メッシが兄と慕ったアルゼンチンの先輩10番 全盛期のリケルメは「王様」だった

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2025年12月05日 07:10  webスポルティーバ

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世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第42回】フアン・ロマン・リケルメ(アルゼンチン)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第42回は、1990年代後半から2000年代にかけて輝きを放ったアルゼンチンの「マエストロ」フアン・ロマン・リケルメを紹介する。近代化されたフットボールの世界で、オールドファンが求める「10番」を誰よりも感じさせた。絶滅危惧種だからこそ、みんなに愛された。

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 近代フットボールは17〜18世紀にヨーロッパで流行した古典主義に近い。理性や秩序、合理的な思考を重視し、選手の個性よりも戦略・戦術が上回る。

 古典主義の対極に位置するのがロマン主義だ。個人の感情、想像力を解放し、細かいルールに縛られることを嫌う。近代フットボールではいわゆるガラパゴス化だ。周囲との互換性を失って孤立し、最終的に淘汰される運命にある。

 ただし、ロマンが美しい考え方、主義・主張であることに疑いの余地はない。誰だって自由に生きたい。他人に指図されるなんてまっぴらごめんだ。

 さて、名前にロマンをいただいた名手がいる。ファン・「ロマン」・リケルメだ。

 古典主義というか、自らの戦略・戦術に過剰なまでの自信を持っていたバルセロナのルイ・ファン・ハール監督(当時)とはソリが合わなかった。

 2002年夏、ボカ・ジュニアーズからバルセロナに移籍したリケルメにボールが渡るたびに、オランダ人の指揮官は試合中でも練習でも「ワンタッチ」としつこかったという。一瞬のフレア(輝きを放ったプレー)で多くのサポーターに歓声を浴びても、ファン・ハールはまったくといっていいほど評価しなかった。

【2006年W杯でアシスト連発】

「リケルメの獲得に、私はいっさい関与してない。クラブ側の政治的な配慮だ」

 監督からは一切、信頼されなかった。不慣れな右ウイングに起用される不遇も味わう。

 ファン・ハールの後任であるラドミル・アンティッチの構想からも漏れ、2003年夏にはロナウジーニョがバルセロナにやってきた。リケルメが1年足らずでバルセロナを退団(ビジャレアルにローン移籍)したのは当然だ。

「ファン・ハールには称賛される面もあるけれど、独善的な振る舞いに苦しめられた者も少なくない。リケルメがバルセロナで活躍できなかったのは、あのオランダ人が愚か者だったからだよ」

 カタルーニャの古豪で同じ釜の飯を食ったフリスト・ストイチコフも、リケルメをフォローしている。

 自由にプレーしたいリケルメと、システマテックなファン・ハールでは100パーセント合わない。2002年の移籍市場を取り仕切っていたのはジョアン・ガスパール会長だ。失敗の責任はすべて彼にある。

 アルゼンチン代表でも、なかなか定位置をつかめなかった。リケルメと同じく「ディエゴ・マラドーナの後継者候補」と言われたいパブロ・アイマール、フアン・セバスティアン・ベロン、マルセロ・ガジャルド、アリエル・オルテガとの争いは熾烈を極め、1998年と2002年のワールドカップは選外になった。

 しかし、2006年ドイツ大会は面目躍如。エースナンバーの10番を背負ったリケルメは、チームの攻撃を完全に仕切った。彼が起点となってチーム全体で24回もパスをつないだセルビア・モンテネグロ戦ではプレーヤー・オブ・ザ・マッチに輝き、メキシコ戦では見事なCKでエルナン・クレスポのゴールを導いている。

 準々決勝でドイツに敗れたとはいえ、リケルメは大会最多タイの4アシストを記録。その才能を満天下に知らしめた。

 2007年のコパ・アメリカは決勝でブラジルに敗れたが、リケルメは5ゴールで得点ランキング2位。アルゼンチン代表のなかで存在感を高めていく。

【走らない、戦わない、守らない】

 何しろ、ボールロストが極めて少ない。足もとに収めさえすれば、相手に奪われるリスクはほとんどなかった。キープ力だけで「銭が取れる」希少なタイプだった。相手DFに囲まれたとしても、足の裏で「ボールとダンスを興じながら」やすやすとピンチをくぐり抜けていく。

 また、リケルメはフィジカルも強かった。イエロー、レッド覚悟の悪質なタックルをものともしない。マーカーとの距離を保つため、ファウルを取られない程度に腕も巧みに使った。いったい、どのようにすれば彼のプレーを無効化できるのか......。全盛期のリケルメは対策の施しようがないほどのレベルにあり、王様然とした振る舞いが許されていたのである。

 もちろん、欠点もあった。走らない、戦わない、守らない──「新三無主義」を唱えているかのように、トップ下の位置から動こうとしない。相手ボールになると、同時に試合から消えた。アスリート色が濃くなりすぎた21世紀のフットボールでは、多くの監督に嫌われるタイプといって差し支えない。

 ただ、先述したキープ力に加え、瞬時にして戦局を把握する状況判断のよさは、アートと言うか、名人芸と呼ぶべきか。ある時はスペースに、またある時は足もとに、誤差ミリ単位のパスを送る。プレスがかかればDFに一旦預け、ちょっとだけジョグしてリターンを受け取る。

 だからこそ、多くの関係者が「マエストロ」(芸術家・専門家に対する敬称)と評したのだ。彼がタクトを振った瞬間、スタジアムはフットボール特有の楽しさに包まれる。

 リケルメを兄と慕い、その背中を常に追い続けていたリオネル・メッシも、「憧れ・目標」と語っていた。このひと言でも、リケルメのすごさがうかがい知れる。

 2007年コパ・アメリカを終えたあとは、負傷が重なりアルゼンチン代表であまり活躍できなかった。当時のマラドーナ監督との確執も深刻で、お互いにメディアを通じてののしり合ってもいる。

【リケルメは決して前に急がない】

 そして運動量が極端に少ないプレースタイルも「時代おくれ」と叩かれた。彼を支持する者は時代錯誤とまで批判された。

 考え方が一方的すぎはしないか。現在のフットボールはコンピュータが計測する無機質なデータと、マルチロールの名を借りた没個性が異常なほど重要視されている。野暮な時代になったものだ。

 リケルメはボールを動かして試合全体を完璧に、美しくコントロールしていた。常に考えながら最善のパスを心がけ、緩急の変換もお手のものだった。この動きによって、相手守備陣は前後左右に連続して対応しなければならない。しかし時間が経つにつれて、相手の動きは鈍っていく。あとはリケルメの思うがままだ。

 ファイターやランナーが主力を占める今、専門職やアーティストは二度と現れないだろう。2023年12月からリケルメが会長を務めるボカでも、ヨーロッパの強豪が秋波(しゅうは)を送るのはインタセプト能力に長けた守備的MFミルトン・デルガドだ。10番タイプが現れたとしても、ヨーロッパは興味を示しそうにない。

 それとも時代がひと回りしたのち、テクニシャンは再び脚光を浴びるのだろうか。現在のフットボールは忙しすぎる。決して前に急がないリケルメは、いつだって「粋」だった。

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