
太田宏介が選ぶJリーグ歴代レフティトップ10
現役時代、左足の正確なキックを武器に活躍した太田宏介氏に、Jリーグの歴代レフティを10人挙げてもらった。さまざまなタイプがいる左利き選手のなかで、太田氏が意識していたのはどんなレフティだったのか。
>>前編「太田宏介が選ぶJリーグ最強ベストイレブン」
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【印象深い外国人選手たち】
10位 パトリック・エムボマ(元ガンバ大阪、東京ヴェルディほか)
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テレビゲームでずっと使っていた選手がJリーグに来てくれて、ガンバ大阪での数々の名ゴール。サッカー少年たちはみんなマネしていました。僕も同じ左利きということもあってたくさん練習しましたね。G大阪の時は直接見に行けませんでしたが、東京ヴェルディに移籍してから読売ランドに練習を見に行きましたね。
当時、森本貴幸(元東京ヴェルディ、カターニアほか)が中学生でトップチームデビューしていて、普段の練習にも合流していました。森本とは地区選抜で一緒だったので、その彼がトップチームで「エムボマと一緒にランニングとかシュート練習してるよ!」みたいな感じで、僕はフェンスにへばりついて憧れの目で見ていました。
一つひとつのシュートのパンチ力とか、体のデカさ。足は太いし、上半身の分厚さがずば抜けていました。それでいてムチのように体を使って、決して力まかせではない。強さと柔軟さを併せ持った選手でした。世界のトッププレーヤーを生で見ることができた、初めての選手だったと思います。
9位 エドゥー(元FC東京ほか)
FC東京で一緒にプレーしたエドゥーは、ウッチー(内田篤人)がシャルケにいた時に、一緒にプレーしていた選手でもあります。僕はウッチーのシャルケでのプレーをずっと見ていたので、「エドゥー、めちゃくちゃいい選手だな」と思っていたらまさかの東京に来てくれて。
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たった1年でしたけど、一緒にプレーできて嬉しかったですね。東京では11得点でしたけど、本当に難しいことを簡単にプレーしていて「もっと騒がれてもいいのに」と思っていました。
左足のシュートのパワフルさはもちろんですけど、ブラジル人らしい右手でブロックして相手を背負いながら遠い位置の左足でのキープ力。寄せに行っても取れないあの繊細な技術もすごかったですね。
あれだけの選手をせっかく迎え入れられたのに、たった1年で手放してしまったのは、チームメイトとしても悔しかったし、もっと彼を生かしてあげたかったですね。プライベートでもかわいがってもらって、人柄としても最高の人でした。
8位 ドゥトラ(元横浜F・マリノスほか)
高校生の時に、マリノスが小机(横浜市)で練習をしていることがあったんです。それまでもJリーグで彼のプレーを見ていたんですけど、間近で見て「こんな小さいんだ」と思ったのが、その時の印象でした。
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決してスピード溢れるサイドバックではないんですけど、ボールの持ち方やフィードの部分が本当にうまかったですね。囲まれても決して慌てないし、相手を食いつかせてワンツーで剥がしたり。ボランチにボールを当てるタイミングとかも絶妙でした。
そのボールの持ち方は僕もすごく参考にしていましたし、右サイドバックを上げるための左のドゥトラの絞りのタイミング、距離感は、サッカーIQが高いなと思って見ていました。
例えばですけど、高卒1年目とかで同じチームになって、目の前で彼のプレーから学びたかった。一度ブラジルに帰ったあと40歳前後でマリノスに戻ってきてプレーしていましたけど、歳を取ったらああいうサイドバックになりたいと思わせてくれる選手でした。
【対戦してすごく嫌だった】
7位 中田浩二(元鹿島アントラーズほか)
中田浩二さんはやっぱり高校サッカー選手権決勝の帝京対東福岡のイメージがすごく強いですね。あの選手権は1回戦からずっと見ていました。あの頃は、今よりももっと高校サッカーがテレビや雑誌に取り上げられていて、本当に大会のスターでしたよね。
