
8月3日、神宮球場。ヤクルト北村恵吾は「やっとチャンスがきたなって思いました」と語るように、阪神戦の8回裏、代打として1年半ぶりに一軍の打席を迎えていた。
二軍では打率1割後半から2割前半と低迷していた時期もあったが、「ヒットが出始めてきたころでした」と振り返るように、最終的には打率.235、2本塁打の成績を残しての昇格だった。
【120パーセントの集中力】
無死二、三塁、マウンドには岩貞祐太。チームにとってもダメ押しのチャンスだった。
「打席に立った時はふわふわした感じで、正直けっこうヤバかったです(笑)。懐かしい、というわけではないんですけど、『うわっ、この(一軍の)感じだ』って。不安は1ミリもなくて、『絶対にやってやる』と思っていました。でも、初球からまったく関係ないボール球を振ってしまい焦ったんですけど、追い込まれてからボール球を見逃したり、ファウルで粘ったりして一気に落ち着いたというか。もう大丈夫かなという感じでしたね」
結果はレフトへの3ラン本塁打。この一発をきっかけに、北村は二軍の戸田へ戻ることなく、そのまま一軍でシーズンを完走することになった。
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「ヒットがすべての答えじゃないと思っていて、粘ってカウントを整えて、勝負強いバッターになりたい。得点圏打率や出塁率にもこだわってきましたし、OPSも8割を超えました。ホームランはまだ少ないですけど、今年はキリよく5本打てました。今年のペースをフルシーズンに換算すれば20本くらいになるので、自分の目指している結果には近づけたのかな、と感じています」
一軍の舞台で躍動する北村の姿を見ていると、一軍向きの選手なのかなと何度も感じさせられた。
「周りの人からも、冗談まじりですけどよく言われました。『ファームの時と動きが全然違うじゃん』『おまえ、二軍ではふざけてやってたんだろう』って(笑)。二軍でももちろん100パーセントでやっていましたけど、一軍だと意識しなくても神経が研ぎ澄まされるというか、120パーセントの集中力になるというか......。頭もだいぶ使いましたね。大学の頃から『ここ一番の集中力はすごい』と言われていたので、多少なりとも自分のなかで変化はあったと思います」
守備ではあらゆる打球を想定。打席ではいろいろな球種、変化量まで想定した。
「漠然と打席に立ったり、なんとなく守備についたりすることは、1試合、1打席たりともありませんでした。『一軍は体が疲れるのは当然だけど、精神的にも疲れるぞ』と聞いていましたが、その意味を身にしみて感じました」
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【心が折れかけた2年間】
北村は2022年、中央大からドラフト5位で指名され入団した。ルーキーイヤーにはプロ初安打を満塁ホームランで飾る鮮烈なデビューを果たしたものの、その後は思うような結果を残せずにいた。
「去年はケガもあり、手ごたえを感じたことがまったなくて、マジ悔しかったですね。一軍に一度も行けなかった悔しさもあるし、実家に帰っても友だちとかにいろいろ言われました。知り合いの方たちにも、恥ずかしいというか合わせる顔がなかったですね」
迎えた3年目は「今年もダメだったら、現役ドラフトとか育成落ちもある。場合によっては戦力外もあると、相当な覚悟をもっていましたが、バッティングでも守備でもチームに迷惑をかけてしまって......」と、苦しんだ。
ドラフト同期や後輩は、次々に一軍に抜擢。二軍で楽しそうに練習し、試合をする北村を眺めていると、戸田の居心地がいいのかなと思うこともあった。
「同期や後輩が一軍で活躍する姿はもちろん刺激になりましたし、負けてられないという気持ちはありました。でも、誰かと比較したところで自分がどうこうなることはない。変に焦ってもいいようには回らないし、腐ることはなかったです。それが自分のポリシーというか、ベクトルは常に自分に向いているので。ただ、心が折れかけたことはありました」
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そうした状況のなか、北村は4月を過ぎたころから、土橋勝征コーチと西浦直亨コーチによる試合後の特守に取り組み、さらにその後は室内練習場で坪井智哉コーチとの特打をこなす。そんな毎日のルーティンが続いていた。
「自分の成績がついてこなくても、これだけは最後まで続けようと思って、土橋さんと坪井さんにお願いしたんです。ファームでは、誰よりも練習量を確保してきた自信はありました。だから、これでダメだったらあきらめる......とまではいかないですけど、それくらいの覚悟でやっていました」
