
錦織圭という奇跡【第5回】
松岡修造の視点(5)
◆松岡修造の視点(1)>>「錦織圭選手の体に入ってみたい!」」
◆松岡修造の視点(2)>>「松山英樹さんや羽生結弦さんからも感じた」
◆松岡修造の視点(3)>>「気がつけばナダルやジョコビッチまでもが...」
◆松岡修造の視点(4)>>元コーチから聞いた「エア・ケイなんてやるな」の意味
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錦織圭──。ランキング最高位は、2015年に達した世界4位。2014年USオープン準優勝、すべての四大大会でベスト8以上を記録。ATPツアー優勝は12回。2007年に17歳でプロ転向した彼は、35歳になった2025年12月現在、ランキング156位につけている。
20代半ばの頃の錦織は、「身体だとかモチベーションも含め、30歳を超えてプレーする自分の姿は見えない」と、近い未来への不安を口にしていた。その彼が満身創痍でありながらも、今なお活き活きとコートを駆けている。
コロナ禍の無観客でも、ツアー下部大会郡のATPチャレンジャーでも、そこがテニスコートであるかぎり、ボールと戯れるような彼のプレーやモチベーションには、何ひとつ変化がないように見える。
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錦織は常々、自分を「負けず嫌い」だと表してきた。最終セットの勝率が高い理由も、結局は「負けたくない」という強い気持ちにあるのだと。
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ただ、単純に負けるのが嫌いなだけであれば、以前よりもランキングが落ち、負けることも多くなった現状を、嫌だと思いかねないはず。では、錦織が今もテニスを好きでいられるのは、なぜだろう?
松岡修造氏が、こう読み解く。
「たしかに錦織選手は、シンプルな言葉で言えば『負けず嫌い』ですが、どちらかというと勝つことが好き......『勝ち好き』なのではないでしょうか? 負けること、イコール、足りないものがあるということ。負ける試合から自分に足りないことを知り、勝つために必要なことをどんどん学んでいる。
僕が今の錦織圭選手を見てすごいなと思うのは、世界の4位まで行った方がATPチャレンジャーなどいろいろな大会に出て、楽しんでいることです。
普通は、嫌ですよね。グランドスラムやATPに比べたら、環境や選手対応も違う。練習の状況も使えるボールの数や質も含めて、そこには大きな差があります。それでも関係なく、テニスができる喜びを感じているように見える。僕だったら嫌だったと思います」
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【僕とはテニスの奥深さが全然違う】
松岡氏は続ける。
「ATPチャレンジャーで対戦する選手は、世界200位や300位の選手。以前だったら相手にもしないような選手に、負けることもある。錦織選手の全盛期を知らない若い選手には、失礼な態度を取られることもあるかもしれない。そういう人に対してもまったく変わらず向かっていき、『テニスができる環境さえあればいい』と思えることも、ひとつの才能だと思います。
もちろん、負けるのは嫌ですよ。嫌ですが、成長を感じられる。ツールが入っているボックスの引き出しが無限なので、負けるたびにできることが増えていくんでしょうね。負けても、勝利に近づいていくのはたしかであり、そのプロセスが楽しいのではないでしょうか」
引き出しを増やす──。それは「選択肢を増やす」ということであり、それこそが錦織が今もテニスを楽しめる秘訣だろうと、松岡氏はある種の羨望も交えて言った。
「おそらく『選択』こそが、錦織選手が前に進むうえで大きいのだと思います。それはテニスの試合内の話だけではなく、人々との出会いや、人生での選択も含めてです。『やりたいか、やりたくないか』のチョイスであり、自分が選んだということが、すごく大事なんだと思います。
テニスのプレーも、そうですよね。彼には無限の想像力と、それを身体で表現する力がある。だからきっと、まだまだ増やせる選択肢が多いと感じているのだと思います。
