
江川卓「空白の一日」の代償(後編)
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2カ月間の一軍公式戦出場自粛という処分を受け、二軍に配置された江川は、読売ランドの奥まった一角にある多摩川合宿所に入った。孤立無援のように思われがちだが、東京六大学リーグ時代に対戦経験がある一学年下の鹿取義隆とは顔見知りで、気軽に話せる存在だった。
鹿取が振り返る。
「合宿所で江川さんと話をしていると、あとで先輩たちが『江川ってどんな奴なんだ?』って興味本位で聞いてきたことはありましたね」
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腫れものに触るような扱いをしていた巨人の選手たちだったが、その一方で江川の本性を見極めたいという思いも強く抱いていた。
【キャッチボール相手がいない孤独】
そんななか、江川は二軍で登板を重ねていった。
4月17日(ロッテ)/投球回3/球数66/被安打8/奪三振1/失点5/自責点4
4月23日(日本ハム)/投球回7/球数94/被安打4/奪三振3/失点1/自責点1
5月1日(西武)/投球回9/球数126/被安打5/奪三振5/失点2/自責点2
5月10日(日本ハム)/投球回10/球数117/被安打8/奪三振4/失点1/自責点1
5月18日(日本ハム)/投球回9/球数121/被安打9/奪三振10/失点4/自責点4
5月24日(ヤクルト)/投球回9/球数134/被安打3/奪三振12/失点1/自責点1
1年間のアメリカ留学によるブランクに加え、春季キャンプ不参加の影響もあり、初登板ではロッテの4番・落合博満に2打数2安打を浴びるなど、3回5失点でKOされてしまった。しかし、その後の登板では本調子とは言えないまでも、数字だけを見ればそれなりの結果を残している。
5月10日の日本ハム戦の登板からしばらく経った時だ。ブルペンで投げ終わった江川に、ある先輩投手が近づき、皮肉めいてこう語った。
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「卓、真っすぐ、変化球ともにキレてるな。これだったら二軍で通用するぞ」
2カ月の自粛期間が明ける6月1日には、一軍に登録されることが既定路線だった。そのため、二軍にいる選手にとっては面白くない話である。そんな空気は、練習中にもたびたび顔をのぞかせていた。
最初の練習でのキャッチボールをする時もそうだった。江川は気心知れている鹿取に声をかけると、「ちょっと......すみません」とバツの悪そうな顔で断られた。
「はぁ、ちょっとってなんだよ」
江川はすぐにピンときた。
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「どうせ『江川とキャッチボールをするな』って言われているんだろうな」
まわりが次々とキャッチボールを始めていくなか、江川だけがひとり取り残されてしまった。壁当てでもしようかと思ったものの、多くの報道陣が壁際を埋めていて、それもできない。どうしたものかと迷っていると、西本聖が「やろうか」と声をかけてくれた。江川は心の底から安堵した。
江川は入団の経緯が経緯だけに、二軍で過ごした期間中は集合時間に遅れることなく、電話当番や戸締まり、球団旗の管理といった雑務もそつなくこなしていた。これ以上、自分の立場を不利にしたくないという思いがあったからだ。
【期待と失望が交錯したデビュー戦】
そして迎えた6月2日、後楽園球場での阪神戦で、江川はプロ入り初登板の日を迎えた。前年のドラフト前日から日本中を騒がせた江川がついに一軍のマウンドに姿を現すとあって、開門と同時にスタンドは観客であふれ返った。
衆人環視のなかで迎えた江川の初登板。その一挙手一投足が注目され、「怪物・江川」のベールがプロの舞台でついに剥がされるのかと期待が高まっていた。だがその思いとは裏腹に、猛虎打線にあっけなく打ち込まれてしまった。
結果は8回を投げ、被安打7、うち3本の本塁打を浴びるなど5失点。三振は5つにとどまった。
「勝負は時の運」とはよく言うが、江川の場合はそういうことではない。この試合で、どれほどの選手が「絶対に勝ってやろう」と心から思っていたのだろうか。もちろん、プロフェッショナルなアスリートたちに八百長まがいのことなどあるはずがない。だが、普段の試合よりも集中力がどこか途切れてしまう。そんな状況が起こり得たのも確かだ。
当時の週刊誌には、江川が登板する日に野手がわざとエラーをしたり、あえて三振したりして、勝ち星をつけないようにしていた──そんな記事まで掲載されていた。実際にそのような行為が本当にあったのか、確証は得られていない。ただし、匿名で「そういう選手もいた」と証言するOBがいたのも事実である。
江川を取材している時、話の流れからこんなことを口にしたことがある。
「最初の頃は、相手9人とこっちの8人の17人と戦っていましたから」
冗談めかして話してはいたが、半分以上は本音だったと思う。
それほどまでに、ルーキーイヤーの江川は打線の援護に恵まれなかった。偶然と言ってしまえばそれまでだが、所詮は人間がやることでもある。
当時、川柳で「王が打ち 江川KO 酒うまし」という句が広まったが、まさにデビュー直後はそんな空気だった。
そんな四面楚歌の状態だった江川だが、2年目には16勝を挙げ、最多勝のタイトルを手にした。それでも、巨人の選手たち全員が江川を全面的に信頼したわけではない。まだ、心のどこかでクエスチョンマークを抱えたままの者も少なくなかった
いくら実力がものをいう世界とはいえ、男の嫉妬や妬みは根深く、そう簡単に晴れるものではなかった。

