【箱根駅伝 名ランナー列伝】竹澤健介(早稲田大学) 「日の丸ランナー」として箱根路を激走した早大の絶対エース

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2025年12月11日 07:10  webスポルティーバ

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箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡
連載05:竹澤健介(早稲田大/2006〜09年)

いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離 217.1kmを各校10人のランナーがつなぐ襷リレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。

すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる今連載。第5回は、竹澤健介(早稲田大)を紹介する。

【同級のライバル・佐藤悠基の背中を追いかけて】

 箱根から世界へ。その言葉を現役学生で実現したランナーがいる。早大の絶対エース・竹澤健介だ。大学在学中には箱根駅伝で大活躍しただけではなく、2007年の大阪世界陸上と2008年の北京五輪にも出場。しかし、学生時代、竹澤は常に"厳しい表情"を浮かべていた印象が強い。

 同学年には世代の記録を塗り替えてきた佐藤悠基(佐久長聖高・長野→東海大)がいた。竹澤は報徳学園高(兵庫)3年時のインターハイ5000mで8位入賞(14分25秒20)を果たすも、日本人高校記録(当時)をマークした佐藤に40秒差をつけられている。しかし、竹澤が名門・早大に進学すると、佐藤の背中に急接近していく。

 1年時は日本インカレの5000mで4位、10000mで5位。箱根駅伝予選会では日本人トップの個人3位に食い込み、早大のスーパールーキーと騒がれた。ただ、箱根駅伝は花の2区に抜擢されたが、1時間09分55秒の区間11位と苦戦した。

「夏ぐらいから渡辺(康幸駅伝監督)さんに『2区でいくぞ』と言われていたので、イメージはできていたんです。それなりの練習もできていましたし、区間5位くらいでは走れるだろうと思っていたので結構ショックでしたね」

 帰省の新幹線で涙が出るくらいの悔しさを味わったという竹澤だが、2年時はトラックで記録を伸ばしていく。

 5月の関東インカレは10000mで4位(28分19秒22)、5000mで5位(13分45秒46)。6月の日本インカレ5000mで3位(13分30秒96)と好タイムを残すが、いずれも佐藤に惜敗した。しかし、8月30日のロベレート国際5000mで日本歴代3位(当時)の13分22秒36をマーク。初めて佐藤に先着すると、竹澤の快進撃が幕を開けた。

 東海大の佐藤が1区で爆走した2007年の箱根駅伝。竹澤は花の2区で魅せた。3秒遅れでスタートした山梨学院大のメクボ・ジョブ・モグスを終盤に再逆転。6人抜きを演じると、1時間07分46秒で区間賞を獲得したのだ。それでも本人は納得していなかった。

「前半突っ込んだら、後半バッチリ止まりました。モグスに抜かれたあと、5kmを14分05秒くらいで通過して、権太坂まではよかったんです。でも下りでうまくリズムをつかめず、最後はクタクタな状態でタスキをつないだ印象ですね。終わったときに思ったのが、渡辺さんは1分も速い。どうやって走ったらいいのか、ということでした」

 竹澤は早大の駅伝監督であり先輩の渡辺康幸がマークした1時間06分48秒、当時の区間記録である1時間06分46秒(順天堂大・三代直樹)を強く意識するようになった。しかし、その後、花の2区に挑むことはなかった。

【世界陸上&五輪シーズンは3区で激走】

 3年時の竹澤はトラックで強烈な走りを連発する。4月はカージナル招待(アメリカ)10000mで日本人学生最高(当時)の27分45秒59をマーク。6月は日本インカレ5000mを制すと、日本選手権10000mで2位に入る。7月のナイト・オブ・アスレチックス(ベルギー)5000mで13分19秒00の日本学生記録(当時)を打ち立てたのだ。夏には大阪世界陸上の10000m(12位)に出場した。

 トラックを連戦したあと、全日本大学駅伝は2区で区間賞・区間新の快走を見せた。しかし、大阪世界陸上後に「股関節」を痛めた影響で、箱根駅伝は3区での出走となった。不完全な状態ながら竹澤は1時間03分32秒で区間賞を獲得。12位から5位に順位を押し上げて、チームの総合2位に大きく貢献した。

「3年時はとにかく練習が積めていなかったので、箱根の前は超絶ストレスでしたね。2区を走るつもりでいたんですけど、ダメでした。ただ箱根は思ったよりペースがよくて、渡辺さんから『休んでいいよ』と声をかけられたのを覚えています。それ以外は脚が痛くて覚えていません。上野さん(裕一郎、中央大)が失速してくれたので、降ってきた区間賞でした」

 五輪イヤーとなった2008年、竹澤は箱根駅伝以降なかなか姿を見せなかった。試合復帰したのは6月の日本選手権5000m。約半年ぶりのレースながら研ぎ澄まされた集中力で2位を確保する。そして日本人の現役学生では44年ぶりとなる長距離種目での五輪代表をつかんだ。
 
 北京五輪は10000mが28位(28分23秒28)、5000mは予選で7着(13分49秒42)だった。そして最後の箱根駅伝は3区に登場。東海大・佐藤悠基との"エース対決"が注目を浴びた。

 ふたりが競り合うシーンはなかったが、竹澤は6位から2位に、佐藤は18位から5位に順位を押し上げる。竹澤は区間記録を32秒も塗り替える1時間01分40秒で区間賞に輝いた。

「練習ができていなかったので、とにかく60分間ひたすら集中しました。悠基が保持していた区間記録も把握していなかったですし、総合優勝するなら自分のところでどう走るのか。そこしか頭になかったんです」

 竹澤はV候補だった駒澤大との差を広げることに注力するも、総合優勝は1年生だった柏原竜二が5区を快走した東洋大だった。早大は41秒届かず、2年連続の準優勝に終わった。

 3、4年時はチームのために必死に箱根路を駆け抜けた竹澤。学生時代をこう振り返る。

「もしかすると、ちょっと無理しすぎた部分があったかもしれません。でも僕の人生ですし、それを失敗として終わらせるのではなく、指導者として選手を伸ばすことにつながればポジティブなものになるはずです。すべて"込み込み"で僕は最高の経験をさせてもらったと思っています」

Profile
たけざわ・けんすけ/1986年10月11日生まれ、兵庫県出身。報徳学園高(兵庫)―早稲田大―エスビー食品―住友電工。大学時代はトラック、箱根駅伝を通して活躍し、4年時には学生としては44年ぶりのオリンピック日本代表として北京五輪に出場(5000m、10000m)を果たした。箱根では1年時は2区区間11位だったが、2年時に2区、3、4年時は3区で3年連続区間賞を獲得した。卒業後はエスビー食品、住友電工で競技を続け、2016年度シーズンで現役引退。2019年からは大阪経済大のヘッドコーチとして指導にあたり、2022年4月から摂南大ヘッドコーチを務めている。

【箱根駅伝成績】
2006年(1年)2区11位・1時間09分55秒
2007年(2年)2区1位・1時間07分46秒
2008年(3年)3区1位・1時間03分32秒
2009年(4年)3区1位・1時間01分40秒*区間新

*区間新記録は当時

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