継続は力なり──北村の座右の銘であり、その言葉どおり練習は嘘をつかなかった。灼熱の戸田で特守を積み重ねたことで、「体力もつきましたし、足も動くようになって体にキレも出ました」と語るように、守備で見られた重たい動きはなくなっていた。
そして8月、一軍昇格を果たすと、北村は地に足のついたプレーで着実に結果を残し続けた。
【一流投手と対峙して芽生えた自信】
北村が「頭もだいぶ使いました」と前述したが、打撃に関してはそれが顕著だった。
「最初は『自分の実力を試したい』という気持ちで打席に立っていて、配球もあまり考えず、まずは真っすぐで入っていく。打てそうだと思ったら、当たって砕けろという感じで全部振りにいっていました。一軍のエースや勝ちパターンのピッチャーのボールなんて打てるはずがない、最初はそう思っていたんです。
でも、DeNAの東(克樹)さんのような一流投手の"ストライクからボールになる球"を見逃せたり、実際に打つことができたりして、『あれ、自分って一軍でもいけるかも(笑)』と思えるようになりました。それが大きな自信になりましたし、そこから打席でのアプローチが自分のなかで確立されていったのかもしれません」
追い込まれるまでは、どんなピッチャーでも真っすぐを狙い、浮いた変化球は打つ。それで結果が出れば、次にチャンスで回ってきたら思いきって変化球を待つこともある。これが、北村の打席での基本的なアプローチだった。
「たとえば、この投手のこのカウントならストライクが取れる変化球か、真っすぐを投げてくるのか。そうした傾向を把握して、自分が狙っているボールを少しでも投げさせるようにカウントを整えるんです。この考え方は宮出(隆自)コーチから教えてもらいました。
極端にいえば、投げてくるボールがわかっていれば、自分の状態がそこまでよくなくても打てます。だから、自分のバッティングフォームの形にばかり気を取られるのではなく、配球やタイミングに重きを置くようにしていました」
準備は前日から始まる。「次の日の先発投手の動画も見ますが」と話して続けた。
「たとえば相手が阪神なら、予告先発の投手が梅野(隆太郎)さんと組んでいる試合、坂本(誠志郎)さんと組んでいる試合を見比べます。ピッチャーはキャッチャーのサインにうなずいて投げるわけなので、キャッチャー本位で見ていくと配球が全然違うんだなと気づくんです。 そういう動画をじっくり見て分析して、『明日はこのプランでいこう』と、打っている場面をイメージしてから寝る。これはファームの頃から習慣になっていました。やっておかないと不安になるので」
【相手バッテリーを揺さぶった工夫】
結果を出すことで、相手も北村を研究してきた。
「すごく感じたのは、左投手に対しては打率3割くらいあったんですけど、大松(尚逸)コーチがデータを出してくれたところ近めのボールは打ってなくて、落ちる球や少し甘く入ってきた外寄りの真っすぐを引っかけて、レフト方向にヒットにしていたんです」
相手チームはそこをついてきたという。
「その傾向がデータに出ていたので、内角の真っすぐやカット系をどんどん増やしてくるようになったんです。それを気にしすぎてしまって、バッティングが少し崩れてしまった時期もあったのですが、神宮の最終戦(9月28日)で巨人の横川(凱)投手と対戦した時に閃いたというか......。内寄りのボールの意識も含めて、最初から手がない状況をつくれへんかなと」
そうして、北村はバッターボックスの内側のラインに「ホントにつま先がかかるくらいにビタビタに立ってみたんです」と話した。
「そうしたら、胸元がすごく窮屈に感じて、自然と手が出なくなったんです。『これ、めっちゃいいかも』って。それで、30日のDeNA戦(横浜)も先発が左のケイ投手だったので同じように立ってみたところ、キャッチャーの山本祐大さんに『近くに立ちすぎやろ』と。バッテリーにそこまで意識させられたのは大きかったですし、『やっぱりこれ、いいかも』とあらためて思いました(笑)」
この対戦で、北村は四球を選んで出塁した。
「今までやってこなかったことに、自分なりにいろいろチャレンジして、それがいい方向にハマったこともありました。変化を恐れずに挑戦するのは大事なんだなと思いましたね」
今シーズン、北村は出場46試合で、30試合に先発。守備はファースト、セカンド、サード、ライトとレフトを守った。打順は3番、5番、6番、7番、そして、4番も4試合だが任された。
「今年、ある程度、試合に出させてもらって、結果を少しは残せたのは自分の中でも自信になりました。来年はサードでもセカンドでも、試合に出ることしか考えてないですね」
つづく>>
