
「だってずっと孤独なんだもん 友達もいるし仕事も楽しいけど 盤上では独りなんだもん 漫画家さんも似たようなとこあるんじゃないですか?」(くずしろ『笑顔のたえない職場です』より)
オタク/サブカルチャー/エンターテインメントに関する記事を多数執筆。この頃は次々出て来るあらたな傑作に腰まで浸かって溺死寸前(幸せ)。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』における特集記事、マルハン東日本のWebサイト「ヲトナ基地」における連載など。Twitter:@kaiennote:@kaien
さて、そういうわけで(どういうわけだ?)、連載記事「地球はエンタメでまわってる」をお送りします。
で、今回、取り上げる作品はくずしろ『笑顔のたえない職場です。』。これがね、面白いんですよ。客観的評価とかいう幻想を水平線の向こうに放り投げて、単純に「好き、嫌い」でいうなら、いまいちばん好きなマンガはこれになると思います。
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ぼくは連載が単行本にまとまるのを待てず、ネットで2週に1度の更新を待ちかまえて有料で読んでいる。そのくらい魅力的な作品なんですね。
とにかく、読んでいて楽しい! 物語の主人公が漫画家たちだから、べつだん、世間を震撼させるようなとんでもない事件が起こるわけでもなく、絵面的にはむしろ地味なエピソードが続いているはずなんだけれど、まったく飽きることがありません。
ああ、マンガってほんとうに「生きた」キャラクターがいてくれれば、自然と面白くなっていくものなんだな、と心から実感させられる作品です。
もちろん、あるいは作者のくずしろさんにはクールな計算があるのかもしれませんが、一読者として見ていると生きて自我を持ったキャラクターたちが自由奔放に動きまわっているようにしか見えない。すばら。
ネガティヴで妄想癖があって人見知りでコミュ障、放っておくとどんどん暗い想像にひきずり込まれてゆく主人公の少女漫画家・双見も良いけれど、「わき」のキャラクターたちがいちいち個性的。
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ことに「とーこさん」こと角館塔子と、「梨田さん」こと梨田ありさがすごく良い。このふたりはぼくのなかでひさしぶりに「呼び捨てで名前を書くと違和感バリバリ」というところまで来ているので、ここでも敬称付きで書くことにします。
このマンガはそんなネガティヴな双見を中心に、人気やら世評やらと格闘しながら少しずつ成長してゆく漫画家群像を描いたライトなコメディです。
と、こう書いただけではわりとありがちな設定のように思われる方もいらっしゃるかと思います。じっさい、ときに「美少女動物園」と揶揄されるような、たくさん女の子が出てきてわちゃわちゃとしているタイプのマンガには違いない。
しかし、ぼくの見るところ、それでもこの作品の魅力はきわだって突出したものがある。
ある種、現実離れしたファンタジーには違いないんだけれど、不思議と一定のリアリティを感じさせるんですね。それはひとつには、漫画家がときに迷走しながらも順調にステップアップしてゆくプロセスがきわめて丁寧に描き抜かれているからでもあるでしょう。
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だけれど、それだけでもない。出て来るキャラクターのひとりひとりが、長所も欠点も含めてきちんと立体的に造形されている点が大きいと感じます。
そう、基本的にはみんなそれなりにマジメで前向きに成長していっているんだけれど、どこかしら人間的に欠けているところがあって、そこが見ていて強烈な実在感を感じさせるのです。
もちろん、その人格を完璧にせず、何か欠点をもうけることはキャラクターを作ろうとするときの基本中の基本ではあります。でも、この作品の場合、作品のリアリティラインを崩しかねないくらいムチャな性格をした子が出て来るんですね。
先ほど名前を挙げた梨田さんはその典型。というか、ぼくは最近、この手の美少女系コメディでここまでやりたい放題なキャラクターを見た覚えがない。