身体能力で勝負する選手ではないですけど、いろんな監督に重宝されてきたのは、監督の要求をしっかりと忠実にこなす献身性や安定感があったからでしょう。ボールを持てば落ち着くし、空中戦でも戦える。
3バックの左、4バックの中央、サイドバック、ボランチもできる。あれだけユーティリティな左利きの選手は多くないと思います。対戦相手としても浩二さんがボールを持った時の対角のフィードは、すごく嫌でした。
6位 柏木陽介(元サンフレッチェ広島、浦和レッズ、FC岐阜)
陽介は若い頃からプライベートでもすごく仲がよいひとりです。Jリーグは、トップ下やボランチで、左利きで攻撃に参加するパサータイプがあまりいない。例えばヴィッセル神戸の扇原貴宏はアンカーの位置に構えて、パスを散らすタイプですよね。
浦和時代に、チームの中心にいる陽介がパッと顔を上げた時に、興梠慎三くんが入ってくる動きや、裏へ抜けてくる関根貴大がめちゃくちゃ嫌でした。
何回もやられたし、わかっていても止められない。独特の間を持っているんですよね。フィジカル的に恵まれているわけではなかったですけど、それを補う運動量とパスセンスがあった。対戦してすごく嫌だったので、一緒にプレーしたかったですね。
5位 中村俊輔(元横浜F・マリノス、ジュビロ磐田ほか)
このあとの人たちには僕なりのストーリーがあるので、俊さんが5位という形になりました。やはり俊さんの左足は本当に怖かったです。セットプレーの精度、ボールの球種、カーブの軌道、スピード。同じ人間であるはずなのに、持っているスペックが違いすぎて、マネしようにもできませんでしたね。
たぶん、僕の努力は俊さんと比べたらこれっぽっちにもならないんだろうなと思います。あそこまで左足を磨きあげるには相当な努力が必要だったと思うので、技術だけではなくてそうしたところも含めて本当にすごい人でした。
俊さんのフリーキックで一番印象に残っているのは、日本代表の2003年のコンフェデレーションズカップ、フランス戦で決めたゴールですね。あの頃のフランスはものすごいメンバーで、GKはファビアン・バルテズでした。
右隅に決まったゴールでしたが、最初「そっちいくんだ!」みたいに感じました。すごく落差もあって、バルテズの頭上から大きく曲がって落ちたあの軌道は、今でも鮮明に覚えていますね。
【メッシのようなドリブル】
4位 久保建英(レアル・ソシエダ)
建英は15歳でFC東京のトップチームに来て、彼のポテンシャルの高さは十分にわかっていたうえで、あのテクニックはお化けだなと思いました。「こんな選手がいるんだ」と衝撃を受けました。
ものすごい期待を受けながら、しっかりと進むべき道を自分で選択して、トップ・オブ・トップに登り詰めています。そのうえ、ものすごく謙虚で、上下関係もしっかりしているし、インタビューを聞いていてもすごく賢いことがわかりますよね。
あの頃、僕が東京で試合に出られなくなってきて、建英がレギュラー組で、僕が控え組の左サイドバックで、常にマッチアップしていたんです。マジで取れなかったですね。
ペナルティーエリアの角から1対1のドリブルを仕掛けられると、左足でシュートを打たれたくないから縦に行かせるんです。でも縦に一歩入った瞬間に切り返されて中に行かれたり、右のクライフターンみたいな形で行かれたり。とにかくバリエーションが豊富。
それからスピードの緩急。ゼロから100に入る速さもすごいし、逆に100からゼロにストップするのも速い。体はまだ細かったから、体を当てに行くんですけど、それもスルスルとすり抜けていく。本当に若い頃のメッシのようでしたね。
3位 三都主アレサンドロ(元清水エスパルス、浦和レッズほか)
アレさんの魅力や強みと言えば、トップスピードから上げる左足のクロスの質、足元でボールを受けてから仕掛けていくまでの間合い、スピードを生かした "裏街道"など。そういったシーンもたくさん目にしてきました。
そのなかでも特に参考にしていたのが、トップスピードで上げるクロスの質ですね。キックやクロス練習では、通常足元にボールを止めてクロスを上げるんですけど、試合のなかではそういうシチュエーションがなかなかない。
