
行政機関の業務と言えば「紙でのやりとりが多い」というイメージがある。職員の皆さんの中には「もっとデジタル化を」と思っている方も多いかもしれないが、日常的に関わっている老若男女、多様な市民に寄り添うためには「紙でのやりとりをなくせない」といった事情があるのも事実だろう。
一方、全国的に人口減少が進み、職員不足が避けられない今、行政サービスの維持は待ったなしの課題だ。しかし、どこから手を付ければいいか分からない。そんな中、東京都府中市は、画期的な取り組みを始めた。それが、GovTech東京との協働だ。
●東京のベッドタウン、府中市
府中市は東京都のちょうど真ん中にある人口26万人の都市だ。「東京」というと都会をイメージするが、府中市は緑が豊かで多くの史跡があり、歴史と現代的な文化がミックスされた、ファミリー層が多いベッドタウンである。
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府中駅を降りると目の前に欅(けやき)並木が広がっている。道沿いに歩いていくと、年に1回大きな盛り上がりを見せる「くらやみ祭」が行われる大國魂(おおくにたま)神社がある。府中市役所はその隣にある。
府中市にはデジタル化の基本指針として、令和4年度から令和7年度を計画期間とする「デジタル化推進計画」がある。その中には官民データ活用推進基本法に基づく「市町村官民データ活用推進計画」および「自治体デジタル・トランスフォーメーション(DX)推進計画」が提示されている。それに沿って現在、市の業務におけるデジタル化を推進している。
デジタル化を推進するに当たり、担当課である政策経営部 情報戦略課にはどんな課題認識があったのか。課長の島田朋子さんは次のように話す。
「私はもともと、民間でSE(システムエンジニア)として働いていました。府中市役所へ入庁したのは令和4年です。与えられたミッションは、デジタル化やDXの推進。でも、取り組み始めたときはDXの定義もあいまいでしたし、何から手を付ければいいのかもよく分かりませんでした。そもそも、DXのゴールを考えたとき『何のためのDXなんだっけ?』と。
大きな課題認識としてあったのは15〜64歳の「生産年齢人口の減少」でした。生産年齢人口が減ると職員も減ります。職員が減って行政サービスが維持できなければ市民が困ってしまいます。職員が減っても行政サービスが維持できること。これが、行政におけるDXのミッションだと捉えました」
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DXのゴールを設定するとき、人口の統計を基に将来の職員数や行政サービスの業務量を予測し、必要な工数削減がどの程度なのかを試算することも、一つの方法として考えられる。
そこで島田さんは、「今できる範囲で、将来の粗い見立てを立てられないか?」と考えた。
しかし、人口統計に必要な住民データの取り扱いには慎重さが求められる上、さまざまな技術的課題を解決しなければならず、一筋縄には行かないことがすぐに分かった。
「将来の職員数や行政サービスの業務量を予測するためには、自分たちでできること/できないことの境界線を見極め、整理する必要がありました」
●「まず、できることは何か?」オープンデータによるスモールスタート
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DXにおけるゴールを決める上で、将来必要となる職員数と業務量の把握はもちろん重要だ。だが、住民のニーズを知るためには、住民が置かれている状況を見える化し、分析する必要があった。そこで、市で持つ住民の統計データを可視化し、そこから、行政として必要な施策を意思決定していくのだ。こうした仕組みはEBPM(Evidence-based Policy Making:証拠に基づく政策立案)と呼ばれる。さまざまなデータを収集、蓄積、分析、可視化し、意思決定を支援するための手法だ。
だが、住民データはそれなりのボリュームがあり、日々発生する履歴データも含めると仕様が複雑になる。また、スキル的に見ても、ある程度のレベルに達していなければEBPMを実現するのは難しい。
自分たちでできる実現可能性を考えると、いきなり本丸に手を付けるよりも、「街頭消火器を地図上にマッピングする」「保育所の所在地と入園可能な人数を表示する」など、データ量が少なく、かつ、個人情報も含まないデータを対象にして、「スモールスタートで始めた方がいいのではないか」と、方向性を見直すことにした。
●「手元にデータがない」市民に関わるデータを可視化するために
方向性を見直したものの、島田さんが所属しているのは情報システム部門であり、市民に関わるデータを直接収集していない。そのため、行政データの可視化をスモールスタートで始めるにしてもデータが手元になく、何から始めるべきなのか分からなかった。そこで、直接市民向けの事業を持っている部署にニーズ調査をしてみることにした。
「職員の皆さんにニーズを聞いても、すぐには手を挙げてくれないんじゃないかと不安でした。全庁に照会しましたが、はじめはどこの課からも回答が来ませんでした」
だが、協力を仰いで行く中で、少しずつだがニーズが上がるようになってきた。保育所の位置と受け入れ可能人数の見える化で協働した、文化スポーツ部 文化生涯学習課 文化振興係長の佐々木さんは話す。
