
ドラフト会議が始まってからおよそ1時間15分が経過した頃。チームメイトに囲まれ、その瞬間を待っていた勝田成(近畿大)の名前が、広島東洋カープの3位指名で読み上げられると、会見場はスティックバルーンを叩く音と歓声に包まれた。
「同じ大学日本代表(大学ジャパン)の仲間たちが次々と指名されていくなかで、特に3位では内野手の名前が次々に呼ばれていたので、自分としては少し焦りもありました。それだけに、広島東洋カープさんから指名していただけて、本当によかったです」
そして勝田は、緩みかけた表情をキュッと引き締め、こう続けた。
「ここで泣くのは違うのかなって。やっとスタートラインに立てたので、ここからまたイチから頑張っていかないといけないと思いました」
【侍ジャパン・井端監督も絶賛】
広島からの指名は、勝田にとってまさに運命的とも言える。というのも、中学時代から目標としてきたのが、カープの名手・菊池涼介だったからだ。長年憧れてきた存在が、これからは最も身近な先輩となり、追いかけるべき背中へと変わる。
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「菊池選手と同じユニフォームを着られる。これからはチームメイトになるんですけど、自分はセカンドのポジションを獲りにいくつもりで頑張ろうと思います」
勝田を見て、まず目を引くのは163センチという小柄な体格だ。関大北陽(大阪)時代は二塁手や遊撃手として活躍し、堅実な守備を見せていた。3年夏の大阪大会準決勝では、大阪桐蔭と激闘を繰り広げたものの、あと一歩届かなかった。
関大北陽の辻本忠監督は、勝田が守備に強いこだわりを持つようになったきっかけについて、こう語っている。
「たしか勝田がレギュラーになったばかりの1年生秋の大阪大会だったと思います。4回戦の初芝立命館戦で、勝田が二塁でトンネルをして失点し、それが決勝点になって負けてしまったんです。あの試合以降ですね、『ボールを絶対に捕る』という執着心が一段と強くなったのは」
勝田の入学当初の体重は50キロ前後。それでも練習熱心さは群を抜いていたと、辻本監督は振り返る。
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「とにかくガリガリでした(笑)。でも守備がうまかったので、1年の夏からベンチ入りさせていました。こちらから『練習しろ』と言ったことは一度もありません。むしろ『もう練習をやめろ』と言ったことならありますけどね」
体が小さいからこそ、どうすべきかを考えながら練習に向き合う勝田の姿を、辻本監督は今も鮮明に記憶している。
「身長が低いと、打球が頭の上を越えてしまうと思われがちじゃないですか。でも勝田は、そうならないためにジャンプ力をつけたり、球際での強さを磨いたりと、常に工夫しながら練習していました。普段から周りがよく見えていて、野球をよく理解している選手でしたね。
(侍ジャパンのトップチーム監督である)井端弘和さんも『勝田は野球をよく知っている』と褒めてくださいましたが、まさにそのとおりです。高校時代から、次はこうしようと常に考えながら練習していましたから、厳しいことを言ったことはありません」
【成長の糧になったある先輩の存在】
高校卒業後に進んだ近畿大でも、勝田は1年秋からレギュラーをつかんだ。しかし、光元一洋監督によると、入学当初は決して目立った存在ではなかったという。
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「今の4年生世代は、(楽天に7位指名された)阪上翔也をはじめ、高校の時に甲子園を経験した選手が多く、当初、勝田はそれほど目立つ存在ではありませんでした。ですが、春のリーグ戦で優勝し、大学選手権を前に行なわれたチャレンジリーグ(新人戦)で少し結果を残したんです。その後、東京遠征にも帯同させたところ動きがとてもよくて、秋のオープン戦あたりから起用するようになりました」
それ以降、勝田は二塁手としてスタメンに名を連ねるようになった。当時、同じように小柄ながら下級生の頃からレギュラーとして活躍していたある先輩の存在も大きかった。
