画像提供:マイナビニュース琵琶湖の最北端に位置し、豊かな自然に包まれた長浜市木之本町(きのもとちょう)。冨田酒造はこの地で室町時代から490年以上にわたり酒を造り続け、滋賀の銘酒として知られてきた。
15代目蔵元の冨田泰伸さんは、受け継いだ伝統を守りながらも、大学との協業による新しい技術の導入など、地元に根ざした酒造りに取り組んでいる。“滋賀らしい”酒造りへのこだわりを聞いた。
米も水も滋賀県産に。15代目が地元に根付いた酒造りに挑戦
木之本は地蔵院の門前町として長く栄え、北国街道と北国脇往還が交わる宿場町としてにぎわっていた。この土地で1534年頃に酒造りを始め、今も変わらず続けているのが冨田酒造だ。
冨田家の次男として生まれた泰伸さんは東京の大学を卒業後、ワイン輸入会社で営業職を経験した。もともと家業を継ぐ予定はなかったが、長男である父親が別の仕事につき、兄や姉も継ぐことに熱心ではない中、冨田家に嫁いだ母親が「冨田酒造は残さなければいけない」と奮起し、社長に就任。幼い頃から冨田酒造の歴史に触れていた泰伸さんは母親の思いを受け、27歳のときに蔵を継ぐ決意を固めた。
「せっかく継ぐなら、何か新しいことに挑戦したいと思いました。それに、まだ若く経験も浅かったので、まずは幅広く学ぼうと考え、フランスやイギリス、アメリカ・ニューヨークのワイナリーを巡りました。海外で日本酒人気が高まっていたこともあり、現地での反応を直接見たい気持ちもありました。
ワインは土地の個性がそのまま味に表れ、畑や地層の違いが風味に反映されます。その文化に触れ、日本酒ももっと土地の味を伝えられるのではないかと感じました。そこで、地域の自然や人の営みを映し出すような酒をつくろうと思いました」
泰伸さんは帰国後、まずは滋賀県外の米に頼っていた仕込みを改めた。地元農家と協力し、滋賀県産の米を採用。さらに、仕込み水は蔵の井戸水のみを使っている。地元に根付いた米と水を生かすことで、風土そのものを酒に映し出している。
売って終わりではない「熟成させて何十年先も飲まれる日本酒に」
泰伸さんが最も思い入れを持つ銘柄は、「七本鎗 山廃純米 琥刻(ここく) 2010」という熟成をテーマにしたお酒だ。このお酒は2010年から蔵の地下で熟成させていて、ワイナリーのケーブのように、一定温度で時間を重ねている。売り切って終わりではなく、日本酒でも30年、40年、それ以上の長期熟成を目指したいという思いで続けている。
「琥刻は酵母をあえて加えず、蔵に住みつく酵母や周りの環境にいる酵母の力を借りる『酵母無添加』で仕込んでいます。今の日本酒の多くは培養した酵母を使いますが、このお酒は自然のままに発酵が進むため、素朴でありながら個性がはっきりと出てきます。手間もリスクも大きい方法ですが、自然の力をそのまま映し出せるところに魅力があり、特に思い入れの強い銘柄です」
土地に寄り添った日本酒づくりを支える「米」と「水」
日本酒は米と水だけでつくられるため、その土地の自然環境と深く結びついている。だからこそ泰伸さんは、水源の保全や農業の支援など、地域や環境への取り組みに力を入れている。
例えば、長崎大学との共同調査により、普段使っている水が標高750〜800メートルの山に35〜40年前に降った雨が地下を巡り、ようやく辿り着いたものだと分かった。この発見をきっかけに、冨田酒造は企業や地域と共に教育活動を始めた。地元の子どもたちと水源の山へ登り、「40年後、この水で造った酒と交換できるチケット」を配るという内容だ。
「今降っている雨が何十年もかけて地中を流れ、ようやく蔵に届く。その水で造ったお酒を40年後に飲む子どもたちがいると思うと、未来と今がつながるような感覚になるんです。自然の循環を感じてもらい、この土地の恵みを大切に思う気持ちを残したいと考えました」
さらに、米づくりでも在来種や古代米の栽培など、新しい取り組みを進めている。
「『滋賀旭』という在来種は、くさおか農園、みたて農園、お米の家倉の3軒で栽培してもらっています。米づくりは手間がかかりますが、その土地で長い時間をかけて育ってきた品種には、ほかにはない力があります。育てる人の思いも含めて、自然の営みをそのまま酒に込めたいんです。農業を守ることは、日本酒の未来を守ることでもあると感じています」(橋本 岬)