ドーピングありの大会はスポーツか? エンハンストゲームズが突きつける倫理の壁【松田丈志の手ぶらでは帰さない!〜日本スポーツ<健康経営>論〜 第21回】

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2025年10月26日 22:40  週プレNEWS

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JADA(日本アンチ・ドーピング機構)のアスリート委員会には、競技も年齢も異なる様々なアスリートが名を連ね、クリーンで公正なスポーツを守るために活動しています。こちらはウエイトリフティングの斎藤里香さん(写真左)、陸上の室伏由佳さん(写真中央)と「アジア・オセアニア国際アンチ・ドーピングセミナー2018」でご一緒した時の様子。

「エンハンストゲームズ(Enhanced Games)」という大会の構想が、いま世界のスポーツ界に波紋を広げている。これは、ドーピングや遺伝子強化など通常は禁止されている手法を容認し、"薬物使用も可能"とする国際大会だ。2026年にラスベガスで初開催が予定され、競泳や陸上短距離、重量挙げなどが実施種目とされている。

主催者側は「科学の力を解放する」「人類の限界に挑む」と掲げ、高額賞金を用意している。たとえば、50m自由形で世界記録を更新すれば100万ドル(約1.5億円)のボーナスが出るという。一方、2025年世界水泳選手権の優勝賞金は2万ドル。金額差は圧倒的だ。

すでに、パリ五輪男子50メートル自由形銀メダリストのベン・プラウド(英)や、ロンドン五輪男子400mメドレーリレー銅のジェームズ・マグヌッセン(豪)が参加を表明している。

マグヌッセンは、私にとってロンドン五輪のリレーで競った因縁のライバルだ。入江陵介、北島康介、私、そして藤井拓郎で挑んだ日本チームが、男子400mメドレーリレーで日本初の銀メダルを獲得したあのレースで、最後にアンカー藤井を猛烈に追い上げたのが彼だった。マグヌッセンは個人でも100m自由形で銀メダル、2011年・2013年の世界水泳では金メダルを獲得している世界トップのスプリンターである。

その彼が語る。「いまの水泳界では生活を安定させられるほどの収入は得られない。エンハンストゲームズには"人生を支えるチャンス"がある」「世界記録を破れば100万ドル。自分は記録と、これからの10年の生活のために挑戦する」

ベン・プラウドもBBCに対しこう語っている。「13年世界の舞台で戦ってきて、ようやく1レース分の賞金に届く」「引退後も生活できるほどの収入は得られない。だからこそ、競技を続ける選択肢を探している」

このふたりの言葉は、現代アスリートが直面する厳しい経済的現実を突きつける。30歳を迎えたベンの言葉は、限られた賞金や助成金のなかで将来を模索する姿を物語っており、多くのトップ選手に共通する葛藤でもある。

一方、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)はこの構想を強く非難している。「これは危険で無責任な構想であり、WADAは断固として非難する。我々にとって、アスリートの健康と安全こそが最優先事項だ」と公式声明を出し、「娯楽やマーケティング目的で強力な薬物の使用を促進し、アスリートを危険にさらしている」と警告している。

ワールドアスレティックス(世界陸連)のセバスチャン・コー会長も「参加選手は主要大会の出場資格を失う可能性がある」と明言。オーストラリアの「Sport Integrity Australia」も「この構想は非倫理的で、スポーツの本質を損なう」「選手を金銭で搾取する形で薬物使用を促しており、若い世代に悪影響を与える」と厳しく批判している。

私はこれらの警鐘に全面的に同意する。スポーツとは、本来、自らの努力と工夫によって限界に挑む営みだからこそ、価値がある。科学の力は、データ分析や練習効率の向上、回復やケガ予防といった面でこそ活用されるべきであり、薬物の力で勝利やパフォーマンス向上を"買う"ことが許されるなら、それはもはや競技ではなく「人体実験」に他ならない。

使用が想定されている薬物・手法には、長期の安全性や競技使用に関する検証が十分でないものも含まれており、"実験的"とも言える状況にある。たとえ医療の専門家が監督しても、10年後、20年後の健康を誰も保証できない。将来的に、ボディビルのように「薬物使用あり」と「なし」が分離する時代が来るかもしれないが、それは望ましい姿ではない。

「薬物使用あり」が生み出すのは、一時的な高額報酬と、健康リスクを背負ったアスリートへの"人体実験"にすぎない。薬の力で得た記録に、スポーツ本来の価値や魅力は感じられない。

とはいえ、プラウドやマグヌッセンの言葉が突く現実もまた深刻だ。私はJADAのアスリート委員を長年務め、ドーピングには断固反対の立場だが、クリーンなアスリートが報われない現状にこそ問題の根本があると思っている。


努力を重ね、結果を出しても生活が立ちゆかない環境では、誰だって迷う。クリーンスポーツ側がすべきは、ただ「正義」を叫ぶことではない。アスリートが正しい選択を貫けるよう、経済的にも精神的にも支える仕組みを整えることだ。報酬、引退後のキャリア支援、そして社会が競技の価値を共有できる構造――その総合的な改革が求められている。

いま問われているのは、アスリートの価値観と、それを支える制度設計だ。私は、人間の努力と限界への挑戦こそがスポーツの本質だと信じている。個人の自由が尊重されるこの時代、アスリート一人ひとりが「自分は何に価値を置くのか」を問い直すと同時に、クリーンスポーツ側にもその選択を支える責任がある。

文/松田丈志 写真提供/Cloud9

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