「当時、私は保育支援課にいました。以前、他の自治体に保育所の所在や受け入れ可能な人数など、情報を地図上にマッピングする先行事例があることを知り、『保育情報には、こういう使われ方があるんだ!』と興味を持っていました。今回、情報戦略課からニーズ調査があり、『ひょっとしたら、うちでも協力できることがあるんじゃないか』と思って応募しました」(佐々木さん)
ニーズ調査の案件について、最終的には9課14件集まった。「反応がないことも想定していたので、14件というのはすごい救いでした」(島田さん)
●「これなら、自分たちでもできそうだ」GovTech東京との出会い
行政のデータを可視化できそうなニーズは分かった。だが、可視化といっても「どのようにすれば行政データを地図上にマッピングできるのか?」「データをグラフ化し、分析できるのか?」――この時点では、皆目見当がついていなかった。
そこで、島田さんは「まず、基本的な知識を収集したい」と、東京都26市が集まる「市長会」のデータ利活用研修に参加した。市長会は東京都や市の職員が事務局を運営しており、26市共通の行政課題から重点テーマを決めて協働で取り組んでいる。令和3年から7年までのテーマは多摩地域における行政のデジタル化推進だった。
データ利活用研修では、技術的な質問ができる場面があった。そこで島田さんは、講師に対して「市で持つ事業の統計データを可視化したい」「だが、技術的に行き詰まっていることが幾つかある」と質問した。研修後、そのやりとりを見ていたGovTech東京のメンバーから声を掛けられた。
「GovTech東京」とは、東京都の区市町村におけるDXを推進するための組織だ。都庁だけではなく、区市町村全体のデジタル化・DXも支援するために設立された東京都の外郭団体である。行政職員に加え、デジタル人材を独自に採用し、区市町村のDX支援に当たっている。
GovTech東京のメンバーに現状の課題を相談したところ、統計データ可視化を支援してもらえることになった。島田さんは、淡い期待を抱いた。「技術上の課題はこれで解決する」「もしかしたらアプリケーションも作ってもらえるんじゃないか」――だが、GovTech東京には「技術的な助言や設計支援はするが、実際の開発や運用は自治体自身が担う」という方針があった。自治体が自分たちの力でDXを推進できるよう、伴走しながら知見や手法を提供する「支援型」のスタンスを取っているのだ。
当初、アプリケーションを自分たちで作れる自信はなかった。だが、GovTech東京から支援された手順で作ってみると、それほど難しくなく「これなら、自分たちでもできそうだ」と島田さんは先行きの見通しに明るさを感じた。
●「内部事情が分かる」GovTech東京だからできること
行政機関のデジタル化を支援する上で、GovTech東京が大切にしていることは何なのか? GovTech東京 DX協働本部の田邊進一さんは次のように話す。
「私は以前、東京都の職員でもあったんですが、行政にいたこともあって内部の事情が分かるんですよね。例えばネットワーク一つにしても民間とは違いますし、行政は公平性を重視するので、民間のサービスをすぐ使えるかといったら、それもできない。行政には共通した悩みがあります。
ただ、困っていることは自治体によって全然違うんです。ある自治体はネットワーク環境に悩んでいるのに対し、ある自治体は予算で苦労していて、使う環境すら持てていない。また担当者も、デジタル専任の担当者がいる自治体もあれば、通常業務を行いながら兼務している小さな自治体もあります。こうした状況の中で、技術論だけで『できますよ』と言っても解決できないんです。悩みをきちんと聞いて、寄り添っていく必要があります」(田邊さん)
行政機関でデジタル人材を採用する場合、施策はその人のスキルに依存してしまう。だが、GovTech東京に聞けば一通りのシステムの知識が分かる。さらに、コンサルタントも在籍しているため、課題の整理から支援してもらうこともでき、東京都の職員と技術者がペアで対応に当たることもある。行政的な面と技術的な面、両方を支援できるのが、民間とは異なるGovTech東京の強みだ。
GovTech東京の支援もあり、現在、府中市では「保育所等空き状況マップ」をはじめ、市で持つデータの見える化に取り組んでいる。こうした取り組みが進むことによって、住民の状況が可視化・分析できるようになる。近い将来、データに基づいた施策の意思決定へとつなげていく予定だ。
●行政機関のデジタル化を推進していくために
府中市の住民状況の可視化、分析はまだ始まったばかりに見える。だが、民間企業に丸投げではなく、「自分たちで行っている」のが今までとの大きな違いだ。また、デジタル化推進に向けて、行政ならではの強みもある。
「民間企業だと、事業者間が競争をするので、自分たちの持っているノウハウや知識、経験を外に出すことはありません。ですが、行政機関の場合、ノウハウを共有する文化があるんですよね。例えば、データ利活用で先行自治体がある場合、割と気軽に連絡を取って情報を共有し合うんです。『みんなで良くしていきましょう』といった土壌があるのは、民間から行政に入って、とても驚いたことです」(島田さん)
「今、成功事例や結果だけではなく、共有できそうだなと思っているのが、『それをどう解決したか』というプロセスです。プロセスには苦労や失敗事例も含まれるので、一般的には、あまり外には出したくありませんよね。でも、苦労した点も共有することで、同じ間違いをしなくてもよくなりますし、結果を出す道のりも最短でいけるようになる。最近では、プロセスの共有もされ始めてきているので、共有する文化の変化をすごく感じています」(田邊さん)