「坂下(翔馬)さんとは、いつも一緒にバッティング練習をしてきたことが大きかったです。追い込まれてからの選球眼や粘り方など、坂下さんの打撃を試合で間近に見ることができたのが、自分の成長にもつながったと思います」
坂下(現・パナソニック)は165センチながら、攻守で近大を牽引した2年上の先輩だ。その坂下は、智辯学園(奈良)時代は1年夏からショートを守り、3年夏の奈良大会では新記録となる5本塁打を放ち、U−18高校日本代表の主将も務めた選手だ。近大でも「1番・ショート」としてチームを牽引し、3度のベストナインに輝いた"小さな巨人"だ。
坂下の活躍は、勝田にとって大きな刺激であり、原動力にもなっていた。坂下が近大を卒業したあとは、勝田がチームを引っ張る存在となった。それでも小柄な体格ゆえに、プロを目指すうえでネガティブな言葉をかけられることも少なくなかった。
「自分はずっとプロ野球選手になることを夢見てきました。でも、『おまえの身長では無理だ』といった厳しい言葉をかけられたこともありました。自分は長打力があるタイプではありませんが、"雑草魂"というか、"なにくそ精神"で見返してやろうという思いでここまで頑張ってきました」
【立石正広から学んだトレーニング法】
現時点のNPBで最も小柄な選手は、身長164センチの滝沢夏央(西武)だ。滝沢は2021年に関根学園(新潟)から育成ドラフト2位でプロ入り。軽快なグラブさばきと俊足を武器にアピールを続け、1年目の5月には支配下登録を勝ち取った。今では名手・源田壮亮の後継者とも称され、西武に欠かせない存在へと成長している。
滝沢のような前例があったからこそ、勝田はあきらめなかった。
「小柄な自分でも何ができるのか、どうすれば相手が嫌がるようなプレーができるのか。そんなことを常に考えながら、これまで取り組んできました」
上背こそないものの、勝田の体は太く引き締まり、どっしりとした印象を与える。そんな肉体づくりを意識し始めたのは、昨年に経験したある出来事がきっかけだった。
「昨年、侍ジャパンに選んでいただいた時に、渡部聖弥さん(大阪商業大→西武2位)や西川史礁さん(青山学院大→ロッテ1位)と一緒にプレーする機会がありました。ふたりの体格や筋肉量を見て、自分との差を強く感じたんです。そこから『イチから鍛え直そう』と思い、自分でトレーニングメニューを組みました。その成果が、春のリーグ戦での結果につながったと思います」
3年生の頃は、筋肉量の少なさを痛感し、徹底的に筋力トレーニングに取り組んだ。そして4年生になると、筋肉量を維持しながら瞬発力を高めるためのトレーニングにも時間をかけた。
今年の大学日本代表でともに戦った立石正広(創価大→阪神1位)に、トレーニング方法について助言を求めていたことも、大きな転機となったという。
「立石は打球を遠くまで飛ばせるし、強い打球も打てる選手ですが、瞬発力も大事という考えがあると聞きました。実際、立石も瞬発系のトレーニングメニューを取り入れていたので、いろいろと話を聞いて自分も参考にさせてもらいました。さらに、高校時代に学んだ瞬発力を高めるトレーニングも組み合わせたことで、大きく変わることができました」
下級生の頃は、与えられたメニューをただこなすだけだった。しかし、トレーニング方法を見直したことで、その成果は目に見えて表れるようになった。体重自体は昨年より約2キロ増えた程度だったが、脂肪が減り、筋肉量が増えた。
「4年生になって、打球が速くなり、強さが出てきたので、『筋肉がついたんだな』と実感しました。プロの世界でも、ケガをせずに試合に出続けられる選手が活躍していると思うんです。だからこそ、大学のうちから自分で考えて、そうした体づくりを身につけていかなければならないと感じました」
163センチの勝田が正式に広島へ入団すれば、NPBで最も小柄な選手となる。当然、プロの世界で勝負する覚悟はできているが、勝田にはもうひとつ別の思いがある。
「自分が活躍することで、小柄な選手でもやれるんだということを証明したいですね。まずは一軍の舞台で、チームの勝利に貢献できるような選手になりたいと思います」
勝田が「目立つかなと思って......」と、大学1年からずっとつけてきた赤のリストバンドは、広島のチームカラーと一致する。これからは最も赤の似合う、そして小柄な選手に夢や希望を与えられる選手──勝田の挑戦がいよいよ始まる。
