安倍元首相銃撃事件「テロリストの思いを汲み取る報道」が招く危険性。ジャーナリスト石戸諭氏が警鐘

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2025年12月03日 09:00  日刊SPA!

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写真/産経新聞社
 11月20日から始まった山上被告の被告人質問では、安倍元首相を標的に決めたのは事件を起こした’22年7月だったと明かされた。この被告人質問は12月4日までに計5回行われる。弁護側は、自作した銃は「銃刀法上の『拳銃等』には該当しない」と主張しており、これが認められるか否かも量刑を左右する。
ジャーナリストの石戸諭氏は、山上被告への同情を少しでも正当化する空気こそが“暴力を理解する社会”を育て、同情の拡散が新たな暴力の連鎖を呼ぶ最も危険な兆候だと強く警告する(以下、石戸氏の寄稿)。

◆安倍元首相銃撃公判。山上同情論の危うさ

 安倍元首相が銃撃され死亡した事件の裁判員裁判が進んでいる。11月25日には2回目の被告人質問が行われ、山上徹也被告(45)の自死した兄への思い、母親への怒りなども語られた。注目の被告人質問は12月4日まで続く。

 来年1月には判決が出る予定で、最大の争点は量刑だが、まだ公判途中であり軽々には語れないことも多い。検察側は不遇な生い立ちや母の信仰が犯行動機に関わってくる面を否定していないが、宗教的虐待問題が刑を軽くする理由にはならないという姿勢だ。一方の弁護側は、証言の積み重ねで情状酌量を求めるが、安倍元首相を狙った動機を強調しすぎていないように見える。「旧統一教会問題の解決を目論んだテロ」という論理を補強しかねないからだろう。

 私が気になるのは、報道を通じて「暴力は許せないが、山上被告の心情には理解できる面“も”ある」といった同情論が広がっていることだ。

 法廷の外では議論がエスカレートしている。SNSでは本件を「テロ」と呼ぶことさえ許さず、安倍元首相に暴力を呼び込む要因があったかのような話も展開されている。暴力の肯定、新たな偏見を生みかねない危険な推論だ。

◆宗教2世すべての心情を理解できているのか?

 私は今の時点でも山上被告の行為を「テロ」と呼ぶのはおかしくないと考えている。教団への恨みは弁護側、検察側双方ともに言及している。日本政治史を専門とする小山俊樹氏は毎日新聞のインタビューで「要人を標的としたことで政治的な混乱を生み、社会的な影響を与えた」と述べていたが、要人暗殺の帰結まで踏まえれば、戦前の歴史から連なるテロ事件という指摘は大いに納得できるところだ。

 旧統一教会2世信者の多くは山上被告の気持ちがわかるかのような話も広がったが、これも荒っぽい偏見を助長する。2世といっても多様だ。私が取材で接してきた2世には信仰と折り合いをつけながら、社会生活を営んでいるタイプ(学生も含めて)が多くいた。不遇ともいえる生い立ちも聞いたが、彼らの多くが銃を自作し、公衆の面前で発砲する暴力行為を理解すると決めつけられるいわれはない。

 事件をどうしたら防げたかという大きな問いは法廷以外の多方面からの冷静な検証も含め、多くの時間と労力をかけて思考を深めるものだ。まずはテロリストの思いを汲み取る報道が暴力の連鎖を呼び、軍部の台頭へと繋がった日本メディアの歴史を踏まえて、暴力への同情に警鐘を鳴らす。これが歴史の教訓を意識したメディア人の姿勢であると私は考える。

 公判がいかなる結果をもたらすにしても、この軸をぶらす必要はない。

<文/石戸諭>

【石戸 諭】
ノンフィクションライター。’84年生まれ。大学卒業後、毎日新聞社に入社。その後、BuzzFeed Japanに移籍し、’18年にフリーに。’20年に編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞、’21年にPEPジャーナリズム大賞を受賞。近著に『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』(新潮新書)

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