「よく『デジタル化』と言いますが、押印一つとっても『デジタル化するんだから、押印全部なくしちゃえばいいじゃん』みたいにはできません。それぞれの手続きには意味もありますし、制度を変えなければいけない場合もあります。でも、最初に取り組んだ人がプロセスを共有すると、後から続く人たちにも継承していけます。そういったところに、皆さんが気付き始めたんだと思っています。
あと、ツールの影響も大きいですね。ノーコード/ローコードの開発ツールがいろいろ出てきて、実際に業務に当たる人が、自分でアプリケーションを作ることができるようになった。そうした土壌が、プロセスを共有する文化の醸成につながってきているんだと思います」(佐々木さん)
結果だけ示されても、進め方が分からないでは自分たちの取り組みができない。しかも、行政機関の場合、デジタル化の結果を出すためには、単にツールを導入するだけではなく、庁内のルールを変えることが必要な場合もある。だが、ゴールにたどり着くプロセスが分かれば一歩を踏み出せる。
また、自治体の強みである横の連携を生かしていけば、実績が1つできると、他の自治体が後に続く。変わり始めたら、一気に広がることが期待できそうだ。
●まずは「自分たちでできること」から
最後に、今後の展望について聞いた。
「行政事務のデジタル化における、1丁目1番地は『行政手続きのオンライン化』だと思うんです。でも、申請だけオンラインでできても、決定通知を送るのが依然紙のまま、といったことがよく起こります。こうした状況をさらに効率化し、職員の負担を下げる方法を考えるには、やっぱりデータを基に判断していくことになると思うんですよね。こうした取り組みを外出ししちゃうと、庁内にノウハウが残りません。
自分たちが所管している住民状況のデータに加え、他部署の統計データも見える化され、共有される。今回、スモールスタートは切れたので、自分たちが何に着目し、効率化をしていかなければいけないかを、統計データに基づいて各担当課が自分たちで考えられるような環境を作っていけるといいなと思っています」(島田さん)
「私は業務のデジタル化、DXを進めるに当たって、職員のマインドが変わっていくことも大切だと思っています。ツールをはじめ、新たなことに挑戦するのって、時間もエネルギーも必要ですよね。私が『やりたい!』と一念発起しても、私ひとりが一生懸命勉強すれば実現できる話でもありません。
周囲に過度な負担がかからないよう意識しつつ、少しずつ便利になっていくように広めていきたいです。また、便利なツールを使ってみて、『こういう使われ方もあるようですが、どうですか?』といった形で新たな選択肢を共有しつつ、何が最適なのかを皆が考えられる土壌を作っていきたいと思っています」(佐々木さん)
「GovTech東京は立ち上がってまだ2年ですが、私たちが目指すところは、今回府中市さんと取り組んだような内製開発を、きっちり支援できるようにしていくことです。また、自治体には『2〜3年で担当者が変わる』という制約があります。担当職員が変わっても継承できる形、横展開できる形に持っていきたいです。
そもそも、私たちGovTech東京の職員自体も任期付きです。私たちもちゃんと継承できるよう成果を出していきたいですし、GovTech東京を離れても、何らかの形で行政を支援していきたいと思っています」(田邊さん)
今回の、府中市とGovTech東京の取り組みで価値があるのは、外部の業者に丸投げするのではなく「自分たちでやる」ということだ。人口減少社会に伴い、DXをはじめ、国を挙げてデジタル化の推進が叫ばれている。デジタルスキルは今後、行政業務における基本スキルになるだろう。
府中市が住民状況の可視化に取り組むに当たり、使えるデータの制約など、民間の立場で想像するほど、その取り組みが容易ではなかったように、これからの道のりも、ひょっとしたら平たんではないのかもしれない。だが、行政的、技術的な立場から自治体を支援できるGovTech東京の存在が、行政機関の未来を明るく照らしているように思えた。東京都だけではなく、他の都道府県にも広がっていくことを望まずにはいられない。
●筆者プロフィール
しごとのみらい理事長 竹内義晴
「楽しくはたらく人・チームを増やす」が活動のテーマ。「ストレスをかけるマネジメント」により心が折れかかった経験から、「コミュニケーションの質と量」の重要性を痛感。自身の経験に基づいた組織作りやコミュニケーションの企業研修、講演に従事している。
2017年よりサイボウズにて複業開始。ブランディングやマーケティングに携わる。複業、2拠点ワーク、テレワークなど、これからの仕事の在り方や働き方を実践している。また、地域をまたいだ多様な働き方の経験から、ワーケーションをはじめ、地域活性化の事業開発にも携わる。
元は技術肌のプログラマー。ギスギスした人間関係の職場でストレスを抱え、心身共に疲弊。そのような中、管理職を任され「楽しく仕事ができるチームを創りたい!」と、コミュニケーション心理学やコーチングを学ぶ。ITと人の心理に詳しいという異色の経歴を持つ。
著書に、『Z世代・さとり世代の上司になったら読む本 引っ張ってもついてこない時代の「個性」に寄り添うマネジメント(翔泳社)』などがある。
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