「息子を産んだことを後悔」発達障害児の母親が育児で味わった“絶望”と、許せない“夫からの一言”

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2025年10月25日 18:00  週刊女性PRIME

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※写真はイメージです

「母親になって後悔してる」そんな刺激的なワードで自分の子育ての苦悩をSNSなどで発信する人が増えている。「後悔するほどに、何が母親たちを苦しめているのか」。リアルな声を聞きたくて独自取材を行った。

 短期集中連載の3回目は発達障害の息子を育てるサチコさん(仮名=56)の話をお伝えする。

「はっきり言って、息子を産んだことを後悔したこともあります。子どもをかわいいと思えない自分は異常なんだと悩んでましたね」

許せなかった夫のひと言

 おっとりとして優しい雰囲気のサチコさんは38歳のとき、ひとり息子のハルト君を産んだ。31歳で結婚してすぐ子どもは欲しいと思ったが、なかなか授からなかったのだ。長く働いた印刷会社を辞めてパート勤めをしているときに妊娠がわかり、専業主婦になった。

 サチコさんがハルト君を育てづらいと感じ始めたのは、1歳半のころだ。

「ママー、ママー」

 ハルト君はサチコさんが何をしていても、どこに行くときも後をついてきた。癇癪もひどく、玩具で遊んでいてもうまくできないと投げつける。テレビをガンガン叩く。飼い犬にギューッと強く抱きつき、犬が痛がってもやめない……。

「彼の癇癪が起きると、自分もワーッとなって制御できなくなってしまって、彼に手をあげちゃったり……。ワーッとなることは昔もありましたが、子育てを始めてから頻繁に出てくるようになってしまったんです」

 料理を作っていても、しょっちゅう邪魔されるので進まない。仕方なく、家でライターの仕事をしている7歳上の夫に弁当を買ってきてもらった。最初は「いいよ」と応じていた夫も、途中から「今日もお弁当?」と文句を言うように。サチコさんが子育てのしんどさを夫に訴えると、こんな言葉が返ってきた。

「え、だって母親ならみんなやってることじゃない。何でできないの?」

 夫は悪気なく発した言葉かもしれないが、サチコさんには衝撃のひと言だったという。

「できない自分が許せない。だから、夫に『そんなの無理だよ、できないよね』と言ってほしかったんだと思う。その言葉を待っていたんだと思う。それなのに、彼には理解してもらえないんだと、すっごいショックで、悔しくて、苦しくて……。

 それまでは夫に満足というか、話し合えば理解してくれるし、いい関係だと思っていたんです。だけど、子育ての壁にぶち当たって苦しんでいるときの、そのひと言で、この人、こういう人だったんだって」

母親を絶望させた家庭相談所の対応

 それ以上、ショックを受けたくなくて、サチコさんは夫に理解してもらうことをあきらめたという。その後は孤軍奮闘することになる。

 ハルト君を集団の中で遊ばせたほうがいいのではと思い、公園にも連れて行ったが、他の子に意地悪をされてもハルト君はやられっぱなし。親は口出しをできない雰囲気で注意もできず、サチコさんはいたたまれなかった。リトミック(音楽によって基礎能力の発達を促す教育)も試してみたが、ハルト君は一緒にやろうとしない。他の子には見向きもせず、1人で黙々と遊んでいた。

 リトミックの先生にすすめられて、2歳半のとき相談センターに行き医師の診察を受けると、発達障害の一つであるASD(自閉スペクトラム症)と診断された。

 育てづらい背景には障害があるとわかり、サチコさんは少し気が楽になったという。だが、息子と関わる時間の少ない夫は理解できず、医師の説明を一緒に聞いたのに、「うちの子は普通じゃないか?」と言っていたそうだ。

 診断が下りても日々の大変さは変わらない。息子を叩いてしまうことを相談したくて、家庭相談所に行ったときのこと。面談した女性職員にこう言われた。

「いちばん子どもを理解しているのは母親でしょう」

 その言葉を聞いてサチコさんは絶望感に襲われたという。

「私は理解できないから相談に来ているのに、理解できないから手をあげちゃってるのに……。母親のイメージはそうなんだ。じゃあ、理解していない私は、母親の枠から外れるのかなって。

 1人であっちこっち行ってへとへとになっても、どこでも答えが見つからない。ずっと暗闇でもがいている感じでしたね。息子を産んだことを後悔したのはこのころです」

 連載初回で紹介した書籍『母親になって後悔してる、といえたなら』の中にも、サチコさんのように母親が1人で育児を抱え込み、自分の苦しさを伝えても周囲の人たちになかなか理解してもらえないケースが登場する。

