
【写真】ポップでかわいい雰囲気なのに、社会派だった『ズートピア』写真で振り返り
■“島国”日本と、すべてを受け入れるズートピア
動物たちの理想郷とされる大都会“ズートピア”で、警察官のウサギ・ジュディと、詐欺師のキツネ・ニックがとある事件を解決するため奔走する本作は、かわいい動物たちの姿を模して、多様性とその裏に残り続ける差別や偏見がリアルに描き出されていることでも知られる。ズートピアの住人たちは、誰しもが他の種族を受け入れているようで、多かれ少なかれステレオタイプに囚われていることが描かれた。
田舎町から警察官になるためにズートピアへと“上京”したジュディが目にするのは、まさに多様性に配慮が行き届いた街並み。電車には大・中・小のドアが用意され、ゾウからネズミまでがそれぞれのサイズに合ったドアを快適に利用できる。水生動物なら水を浴びながら通勤が可能だし、ドリンク店より背の高いキリンに飲み物を渡すのも自動化されていて、小さな体の店員でも働ける。まさに、どんな動物も受け入れる街。ズートピアという街は、多民族国家であり、かつさまざまなジェンダーや見た目、考え方の人を受け入れるアメリカを映すよう。大型動物から小型動物、草食動物から肉食動物までさまざまな種族が一緒に暮らすズートピアに重なる。
一方で、我々日本人が暮らす環境はどうか。隣国から隔たれた島国で暮らし、基本的には周りには同じ日本語をしゃべる人しかいない。直接的に差別を受けるという経験をしたことがある人は、おそらく他の国に比べれば少ないだろう。そんな日本人にとって、ズートピアは公開当時“別の国”の話だったかもしれない。
■ズートピアが内包していた闇――表面上だけの多様性
『ズートピア』公開から9年が経つ今、日本は大きく変わりつつある。インバウンド事業が大きく伸び、街に出ればアジアや欧米からやってきた観光客があふれ、銀座や京都を歩けば日本語が聞こえてこない瞬間すらある。ジェンダー意識も変化し、「LGBTQ」というワードを知らない人はいない。自分と違う人を受け入れることが当たり前になった。あくまでも“表面上”だが。
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しかし、ジュディは“差別されてかわいそう”なだけのキャラクターではない。ジュディ自身も、「駐車違反取り締まり」=優秀な自分がやるべき仕事ではないと職務内容に優劣をつけていたり、幼い頃のトラウマから常にキツネ撃退スプレーを持ち歩いていたりする。そしてジュディが肉食動物たちに対して放った言葉によって、バディ関係、ひいてはズートピア全体に亀裂が生じていく。自分が持つ偏見や差別意識には気が付きにくいものだが、知らず知らずのうちに誰かを傷つけ、分断を生んでいるかもしれないことを、ズートピアの住人たちは教えてくれる。
■“ズートピア化”していく日本に、ニック&ジュディは現れるか
とはいえ、ジュディは差別主義者ではない。自身の持つ意識に気づいていなかっただけだ。そして彼女は作中でそれに気づき、知ることで変わっていく。そして「どうせ自分は信用されない」と諦めていたニックも、ジュディが自分を信用してくれたことで変化していく。
『ズートピア』劇中では、事件は解決するが、問題は解決しない。事件によって、一部の動物たちの心にはきっとなにか変わった部分があるだろう。“理想郷”ズートピアでは、やっぱり肉食動物は危険だし、草食動物は庇護されるべきだ、という意識は残り続けているはずだ。そんな中でも、小さなウサギのジュディが警察官として活躍したことや、キツネのニックが新たに警察官になったことで、2人、そしてウサギ・キツネという種族に対する見方は少なからず変わっただろう。この一連のニュースは案外すぐにズートピアの住人からは忘れられていくかもしれない。でも変化した意識は、やがて大きな潮流となっていく。
ズートピアでは、表面上の多様性で蓋をしていた不安や不満、偏見が、大きな事件を引き起こした。今の日本では、“蓋”がいまにも外れそうな空気があちこちにまん延しているが、ジュディやニックのように未来への希望になる存在は現れるだろうか。(文・小島萌寧)
映画『ズートピア』は12月5日21時(※放送枠15分拡大)日本テレビ系『金曜ロードショー』にて放送(本編ノーカット)。
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