
中日は27日、親会社の中日新聞社、球場など施設管理を行うナゴヤドームとの3社連名で「ファーム拠点移転」を発表した。2軍本拠地のナゴヤ球場は老朽化が進み、また手狭なため、2030年代前半の移転を目指す。移転先は東海地方の地方公共団体からの提案を募り、決定する。
今年1月6日、吉川前球団社長が移転を検討していることを明らかにしていた。26年度前半に移転先の募集条件を公表予定。現段階の条件には、候補地はバンテリンドームから車で原則1時間以内でアクセスでき、来場者が公共交通機関で無理なく来場できる場所にあることなどがある。
球界ではファーム本拠地の移転が進む。進行中の計画は、ヤクルト(埼玉・戸田→茨城・守谷)、ロッテ(埼玉・浦和→千葉・君津)、日本ハム(千葉・鎌ケ谷→北海道・札幌圏)と合わせて4球団。阪神2軍は今季から兵庫・尼崎に移った。ソフトバンク、オリックス、西武、巨人、DeNAも、既にファーム施設の移転や拡充を行っている。
ナゴヤ球場は48年に中日スタヂアムとして開場。96年まで中日1軍の本拠地で、数々のドラマが生まれた。有名なのは「10・8決戦」。94年10月8日、中日はシーズン最終戦で同率首位の巨人と激突したが、長嶋巨人に屈し優勝を逃した。97年から1軍がナゴヤドーム(現バンテリンドーム)に移ってからは、2軍の本拠地に。03年には独身寮の昇竜館、室内練習場が併設された。ファンの記憶に刻まれたナゴヤ球場だが、いよいよ、移転へ動き出す。
◆ナゴヤ球場 48年12月開場。中日の本拠地として使用され、初開催は49年4月2日中日−南海戦。96年まで公式戦3068試合が行われた。通算勝利は杉下茂の86勝、同本塁打は宇野勝の171本が最多。54年の日本一、74、82年のリーグVは同球場で決まり、巨人のV10を阻止した74年は星野仙一が胴上げ投手に。80年には国内初めてスピードガンが設置。87年8月9日に近藤真一が初登板の巨人戦で無安打無得点、94年に巨人、中日が同率首位同士で最終戦を行った「10・8」も有名。97年以降は2軍本拠地として使用。
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