抱え続けてきた昔のトラウマ

 取材に当たったNHK記者の高橋歩唯さんは、子育てを支援する側の意識改革が必要だと指摘する。

「保育園とか学校もそうですけど、子どもに関わる病院や保健師さんとか行政や公的機関の方たちが、子育てはお母さんがやるのが当然だという前提で話を進める。両親が一緒に行っても、お母さんにだけこうしてくださいと言う。

 取材の中でそう話す母親がすごく多かったし、そういう状況が続いていることに、やっぱり違和感を持ちました。それって別に社会の制度が変わらなくても、親子の問題に関わるすべての職業の方々が個々人でおかしいと気づけば、1日で変わることだと思うんですよ」

 ハルト君は知的な遅れがなかったので、小学校は普通級に進んだ。だが、発達性協調運動障害があるため、学校生活に適応するのは難しかった。運動が苦手、極端に不器用などの特性があり、列になって移動するときなどハルト君のところで間が空いてしまう。

 そのたびに後ろの子に「早く行けよ!」と小突かれて、ハルト君は入学後まもなく「学校に行きたくない」と言い出した。

「息子は言い返せないから、いじめのターゲットになっちゃうんですよね。フォローしてくれる子もいましたが、お世話係の子に嫌な顔をされたりするから、私も授業参観に行くのがつらかったです。

 担任の先生には普通級でも大丈夫だと言われましたが、通級(障害による困難を改善するための個別指導)の先生には『早く特別支援学級に行ったほうがいい』とせっつかれて。夫に相談しても、何で特別支援学級にしなきゃいけないのか俺にはわからないなと。でも、いつも一緒にいる君の判断でいいよと言うから、私もわからなくなっちゃって」 

 悩んだ末にサチコさんは、ハルト君を小2の夏休みから特別支援学級に通わせることにした。だが、その後も学校にはあまり行かないまま、中学を卒業した。

 卒業を前に、ハルト君を担当するカウンセラーの先生と2人で話していたときのこと。サチコさん自身が劇的に変わるきっかけになる出来事があった。サチコさんには、ずっと封印してきた昔の嫌な体験があるのだが、先生に初めて打ち明けたのだ。

「あ、言えた。ふたが開いたって感じて。先生には『お母さん自身が問題を抱えているから治療したほうがいい』と言われたんです。そこからですね。自分の問題をまず解決しないと、息子をかわいいと思えないかもしれない。そう思って行動を始めて、ある場所に行きついたんです」

息子をかわいいと思えない意外な原因

 サチコさんが探したのは自助グループだった。同じようなつらさを抱えた者同士が問題の克服を目指して集う場だ。どんなグループか尋ねると、サチコさんはしばらく逡巡した後、意を決したように口を開いた。

「それは……性被害です。家族や身内からの。私の父親はお風呂を覗くとかセクハラ行為をしていたんですが、2歳上の兄のほうがひどくて……。私が小学3年から6年くらいまで、親が留守になると、兄がそういうことをしてきて。

 プロレスの技をかけられたり暴力的な兄だったので、怖くて抵抗できなくて……。私は母親に何度も助けてくれって言ったんです。なのに助けてくれなかった。だから、私はあきらめて受け入れるしかなくて。自分でふたをしていたんですね」

 サチコさんは自助グループに参加し、みんなの前で泣きながら、過去の忌まわしい体験をすべて吐き出した。

「あんなに泣いたことはないというくらいバーッと出せたとき、自分の中にぽっかり空いていた空虚な部分が埋まった感じがしました。友達にも告白したら、大変だったんだねと一緒に泣いてくれて。

 そういう作業をちょっとずつやっていったら、言いたいことは言っていいんだって気づいたんです。もう嫌なことも言うぞ!いい子じゃなくていいんだぞ!って」

 サチコさんは夫に対しても、ずっと言いたいことを言ってこなかった。息子が幼いころ育児のつらさを訴えたら、「え、だって母親ならみんなやってることじゃない。何でできないの?」と当然のように言われて衝撃を受けたが、そのときも何も言い返さなかった。その後も、夫の態度を不満に思うことがあってものみ込んできたのだ。

 どうして何も言わなかったのかと聞くと、サチコさんは少し照れくさそうに答える。

「私、夫のことがすごい好きなんですよ。だから、子どもへの愛情のないひどい女だと思われたくなかったんですね。それに、私の母親も言えないタイプだったので、嫌なことは言っちゃいけない、いい子でいなきゃいけないと刷り込まれていたのかもしれないですね」