僕はアレさんのプレーを見て、クロスの練習では必ず前に流して、ある程度スピードに乗った状態で蹴るのを意識していました。それが自分の形として出来上がった時は、すごくうれしかったですね。おそらく、アレさんのプレーを見ていなかったら、僕はクロッサーとしてアシスト数を伸ばすことはできなかったと思います。
2位 都並敏史(元ヴェルディ川崎ほか)
プロ3年目に都並監督の下、横浜FCでプレーさせてもらいました。都並さんの左足のどこがすごいかというと、スライディングやタックルの技術ですね。よく引退しても技術は錆びないと言われますけど、都並さんにはまさにそれを感じました。
都並さんが監督になると決まって、まだオフ明けの1月の2週目に差し掛かるくらいに、10日間ぐらい自由参加のプレシーズン期間があったんです。当時は3月頭くらいの開幕でチームの始動も遅かったのですが、僕はその練習に毎日参加しました。
ただ、その練習に参加する選手は少なくて、僕は毎日都並さんと4対2のパス回しとか、1対1の勝負をやっていました。あの頃は都並さんもめちゃくちゃ動けていたので。その時に、スライディングにも技術があるんだと初めて知りました。
例えばクロス対応で、相手の右ウイングが仕掛けてきてクロスを上げられそうになった時、おそらくほとんどの左サイドバックは何も気にせず、近い足を伸ばすと思うんです。
右足を出したり、歩幅が合ったら左足を出したり。でも、都並さんは必ず左足。並走する選手に対して、近い右足より、遠い左足のほうが0コンマ何秒遠い位置からボールにアプローチできるので、クロスが足に当たる確率がまったく変わってくるんですよね。
それからこのスライディングで右足を出してしまうと、切り返された時の反応が遅くなる。左足を出すと、右足を畳んでいるのでそこを軸にすぐに立ち上がれるんです。
そういうスライディングだけではなくて、マンツーマンで基礎練習を1、2時間見てくれて、左足のキックはすごく磨かれたし、体重も6kg増やして78kgにして、それが現役の間はずっとベースでした。プロとしての基礎を作ってくれた都並さんにすごく感謝しています。
【右足練習しなくていいんだ】
1位 名波浩(元ジュビロ磐田ほか)
小さい頃、僕は左利きだったので、左足の練習をずっとしていました。家の前に壁があってずっと壁打ちをしたり、公園でキックの練習をしたり。カーブとインステップのキックにすごくこだわりをもってやっていたんです。
ただ、それをチームの練習でやっていると、所属チームや選抜チーム、カテゴリーが上がっていっても絶対に指導者の人に「右足でもやれ」と言われました。プロを目指すなら両足できないとダメだからと。だからたまに右足で練習するんですけど、全然蹴れなくて面白くないなと思いながら、また左足に戻るという感じでした。
その時、たまたまテレビの企画で、名波さんが座りながらリフティングを何回できるかというのをやっていて、左足でずっとやっているんですよ。それで「では名波選手、右足でお願いします」と言われてやったら、数回で落としたんです。その時のひと言が「右足練習してないんで」と。
左足のスペシャリストで、日本のトップ・オブ・トップの名波さんが、右足をいっさい練習していないんだと。もしかしたら冗談で言ったのかもしれないし、たまたまミスしてそれを誤魔化すように言った言葉だったかもしれない。
でもそれを聞いた僕は「あ、右足で練習しなくていいんだ」と、そこからは何を言われても「僕はこの左足を磨きます」というマインドになり、コーチにもそう言うようになりました。
人と違った武器を磨くことが、短所を補うよりもプロになるための近道だと、自分なりに解釈したのが、名波さんのそのひと言でした。大袈裟かもしれないけれど、人生を変えてくれたひと言でした。
太田宏介
おおた・こうすけ/1987年7月23日生まれ。東京都町田市出身。麻布大学附属渕野辺高校(現麻布大学附属高校)から2006年に横浜FCへ入団。その後、清水エスパルス、FC東京、フィテッセ(オランダ)、名古屋グランパス、パース・グローリー(オーストラリア)、FC町田ゼルビアでプレー。左足の正確なキックを武器に、サイドバックやウイングバックで活躍した。FC東京時代の2014年、15年はJリーグベストイレブンに選ばれた。日本代表では国際Aマッチ7試合出場。2023年シーズンを最後に現役を引退。現在はFC町田ゼルビアアンバサダー、解説者などで活動中。