一面では才能ある漫画家でありながら酒びたりで不摂生な生活をしているくらいなら他にもいるかもしれませんが、相手を選ばず暴言を吐くわ、すぐ調子に乗って自慢話を始めるわ、そのわりに簡単にしょげるわ、め、めんどくさい、ほんとうにめんどくさくて、ある意味、まわりにいたらものすごく迷惑そうな人なんですよ。
でも、どういうわけか不思議な愛嬌があって許さざるを得ないところが救い(たぶん)。「いいなあ、愛されている奴はよ」が口癖で、いつも甘やかされたがっているんだけれど、めちゃくちゃ打たれ弱くてちょっと怒られるとしゅんとするあたりが可愛げになっているのだと思います。
いわゆる「男性向け」のアニメやマンガの場合、出て来る女の子は、多少なりとも美化されて描かれて、あまりめちゃくちゃな性格にはならないケースが多いと思うのですが、ここに来て本気で性格が屈折しているキャラクターが出て来ているようにも思えることは、たいへん興味深いですね。
一方の塔子さんは一見すると完璧超人のようにも見える、心優しく物腰たおやかな美人棋士です。この人は、じつは「この作品を読んでいるかぎりでは」とくに大きな欠点はないように見える。
どういうことか。じつはこの『笑顔のたえない職場です。』は、べつの雑誌で同時に連載されている『永世乙女の戦い方』とリンクし、クロスオーバーしており、塔子さんはそちらのほうにも出て来るのです。
で、そっちの塔子さんはこっちの塔子さんとまったく印象が違う。ほとんど、「え、あの、角館塔子さんでいらっしゃいますよね?」と問い質したくなるくらいキャラクターに違いがあるように見えるのです。
といっても、もちろん同じ人物ではあるのですが、作品によって見せている顔が違うということになります。
また、この『笑顔のたえない職場です。』は、じつはくずしろさんがいままで描いてきた他の作品とも少しだけリンクしていたりします。いわば、複数の作品宇宙をつなぐクロッシング・ポイントなんですね。
こういったやりかたは、もちろん例がないわけではありません。たとえば、〈モダンホラーの帝王〉スティーヴン・キングの作品世界なんかはどこかですべてがつながっているように見えますし、ちょっと古い例としては永井豪の作品は『バイオレンスジャック』で融合を遂げました。
ひとりの作者の頭のなかから生まれた複数の作品がときにひとつに戻っていくのはある意味では必然なのかもしれません。
ただ、『笑顔のたえない職場です。』の場合、あくまでライトなコメディでありながら、どこまでもシリアスな『永世乙女の戦い方』と裏表の関係にあるのが面白いところ。
両方とも読んでみると塔子さんがいかにふだんとは違う顔を見せているのかわかって楽しいです。人間の性格には多面性があるということではあるんだろうけれど。
この描写、いちばん近いのはCLAMPの『×××HOLiC』と『ツバサ・クロニクル』の関係かもしれません。読んでいてとても面白いです。
いずれにしても双見にしろ、梨田さんにしろ、塔子さんにしろ、ぼくのなかではもう、「生きた」存在として確立されていて、マンガのキャラクターとしてどう魅力的か、と語ることそのものが何か違う気すらしています。
だって、じっさいにいるんだもん、この人たち。もし逢ったらすぐわかると思いますよ? いや、このように書くと痛い人を見る目で見られるかもしれないけれど。
自分の人生でいろいろ苦労や挫折があったとき、それと並行して進んでいるフィクションのなかで、登場人物たちが同じように苦しみながらも立ち上がり、運命に立ち向かっていくところを見られるのは、なんと素晴らしいことなのでしょう。
双見たちはもう、ぼくにとっては生身の友達同様に生々しい存在です。いや、ほんと、ぼくのなかでは生きているんだよ、彼女たちは。
ただストーリーを追いかけるだけではなく、その喜怒哀楽をともに味わいながらべつの人生を眺められる。ビジネスにも金儲けにも一切なんの役にも立たないにもかかわらず、ぼくがマンガを読んでいてほんとうに良かったと思う理由が、ここにあります。
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