バスケットボール誕生から132年 聖地でたどった「最初の試合」と知られざる日本人プレーヤーの物語

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2025年12月01日 07:10  webスポルティーバ

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 米プロバスケットボール、NBAの2025−26年シーズンは10月21日(日本時間22日)に開幕した。第二次世界大戦後の1946年に発足したNBAにとって80回目のシーズン。ロサンゼルス・レイカーズの八村塁の活躍に期待する日本人ファンも多いだろう。

 NBAを頂点に、日本でもBリーグからミニバスケットボールまで幅広く親しまれているバスケットボールというスポーツは、米国東部マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCAで考案され、1891年12月21日に初めて試合が行なわれた。筆者は今年の夏、発祥の地を訪れ、バスケットボールの殿堂とバスケットボールが考案されたスプリングフィールド・カレッジを見て回った。

【バスケットボールの聖地を歩く】

 スプリングフィールドは、ボストンからバスで2時間ほど。ニューヨークからは車で3時間ほどのところにある。まず、殿堂に足を運んだ。正式名称は、バスケットボールを考案したYMCAの体育主事の名前を冠して『ネイスミス記念バスケットボール名誉の殿堂』という。コネチカット川とフリーウェイの間にあるバスケットボールを模したような大きな球形の建造物、それが殿堂だ。

 エントランスは南北の2カ所。南口から入ると、左側に受付があり、チケットを買うと、入場証のバンドを巻いてくれる。球形の建物は3階建てだが、1階にはバスケットボールのコート1面が設置されていて、子どものためのイベントなどが行なわれるようだ。

 吹き抜けになっているから、2階や3階からコートを見下ろすことができる。3階は有名選手の等身大パネルがずらりと並んでいて、身長や両手を広げた長さを比べることができる。

 2階は展示コーナーが最も多く、殿堂入りした選手の名前が年ごとにまとめて表示されている「栄誉の殿堂」もこの階にある。

 マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソン、ラリー・バード、シャキール・オニール、コービー・ブライアントといったスーパースターたちのユニホームやシューズ、記念のボールなどがガラスケースに納められている。NBAファンなら、たまらないフロアだ。

 また、NBA選手の貴重な品だけではなく、バスケットボールが誕生した時代の歴史的な展示品、リングの代わりに使っていた桃を入れる木製のかごや当時のユニホームなども見ることができる。NBA以外にも大学バスケットボールに関する展示や、コーチなどの指導者、また熱狂的なファンも紹介されている。男子だけでなく、女子バスケットボールのコーナーも設けられていた。

 初代の殿堂は1968年2月に開館し、1985年6月には2代目の殿堂に移った。80年代初め、ラリー・バードとマジック・ジョンソンという、大学時代から好敵手だった2大スターが激しいライバリーをNBAに持ち込み、人気が急上昇。

 さらにマイケル・ジョーダンが登場すると、NBA人気は沸騰した。こうした状況を受けて、殿堂は再び移転を行ない、2002年9月、現在の建物に入った。35年間で2度の移転は、NBAの隆盛の証明でもある。殿堂の公式サイトによると、毎年20万人近くのバスケットボールファンが訪れるという。

 2025年殿堂入り式典は9月上旬に開催された。カーメロ・アンソニーやドワイト・ハワード、女子のスー・バードやマヤ・ムーアら選手5人とレフェリー、コーチが各1人、功労者1人、それに2008年北京五輪優勝の米国男子代表が栄誉を受けた。

 殿堂には選手だけでなく、審判員や監督、功労者、それにチームも表彰される。UCLAの名将ジョン・ウッデン氏や、サウスカロライナ大女性監督のドーン・ステーリー氏のように選手と監督で2回殿堂入りしているケースもある。そのためか、殿堂の公式サイトでは、殿堂入りしている人物・チームは「450件以上」という大雑把な表現になっている。

【黎明期に刻まれた日本人の名】

 初代殿堂の開設からさかのぼること9年、1959年の第1回殿堂入りには17件が選ばれている。バスケットボールを考案したジェームズ・ネイスミス氏ら15人が個人で、2件はチーム。そのうちのひとつが、1891年12月21日に史上初めてバスケットボールの試合を行なった「First Team」だった。

