
MLBのサムライたち〜大谷翔平につながる道
連載18:岩村明憲
届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。
MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第18回は、タンパベイ・レイズの歴史の象徴にもなった岩村明憲を紹介する。
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【初のワールドシリーズ進出決定の瞬間】
タンパベイ・レイズの本拠地トロピカーナ・フィールドの敷地内には岩村明憲の銅像が設置され、2023年9月にお披露目のセレモニーも挙行された。
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チーム創設25周年を記念し、「球団史上最大のふたつの象徴的な瞬間」として称えられた銅像のうちの一体。ボストン・レッドソックスと戦った2008年のア・リーグ優勝決定シリーズ第7戦のラストシーンだ。9回二死から岩村が2塁ベースを踏んで最後のアウトを取り、両腕を上げてガッツポーズしたシーンは、レイズの歴史においてそれだけのインパクトがあったということだ。
「とにかくレイズの方々には感謝しかない。レイズの歴史の一部に関われたことをうれしく思います」
セレモニーの際、岩村はそんな謙虚なコメントを残していた。このエピソードを振り返るまでもなく、2007〜09年をレイズで過ごした"アキ"がチームの周囲の人々から"成功者"として記憶されていることは間違いないだろう。
岩村は2006年のシーズン後、ヤクルトからポスティングシステムを通じてデビルレイズ(現レイズ)に移籍した。入札額は455万ドル(約6億8250万円)、年俸は3年総額770万ドル(約11億5500万円)。当時、内野手としてはニューヨーク・メッツの松井稼頭央、ロサンゼルス・ドジャースの中村紀洋、シカゴ・ホワイトソックスの井口資仁に続く4人目の日本人メジャーリーガーだった。まだ実績を残した内野手が少なかっただけに、条件は低めに抑えられた。
ただ、岩村は間違いなくこれらの契約が"過小評価だった"と周囲に思わせるだけの働きを見せた。1年目は開幕戦から9試合連続安打と好調なスタートを切ると、故障離脱こそあったが、その時期以外は三塁のレギュラーをキープ。レイズは3年連続地区最下位に終わったものの、123試合で打率.285、7本塁打という好成績を残した。
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最大の輝きを放ったのは、2年目の2008年だった。この年、レイズは突如として強豪にのし上がり、創設11年目で初のア・リーグ東地区優勝。 プレーオフでも勝ち進み、最後はフィラデルフィア・フィリーズに敗れたもののワールドシリーズまでの快進撃はメジャーを驚愕させた。
岩村はこのシーズン、躍進チームの切り込み隊長としてすっかり定着し、152試合に出場して打率.274、6本塁打、48打点と2年連続で安定した打撃成績を残した。しかもスーパールーキーのエバン・ロンゴリアに三塁を譲り、不慣れなはずの二塁の守備にもスムーズに適応。さらに若手が多いレイズのリーダー的存在にまでなった。
【優れたコミュニケーション力と選手としての適応力】
岩村に関して特筆されて然るべき点は、英語が母国語ではない日本人ながらチームリーダーとしての地位を確立したことだろう。チームが不振に陥った際、景気づけとして岩村の髪型を真似てチーム内に"モヒカンブーム"が起こったことは、大きな話題になった。クリフ・フロイドが「アキはコミュニケーションが上手だね」と評すれば、ホルヘ・カントゥは「彼といい関係を築いている選手は僕のほかにも多いはずだ」と話すなど、そのコミュニケーション能力に舌を巻いたベテラン選手は枚挙にいとまがない。
当時、正遊撃手を務めていたジェイソン・バートレットも岩村と仲がよくなった選手のひとり。岩村との二遊間コンビは2008年からだが、「適応は簡単だったよ。アキは運動能力が優れているからどこでも守れるし、僕たちはよく一緒に食事に行くくらい仲がいいからね」と笑顔で語っていたのが印象深い。頻繁にチームを救った「イワーレット(息のあった岩村とバートレットを併せた造語/タンパベイ地元紙記者談)」の連係プレーは、そのケミストリーゆえに生まれたものだった。
名将ジョー・マドン監督が標榜する細かなベースボールに、岩村はよくフィットした。ただ、岩村はもともとNPB時代の2004〜06年には3年連続30本塁打以上のパワーヒッターだったことを忘れてはならない。メジャーではリードオフマン、つなぎ役としてこれだけの実績を残せたのは、その適応能力があればこそ。新天地に自らを合わせる柔軟性を持っていたがゆえ、フィールド上でも、フィールド外でも躍進チームのリーダーになることが可能になったのだろう。
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だが、好事魔多し。岩村は3年目の2009年5月、守備中に左膝前十字靭帯断裂の大ケガを負った。翌年以降はピッツバーグ・パイレーツ、オークランド・アスレチックスと移籍するも、やはり故障が響いたか、2度とメジャーでの最初の2年間の輝きを取り戻すことはなかった。
ただ、たとえそうだとしても、特にタンパのファンは"アキ"の存在を忘れることはない。トロピカーナ・フィールドの銅像を目にし、あの伝説的な2008年に想いを馳せるたびに、溌剌(はつらつ)としたプレーが売り物だった日本人リーダーのことを好意的に思い出すに違いない。
【Profile】いわむら・あきのり/1979年2月9日、愛媛県出身。宇和島東高(愛媛)。1996年NPBドラフト2位(ヤクルト)。2006年12月にポスティングシステムによりレイズと契約。
●NPB所属歴(13年):ヤクルト(1998〜2006)―東北楽天(2011〜12)―東京ヤクルト(2013〜14)
●NPB通算成績:1194試合出場/打率.290/1172安打/193本塁打/615打点/67盗塁/出塁率.358/長打率.494
●MLB所属歴(4年):タンパベイ・レイズ(2007〜09/ア)―ピッツバーグ・パイレーツ(2010/ナ)―オークランド・アスレチックス(2010/ア) *ア=アメリカン・リーグ、ナ=ナショナル・リーグ
●MLB通算成績:レギュラーシーズン=408試合出場/打率.267/413安打/16本塁打/117打点/32盗塁/出塁率.360/長打率.462 プレーオフ(1年)=16試合出場/打率.273/18安打/1本塁打/5打点/出塁率.342/長打率.409(2008)
●日本代表歴:2006年WBC(優勝)、2009年WBC(優勝)
