
「隠れ介護 1300万人の激震」──。衝撃的な見出しが『日経ビジネス』の表紙を飾ったのは、2016年9月のこと。就業者6357万人のうち、5人に1人が隠れ介護と報じられました。その多くは40〜50代の管理職。「介護のことを話せば、周りが気を遣うから会社には言えない」「会社に言えば迷惑を掛けることになる」と、責任ある立場であるがゆえに隠れ介護を選択していたのです。
【画像】家族介護者・ビジネスケアラー・介護離職者の人数の推移
その実態は、公的なデータにも表れています。経産省が2023年3月に公表した資料によると、仕事をしながら家族などの介護に従事する「ビジネスケアラー」は、2020年で262万人。2030年には家族介護者833万人に対して、その約4割(約318万人)がビジネスケアラーとなると推計されています。これらの数字に「隠れ介護」は含まれていないので、実際にはもっと多い人たちが、働きながら介護をしていると考えられます。
しかし、問題の真の深刻さは、数そのものではなく、介護者が直面する「質」にあるといえます。
●苦しむビジネスケアラーを放置する会社
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介護の最大の問題は、実際に「冷たい雨」にぬれないと、その雨の冷たさが分からないということ。この不合理が、介護をしている人を追い詰め、出口の見えない孤独な回廊に引きずり込んでしまうのです。
先日、マイナビが実施したビジネスケアラーに関する調査でも、残念かつ期待はずれな結果が明らかになりました。
36.9%の企業が「介護離職防止のための雇用環境整備を現在実施していない」とし、そのうち56.1%が「今後も実施予定がない」と回答したのです。また「ビジネスケアラーへの支援制度があり、内容も十分である」と考える企業はたったの1割。「仕事と介護の両立支援」を人事部門の優先課題として挙げた企業は14.9%で、ビジネスケアラーへの支援や介護への理解を促進する取り組みは、「介護を行う社員が増えた場合に検討したい」(43.5%)、「介護離職が増えた場合に検討したい」(34.3%)などが上位を占めました。
社員が増えてから? 離職者が増えてから? 申し訳ないけれど「やる気がない」としか思えません。
前述の経産省が発表した報告書によると、40〜44歳層におけるケアラーの人数は33万人(2020年時点)であるのに対し、45〜49歳層におけるケアラーの人数は65万人。45〜49歳層におけるケアラーの人数は、10年後の2030年時点に171万人となり、およそ6人に1人が介護をしている状態です。また、ビジネスケアラーは男性が多いことも分かっています。
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つまり、ビジネスケアラー問題の放置は「経営の自殺行為」です。超高齢化社会に直面する日本は、世界中のどこの国よりも率先して、介護の多種多様な問題に取り組まないと“痩せる”ばかりです。実際、ビジネスケアラーの離職や労働生産性の低下に伴う経済損失額は、約9兆円に上るとされています。
介護問題は極めて重要な経営課題です。にもかかわらず「介護支援に積極的に取り組む予定がない」とは。言葉がありません。その認識の甘さが、働く介護者を追い詰めるのです。
●ビジネスケアラーのリアルな声
介護は育児と異なり、親の“変化”は突然です。一つの大きな変化をきっかけに、次々と予期せぬことが起こり、状況が一時的に改善することはあっても、長期化することがほとんどです。この「いつまで続くか分からない」という出口のない不安と、仕事との多重役割による葛藤と疲労から、うつ傾向が強まるケースは決して少なくありません。
大手メーカー勤務のAさん(50代)もその一人です。
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「会社には、親のことは話していません。周りに心配をかけたくないとか、自分の評価に影響するんじゃないかとか、あれこれ理由はつけられますけれど、ただ単に言いたくなかったんだと思います。介護問題って、実家と会社の往復など物理的な問題もあるけれど、精神的な問題も同じくらい大きい」
「私の場合、自分の仕事のパフォーマンスが低下しているのがストレスでした。別に上司に言われたとか、ミスしたわけでもない。ただただ父が倒れてから『これでもか!』というくらい両親のことが頭から離れないので、仕事に集中できなかった。常にイライラしていました」
「自転車に乗っている時に転んで手首を捻挫して。もう限界でした。妻に言われて病院に行ったら、『うつ傾向なので仕事を少し休んだ方がいい』と言われました。でも、この状態で会社を休むのは何か違うような気がして。ですが、会社は続けられなかった。金銭的な問題もあるので両立できればよかったのでしょうけどね。周りに迷惑を掛けたくないし、思い通りの仕事ができない自分もいやだった」
ただ単に言いたくなかった──。なんて悲しい言葉なのでしょうか。この言葉には会社への信頼の欠如と絶望が含まれています。「人的資本」だの「心理的安全性」だのが経営の最重要テーマとして叫ばれているのに、会社組織の最上階の人たちは、偉くなると年をとらないとでも思っているのでしょうか。
●介護問題を「自分ごと」にする
繰り返しますが、介護問題は誰にでもある日突然、起こりうる問題です。「介護をする社員が増えてから」「介護で離職する社員が増えてから」などと、悠長かつ無責任なことを言ってないで、企業は早急に取り組むべきです。
と、何だか書いているだけで悲しくなってきたので、会社のため、社員のため、「私」のために、介護問題に積極的に取り組んでいる企業を紹介します。日立製作所です。
私が同社の支援策の詳細を知ったのは、日立製作所の担当者が私の書いた介護問題に関するコラムを読み、連絡をくれたのがきっかけでした。同社では45歳以上の社員が46%以上を占めることから、「介護離職はしない・させない」を合言葉に、2018年から「教育」と「支援施策」に乗り出したそうです。
私がもっとも感動したのは、突然の変化に備えるために「40歳以上の全従業員に仕事と介護の両立に関する基礎教育」と「全管理職に仕事と介護の両立マネジメント研修」を実施していたことです。介護問題を「他人ごと」としてではなく、「自分ごと」にしているのです。
誰もが老い、やがて介護される側になるという現実がある一方、会社と介護を結ぶ糸はとてつもなく細い。介護は個人的な問題ですが、1人で抱えるのは無理です。あなたの半径3メートル世界に、介護と仕事との両立に苦労している人がいないか、今一度見渡してください。
●河合薫氏のプロフィール:
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。
研究テーマは「人の働き方は環境がつくる」。フィールドワークとして600人超のビジネスマンをインタビュー。著書に『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)など。近著は『残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実』(PHP新書)、『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)、『他人の足を引っぱる男たち』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)『THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論』(プレジデント社)、『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか - 中年以降のキャリア論 -』(ワニブックスPLUS新書)、『働かないニッポン』 (日経プレミアシリーズ) など。
新刊『伝えてスッキリ! 魔法の言葉』(きずな出版)発売中。
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