ人が増えていった中で、試合を通して少しずつ良くなっていると思いますし、3強相手にまだ負けていないのは自信になっています。でも、課題としては相手によって波があって、3強には負けていないけど、それ以外のチームには勝ち切れなかったり、負けてしまったりしているので、シーズンが終わる頃にあの試合がもったいなかったなってきっと思い出すだろうなと感じています」
塩田は開幕戦こそベンチスタートで出番もなかったが、その後は負傷欠場した1試合を除いて9試合に出場。第4節以降はまたスタメンで出続け、課題とも向き合いながら変わらず奮闘している。
「昨シーズンも同じポジションの選手がケガをして、そこから出られるようになったので、今シーズンはもう初っ端からスタートで出たい思いはありましたが、なかなかそこには食い込めませんでした。ただ、アクシデント(第2節のキャプテン負傷交代)があって、1番最初に出たのが右サイドバックでしたけど、練習でやっていたセンターバックで出るつもりだったので、『おっとサイドバックか』みたいな感じはあって、でもすぐに気持ちは切り替えられましたし、ここが自分の主戦場なんだと思いました」
「今までは自分の強みのロングボールばかりに頼ってきたんですけど、昨シーズンからはビルドアップをもっと上達していかないといけないと思っていて、少しずつ向き合えています。その中で、チームのやり方や相手に合わせてやり方を変えていかないといけないので、判断の部分はまだまだ課題だと思っています」
今シーズンは負傷や体調不良の選手が続出して、スタメンは毎試合のように入れ替わる難しい状況が続いている。塩田も右サイドバックだけではなく、左サイドバックやセンターバックも務めて厳しい台所事情をカバーしてきた。
「少しでもできるポジションが多ければ、自分のプレーの幅も広がると思うのでポジティブに捉えたいですけど、右左で体の向きが全く違うので、ちょっと戸惑いはありました。でも、試合が近づいて、出るポジションが分かった段階で、そのポジションのプレー集を見たり、ひたすらそのポジションからの目線や相手の動きをイメージして、どういう対応をしようかをずっと考えています」
リーグカップ戦3連覇へ
今週末には、塩田にとって思い入れのあるWEリーグ クラシエカップが幕を開ける。チームが初優勝を果たした2023/24シーズンは、左ひざ外側半月板損傷のケガでシーズンを棒に振ったため、決勝戦はスタンドで見守り、優勝の瞬間も喜びと悔しさが入り混じった。
「当時はもう絶対に選手として関われない状況だったので、優勝した瞬間にみんなと一緒に走って、わあーっといけなかったのがすごく悔しかったですし、1試合も出てなかったので、優勝して喜んでいいのかなとはすごく感じていました」
翌2024/25シーズンは、チーム一丸でタイトルを目指し、「誰が出ても勝てる」を体現して大会2連覇を達成した。塩田は7試合に出場して優勝に貢献。決勝戦もフル出場し、ピッチで歓喜の瞬間を迎えた。
「昨シーズンはほぼ全員が試合に出て、みんなでつかみ取った優勝でした。毎試合、誰が試合に出られるか分からない状況が続いていたので、決勝を迎えるまで自分がスタートで出られるのか、最後の瞬間に自分がピッチに立っていられるのかっていうことは、すごく考えていました。でも、スタートで出られて最後までピッチに立って優勝ができたので、前年に優勝しているメンバーがたくさん周りにいた中でやっとみんなに追いつけたなと思いました」
歓喜に沸くピッチでは、前年の大会で悔しい思いを共有した瀧澤と喜ぶ姿があった。瀧澤も2023/24シーズンは度重なるケガに悩まされて決勝戦を塩田とスタンドで見守っていたが、翌年の決勝戦は途中出場してピッチ上で優勝の瞬間をチームメイトと一緒に味わっていた。
「ケガがきっかけでチセとは仲良くなったので、そこからはもう毎日のように『絶対優勝しようね』って言っていたし、(決勝の)前日も当日も『絶対優勝して最後ピッチに立っていようね』っていう話ばっかりしていたので、同じ苦しい時間を過ごした仲間とピッチで優勝を分かち合えたことはすごくうれしかったです」
そんな仲良しの瀧澤は、9月の試合で右ひざ前十字じん帯損傷と外側半月板損傷の大ケガを負って再び無念の長期離脱を余儀なくされた。今大会は塩田が背番号10の思いを背負ってピッチで戦う。
「彼女自身も調子がいい時にケガをしてしまって、1番本人が悔しいと思います。でも、少しでも喜んでもらえるように、もちろん優勝は絶対だと思いますし、優勝してまた一緒に喜びたいです」
初戦は10月25日にパナソニックスタジアム吹田で、昨季の決勝を戦ったI神戸と激突する。9ゴールでWEリーグ得点ランキングトップに立つFW吉田莉胡を擁し、リーグ戦で首位を走る好調の強敵だ。ただ、広島としては、今季リーグ戦で劇的勝利を収め、WEリーグ公式戦での通算成績も5勝3分3敗と勝ち越している相性のいい相手でもある。
「リーグ戦で3強に負けていないので自信を持って戦えますし、あまり苦手意識もないチームだと思っていますけど、もちろんチャレンジャーとして戦って90分で勝ち切りたいです。3連覇できるのは私たちだけなのでプレッシャーはありますけど、目の前の1戦1戦を勝ち切るだけだと思います」
変わらないこと
大事な試合を前にして、成長を遂げた塩田にもずっと変わらないことがある。
「試合前の緊張度合いはどれだけ出続けても変わらないですね。ミーティングのときが1番緊張しますし、その度合いはなんなら悪化しているぐらいです。でも、別にネガティブな緊張ではなくて、ワクワクももちろんあります。(ミーティングで)監督の話を聞いていると、頭の中で妄想が始まっちゃうんですよ。監督の話を聞きながら、じゃあ自分はこうしてアシストして、こうやって点を取れるなとかをイメージしていると、どんどん気持ちも高ぶっていきます」
「試合に入ると緊張はそんなになくて、周りの応援の声や、今このピッチに立ちたくても立てられない選手がいる状況が、余計に頑張らなきゃなって思わせてくれます。自分もケガで出られない時期も実力で出られない期間もあったので、気持ちはすごくわかるし、そういう選手たちの分までと思うと、より身が引き締まっていい緊張感になります」
そうした緊張感も彩りの1つだ。努力を続ける日々も、ピッチでの戦いも、試合に出られない悔しさも、サポーターの声援も、チームメイトの思いも、すべてが塩田のサッカー人生を彩っている。
「全部が綺麗な彩りというわけではなくて、感情で言うと喜怒哀楽の全部があっての彩りだと思いますし、緊張感だったり、悲しい思いだったり、もどかしい思いだったりも、ここで全部経験できています」
「サッカー選手として輝かしいキャリアがあるわけではないですけど、今この世界が自分からしたらすごくキラキラしている世界で、レジーナに入らなかったら特に何もない選手で終わっていたと思います。ここでタイトルを取れて彩りあるサッカー人生だとは思いますけど、もっと勝利や優勝に貢献したいので、選手としてはまだまだだと思っています」
3年ぶりに改めて聞いた個人の目標は、「まだリーグでは点を取っていないので、リーグで点取ること」。力を込めて「今シーズンはゴールを決めます!」と宣言した。目標を見据えて、常に前を向いて奮闘を続けていく。それが塩田満彩の人生である。
インタビュー・文=湊昂大