 最後のひと押しをしてくれたのは、本の著者であるNHKの2人が手がけた特集番組だ。母親になった後悔をテーマにしたその番組を、たまたま夫と一緒に見ていたサチコさん。気がつくと夫に向かって、こう口にしていた。

「ああ、私もこの母親の気持ち、すごくわかる。私も、こういうことがあったのよ!」

夫への不満爆発で育児にも変化

 そして、それまで言えなかった不満を、初めて夫にぶつけることができた。

「昔こんなことがあったとかワーッと言った流れで、『私と息子に土下座しろ!』って夫に言ったんですよ。夫は引いてましたけど(笑)、土下座して『悪かった』と謝ってくれたので許しました。そういうところがあるから、やっぱり好きなんですよ。

 自分が抱えている問題と関係があるのかわかりませんが、夫に何でも言えるようになったころから、息子のことも認められるようになったというか、心からかわいいなと思えるようになった気がします」

 サチコさんは両親にも電話をして性被害のことを話した。だが、母親には「何で嫌だと言えなかったの?」と聞かれ、「あのとき助けてって言ったのに」と怒りが湧き、自分から連絡するのをやめた。

 両親とケンカしている姿を息子には全部見せようと思い、「おじいちゃん、おばあちゃんに嫌なことをされたから、電話もしないし、実家には行かないんだよ」と伝えたそうだ。

 現在、ハルト君は特別支援学校の高等部2年生だ。カウンセラーの助言で、その日、学校に行くか行かないかを本人に任せるようにしたら、週2回くらいのペースで行くようになった。そろそろ卒業後の進路を考えないといけないが、悩みは尽きない。

「知的障害がないから、頭は回転するんです。自分は通常の子たちと一緒に学べるはずなのに、何でここにいるのかという疑問をずっと持っているんですよ。卒業して障害者向けの事業所に入ったら、またそういう目で見られる。でも、自分は通常の企業や大学には行けない。

 本当は彼女も欲しいけど、『一生彼女なんかできないよ』とあきらめている。それで、何もできない自分なんて、いなきゃいいとか思っちゃうんでしょうね。小学生のころから、『死にたい』と言い出して……」

 つい先日も、些細なことでサチコさんと言い争いになり、ハルト君が「どうせ僕なんていなきゃいいんでしょ! 死ねばいいんでしょ!」と叫び出したのだという。

母親にばかり責任を取らせないで!

 ハルト君の主治医には「パニックになったら、安全な部屋に入れて離れてください」と言われているので、指示どおり様子を見ていた。静かなのでドアを開けてみると、ハルト君がベルトで自分の首を絞めている姿が目に入り、慌てて止めに入った。

「真っ赤な顔をして鏡を見ているから、焦っちゃって。どうにかベルトを外せたからよかったんですけど、何でこんなことするのと聞いたら、『死ぬってどういうことなのか、実験してみた』と。本当に怖かったです。小憎らしいと思うこともよくありますよ。でも、しゃべっているとすごく楽しいし、今はこの子がいてよかったなと思います」

 でもね、と言って、サチコさんは強い口調で続ける。

「ずっと母親として背負わされていたものが重かった。それがなかったら、子育てはあそこまで苦しくなかったのかもしれないと思いますね。だから、母親にばっかり責任を取らせないでほしい。

 奴隷とまでは言わないけど、愛情深くて、子どものことは何でも知っていて、家事も完璧で、社会の何でも屋みたいな母親のイメージを、ほんとぶっ壊したいです」

 もし、子どもを産む前に戻れるとしたら、もう一度子どもを産みますかと聞くと、サチコさんは「難しい質問ですね……」と言って考え込んだ。

「どっちとも言えないですね。みんながかわいいと言う乳幼児期が私にはつらい時期だったから、心から子育てが楽しいとか言っている人の気持ちが、いまだによくわからないんですよ」

     ◆

 次回は家を継いで2人の子どもを産んだ地方在住の女性の話をお伝えする。

はぎわら・きぬよ 大学卒業後、週刊誌記者を経て、フリーライターに。社会問題などをテーマに雑誌に寄稿。集英社オンラインにてルポ「ひきこもりからの脱出」を連載中。著書に『死ぬまで一人』(講談社)がある

取材・文/萩原絹代

このニュースに関するつぶやき

  • 根っ子は兄弟からの虐待と毒親問題。連鎖しないように頑張ってて偉い。息子くんも偉い。
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