 国際YMCAトレーニングスクールに勤めていたネイスミスは、上司のルーサー・グリックから、冬に屋内で体を動かせるスポーツを考案するように求められ、考え出したのがバスケットボールだった。

 その当時、この国際YMCAトレーニングスクールで学んでいた学生が、1チーム9人ずつに分かれて対戦。その18人全員が「最初のチーム」として殿堂入りしている。じつはこの中に石川源三郎という日本人がいたのだ。

 国際YMCAトレーニングスクールは現在、スプリングフィールド・カレッジ(以下カレッジ)という大学になっていて、殿堂から車で5分ほどのところにある。

 じつは今回の訪問には、ニューヨーク在住のフォトグラファー、丸山恵さんが同行してくれたのだが、丸山さんは石川源三郎の孫娘。彼女の祖父の足跡をたどるのが目的でもあった。

 カレッジに着いて向かったのはスティッツァーYMCAセンター。1894年に開館し、カレッジで最古の建物であるジャッド体育館の中がセンターになっている。YMCAの歴史に関わる文献や史料を収集した「YMCAの殿堂」では、ネイスミスの等身大の写真などが展示されていた。

 ジェフ・モンソーさんは、ここで文献や史料を収集、管理、研究するアーキビストという仕事をしている。アポなしでの訪問だったが、快く、研究室に入れてくれて、初期のルールブックなど貴重な資料を見せてくれた。

 石川は絵の才能があったようで、バスケットボールの試合のスケッチを書き残した。このスケッチは、バスケットボールが誕生した当時の様子を伝える数少ないビジュアル資料で、モンソーさんが見せてくれた複数の古書にも掲載されていた。

【最初のルールを彩った一枚のスケッチ】

 帰国後、モンソーさんにメールで問い合わせると、石川が描いたバスケットボールのスケッチは、「最初のルールが掲載された1892年1月15日発行の『トライアングル・マガジン』誌と、1892年後半に発行された最初の単独ルールブック、それに1893年のルールブックでも使用された」とのことなので、最初の試合が行なわれて1カ月もしないうちにルールとともに出版されたことになる。

 石川のスケッチがのちのバスケットボールに与えた影響を尋ねると、モンソーさんは「あくまで私の意見ですが、このゲームが人々に受け入れられる助けになったと思う。ルールの最初の出版物でビジュアルが使用されたのは意図的なものであり、ゲームの内容を理解してもらうためだったと思う」と答えてくれた。

 バスケットボールのルールが最初に出版されたときに掲載された石川のスケッチは、現在のバスケットボールの世界的な隆盛につながる第一歩だと言える。ちなみにモンソーさんの求めに応じて、丸山さんは1923年ごろに撮影された祖父の写真をスティッツァーYMCAセンターに寄贈した。
 
 石川はその後、ウィスコンシン大学で学んだあと、日本に帰国。その後はビジネスの道を歩み、バスケットボールに関わることはなかった。

 日本にバスケットボールを導入したのは、石川のあとに同じ国際YMCAトレーニングスクールで学んだ大森兵蔵だったが、バスケットボールが考案され、最初にプレーした選手のなかに石川源三郎という日本人がいて、バスケットボールがどんな競技かひと目でわかるスケッチを書き残したことは、もっと世に知られてもいいのではないか。

 スプリングフィールド・カレッジは、今や世界中で人気スポーツとなったバスケットボールを生み出した国際YMCAトレーニングスクールの後身の大学としては、意外に感じるほど、バスケットボールの扱いは地味に感じられた。

 ネイスミスがバスケットボールを考案し、石川もプレーした1891年12月21日の最初の試合が行なわれたのは、当時、スプリングフィールド市内の別の場所にあったYMCA関連施設だったとのこと。カレッジのキャンパスの広い芝生に、ネイスミスの銅像がぽつんと置かれていたのが印象的だった。

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