最近は『スライスを多く使っていきたい』と言っているという記事を読みました。ショットにしても、まだまだ未知の回転があると、とらえているのではと思います。きっと僕と錦織選手とでは、テニスの奥深さが全然違うんですよ。だから、それを手放したくないのでしょうね」
ここ数年、錦織がグランドスラムやATPツアー大会に出場すると、会見で必ず彼に向けられる問いがある。
「何がモチベーションなのか?」
錦織の答えは、「カルロス・アルカラス(スペイン)やヤニック・シナー(イタリア)など、若手のトップ選手と対戦したい」ということ。そして「テニスが好き」という、原初的な衝動だ。
【錦織圭はどこに向かうのか?】
それらを踏まえたうえで、松岡氏は「何がモチベーションだと思うか?」との問いに、次のように答えた。
「錦織圭選手が、何度もケガを経験しながら、それでもコートに戻ってくる最大のモチベーションは何か? 僕は、とてもシンプルな理由にたどり着くと思っています。それは『自分自身を信じているから』。もっと言えば、『錦織圭という存在を、自分のテニスそのものを、今も信じているから』ではないでしょうか。
彼は、テニスを『攻略』する感覚でプレーしてきた選手です。対戦相手が変わっても、年齢を重ねても、変化を恐れず、その都度、自分のプレーを進化させてきた。まるでゲームのように、次のステージをクリアしていくような楽しさが、彼のテニスにはある。
彼の最近の言葉に、『体は正直きつい。でも、今の若い選手とやっていても負けたくないって思うし、まだ自分の引き出しを増やせると感じるんです』というのがありました。『まだ進化できる』という感覚が強くある。
新しいアイデア、新しい組み立て、新しい自分──。彼は今もそれを探しながら、前に進んでいるんだと思います。それはもう、モチベーションを超えた『生き方』のようなものかもしれません。アッパレですね」
今回、錦織圭を11歳の時から指導し、見守ってきた松岡氏に、『錦織圭という奇跡』とのテーマで、彼の過去から現在までの軌跡を語ってもらった。
その長いインタビューの最後に、尋ねた。錦織圭はこの先、どこに向かうのだろうか?
「今の錦織圭選手を見て、僕がただ願うのは、『彼が、自分自身のテニス人生を納得いくまで全うしてほしい』ということです。
どこまで行けるのか? 正直、それは誰にもわかりません。ATPツアー優勝や、ランキングで言えば50位、30位といった位置は、十分現実的な目標だと感じています。ただし、誰もが期待するグランドスラムでの活躍となると、やはり『?』がつく。
理由は体力面です。グランドスラムは5セットマッチ。長丁場を勝ち進むためには、試合時間をいかに短くできるか? 体力を温存しながらギアを上げるタイミングを見極めて戦えるか? すべてはその調整力にかかっていると思います」
【すべてが奇跡的にかみ合ったら...】
そして、最後にこう続けた。
「ただ、同時に、こうも思います。
もし、錦織圭選手が『やっと、もう一度、自分のテニスと出会えた』と感じる瞬間があり、その時に、気温や対戦相手、会場の空気、それらすべてが奇跡的にかみ合ったなら......。僕はその瞬間に、『何か』が起きると思っています。
これまで、僕たちの想像をいくつも超えてきたのが、錦織圭という男です。だからこそ、思うのです。世界も彼の『次のサプライズ』を、どこかで待っているのだ......と」
(つづく)
◆次回・細木秀樹の視点(1)>>「うそでしょ!? とんでもない子が来た!」
【profile】
松岡修造(まつおか・しゅうぞう)
1967年11月6日生まれ、東京都出身。姉の影響で10歳から本格的にテニスを始め、中学2年で全国中学生選手権優勝。福岡・柳川高時代にインターハイ3冠を達成し、その後アメリカへ渡る。1986年にプロ転向し、1992年のソウルオープンで日本人初のATPツアーシングルス優勝。1995年のウインブルドンでは日本人62年ぶりのベスト8。オリンピックにはソウル、バルセロナ、アトランタと3大会出場。1998年に30歳で現役を引退。現在は日本テニス協会理事兼強化育成副本部長を務めながらスポーツキャスターとして活躍。ランキング最高位シングルス46位。身長188cm。
