私たちも力になれれば−− 40年変わらぬ地元の優しさ

0

2025年10月23日 16:01  毎日新聞

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

毎日新聞

日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者を追悼する「慰霊の園」で供えられた花の水替えを行う女性=群馬県上野村で2025年10月8日、平川義之撮影

 群馬県上野村の山々は10月上旬、紅葉で色付き始めていた。


 乗客乗員520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者を追悼する「慰霊の園」では朝から村民2人が清掃活動にいそしむ。供えられた花の水を替え、敷かれた玉砂利をきれいにならす。


 「遺族の方がいつ来られてもいいよう、年末年始を除く毎日、掃除や来園者対応を村民でしている」。維持管理に携わって34年という女性(76)が教えてくれた。「今でも涙を流す遺族を見かける。園を守っていかなくちゃという気持ちになる」


 事故後、上野村は遺族と日本航空の3者で財団法人を設立した。村内にある慰霊施設の守り手として、村民が働く。


 1985年の事故発生時、墜落現場「御巣鷹(おすたか)の尾根」で村の消防団員は事故機の捜索に力を貸した。村役場や宿泊施設では関係者の受け入れなどにも村民が奔走した。


 当時の村は人口1968人だったが、今年10月1日時点で991人に半減した。ただ、65歳以上の高齢世代が半数近くを占め、事故の凄絶(せいぜつ)さや遺族の悲しみを知る村民は今も少なくない。


 村で代々続く「今井家旅館」の今井秀子さん(73)は、旅館に宿泊した遺族の中で忘れられない夫婦がいる。娘3人を事故で亡くしていた。年に数回、慰霊で村を訪れていたという。


 「娘はいい子だったのです」。夫婦とうち解けた間柄になったころ、女性が涙ながらに語る姿に娘を持つ同じ親として胸が詰まった。


 「40年たっても、接した遺族の方がどうされているのかと思い出す度に気になる」と話す。自身も高齢になり、11月から旅館を休業することにした。


 黒沢完一さん(82)は、御巣鷹の尾根の2代目管理人となり19年がたった。遺族の訪問があれば、「静かに慰霊させてあげたい」とあえて声は掛けず、見守る。黒沢さんは「私の体力が持つ限り続ける」と断言する。


 慰霊の園や御巣鷹の尾根はいつ訪れてもきれいに整備され、犠牲者に静かに思いをはせることができる。


 私たちも何か力になれれば――。40年変わらぬ村民の優しさが慰霊の地を守り続けていく。写真・文 平川義之



    ニュース設定