
IT開発・組織づくりのプロである久松剛さんが、AIを用いた組織運営のヒントを、現場のリアルを交えてお送りする連載「AIよもやま話」。第2回は、これまで開発報酬のベースにあった「人月」という考え方が、AIの登場で通用しなくなりつつあるというお話です。
「この開発って、いくらが妥当なんだろう?」
プロダクト開発に関わる誰もが、一度は考える問いです。かつては「人月」という単位で開発費を計算するのが一般的でした。たとえば1人月100万円という相場で、作業量やスキルを平準化してきたのです。
しかし、AIの登場によって状況は一変しました。AIを活用することで開発スピードをブーストできるようになり、もともとの能力差が拡大しています。成果物の完成までの時間が短縮される一方で、同じ成果を生むために必要な「時間」や「人月」の価値が目減りしつつあるのです。結果として、開発の対価の算定方法が揺らぎ、それはエンジニアの給与や報酬体系にも波及しています。
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AIによってエンジニアリングの生産性が跳ね上がるなか、高い報酬を得るべきはどういう人なのか。今回は、海外で起業した友人の相談などをもとに、AI時代の“開発の対価”と“エンジニアの価値基準”について考えてみます。
私の友人Aは起業当初、日本のフリーランスエンジニアBと契約してプロダクト開発を進めていました。費用は月額100万円でした。
Bは、人柄は誠実で、対応も丁寧でした。しかし、開発は思うように進みませんでした。仕様の擦り合わせに時間がかかり、スプリントが終わるたびに、「思っていたより進まないけれど、こんなものなのかな」と感じることが増えていきました。
そんなとき、Aは海外でエンジニア出身の起業家Cと出会います。Cはかつて自らの事業を畳んだ経験があり、その時は次の起業に向けた準備期間で、たまたま安価に仕事を発注することができました。彼は世界的にトップレベルの技術を持つエンジニアでした。
AがスポットでCに開発を依頼したところ、数日で成果物が納品されました。しかもコードの品質も高く、短期間での安定稼働を実現。話を聞くと、Cは「バイブコーディング」(生成AIと協調しながら対話的にコードを書くスタイル)を使っていました。
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Bであれば数カ月かかると言われた作業ボリュームを、Cは数日で終わらせる。もちろん、Cが世界トップレベルのエンジニアであることは事実です。しかしAは、個人のスキル差以上に「開発という営みの構造」が変わりつつあることを感じ取ったとのことです。
その後、Aはある顧客から「このツールを作れないか?」と相談を受けます。プログラミング経験はゼロ。それでもAは「やってみます」と答えました。Cの助言で、Devin(ソフトウェア開発を自律的に行うAIエージェント)を契約し、AIと対話を重ねながらPythonで開発を進めます。
そして、これまでの経験から「タスクを細分化して伝えれば良さそうだ」と気付き、わずか3日で顧客向けのプロトタイプを完成させてしまったのです。
「AIと話しているうちに、いつの間にか動くものができていました」
Aの感想には、少しの驚きと確信が混じっていました。“作る”という行為が、専門職の枠を超え始めた瞬間です。
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ここで別の人物の話を紹介します。元メガベンチャー出身の起業家Dは、高いプログラミング能力を持った人たちにバイブコーディングさせるプロトタイプ開発に特化した受託会社を立ち上げていました。Dの会社では「安価」「短納期」「明確な成果物」という3つの成果をベースに報酬が決まる契約を顧客と結んでいました。
Dと話題になったのが「月に何件さばくと予定していた売上に繋がるのか?」というものです。
本当にスキルの高いITエンジニアを雇うには高い給与が必要です。その給与を支払うには少なくとも給与の2倍は売り上げが欲しいところです。
ただ、Dのプロダクトは最低金額を数十万円に設定していました。その場合、エンジニアの人数×2〜3倍の案件数は少なくとも受注する必要があります。
Dの会社の報酬設定は、エンジニア業界に根づく“人月の呪縛”に強く縛られていました。安価を設定すると営業地獄になる可能性がありますし、そこまで新規開発の需要も見込めません。これでは、予定していた売上に繋がらない恐れもあります。
AIや自動化が前提となった世界では、D社のように「どれだけ時間を使ったか」より「どんな成果を出したか」で報酬を決める構造が現実味を帯びてきています。ただ、報酬をいくらで設定すれば発注者も受注者も被雇用者も納得ができるのかは、大きな課題です。
最後に、社内ツールを開発するEの話を紹介します。Eの会社はAIとバイブコーディングを活用し、初期費用+月額利用料という“サブスク型開発モデル”を展開しています。開発を「納品」で終わらせず、運用や改善を継続して提供。開発そのものが「一度きりのプロジェクト」ではなく、「継続的なサービス」へ変わっていくと予想してのサービス展開です。
Eは「納期や成果物より、“改善が続くこと”にお金を払ってもらえるようになると考えています」と語ります。
彼の言うとおり、今後、成果ベースに続いて継続ベースの対価モデルが生まれる可能性はあります。しかし、このモデルには課題もあります。発注企業からして簡単なツールに見えてしまうと、内製化しやすいように見えてしまうため、発注に繋がりにくいというものです。
生成AIの台頭によって開発ハードルが下がってしまったがために、発注者が考える「発注しても良いかも」というハードルは上がっているように思います。私も周囲の企業にサブスク型開発モデルの話を持ちかけてみましたが、多くの企業が買い切りでないと決裁ハードルは高いと感じています。
これまで開発は「人月」という時間の積み重ねで価格が決まってきました。しかし、AIと自動化がスピードを底上げした今、時間そのものの価値が薄れています。
では、エンジニアの価値はどこに宿るのか。CのようにAIを適切に使いこなせるスキル。Aのように技術を知らずとも構想を言語化し、AIと対話できる力。DやEのように、新しい対価モデルを設計できる視点。共通しているのは、「判断し、設計し、価値を定義する力」が価値になっていることです。
開発の対価とは、もはや「コードを書いた時間」ではなく、「価値を生み出す思考」に支払われるものへと変わりつつあります。
AIが仕事を奪う──そう言われて久しいですが、実際に壊されつつあるのは、仕事そのものではなく「仕事の前提」です。人月、納期、請負契約といった、時間を基準にしていた“当たり前”が静かに姿を変えています。
AIが再定義したのは「速さ」ではなく、「価値をどう測るか」。開発の世界で起きているのは、「人が生み出す価値」をもう一度見つめ直す動きです。これからの時代、問われるのは「どれだけ作れたか」ではなく、「何を実装し、どう社会を動かしたか」。AIが変えるのはエンジニアの仕事ではなく、エンジニアの“価値基準”そのものなのです。
そして特にクライアントワークにおいては、その対価を発注者に対して納得させるプレゼンテーション力や営業力も求められるようになるでしょう。
久松剛
合同会社エンジニアリングマネージメント社長兼レンタルEM
IT開発組織づくりの水先案内人。合同会社エンジニアリングマネージメント社長兼レンタルEM。博士(政策・メディア)。IT研究職(動画転送、P2P)からビジネスに転身。ベンチャー3社で中間管理職を歴任。2022年に現職創業。大手からスタートアップに至るまで常時約20社でITエンジニア新卒・中途採用や育成、研修、制度設計、組織再構築、DevRelなどを幅広く支援。人材紹介会社やフリーランスエージェント、RPOの顧問も手掛ける。
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