
子どもが生まれると、親も自分を守る意識がより強くなるかもしれません。守るものが増えるからです。学校から連絡網が消えるなど、個人情報を守ることに意識が向けられるようになった現代。知らない人に、どこに住んでいるか知られたくないとの考えもあるようです。今回のテーマはマンションのエレベーター。誰かが乗っていたら同乗しないように空気を読むのが普通なのかどうか、投稿者さんは知りたいようです。
『友だちが、自宅マンションで一緒にエレベーターに乗ってきた男の人がいて怖かったと言うので「どういうこと?」と聞きました。すると「マンションは階数が分からないよう気をつかって、一緒に乗らずにまた降りてくるまで待つのが普通だ」と言うのです』投稿者さんも「たしかにまだ乗れるのに、次でいいです、と言われたことは何回かある」と心当たりがあるそう。そう言われればたしかに知らない人がマンションのエレベーターに乗っていた場合、自分の住んでいる階数のボタンを押したら、住んでいる階が知られてしまいます。マンションのエレベーターで「知らない人と一緒に乗らない」。それは常識なのか、それとも気にしすぎなのか。ママたちも同じように自衛しているのでしょうか?
エレベーターでの同乗「気をつけている」派の声
最近では、防犯意識の高まりから「なるべく他人との同乗を避けている」という人が少なくありませんでした。自衛をするに越したことはないと言います。
『乗ってきても気にしないけれど、誰かが乗っているときに一緒に乗るのは気まずい。だから自分のいる階を過ぎてからボタンを押すこともある』
『娘たちには絶対にひとりのときに知らない男性と同乗しないように教えています。もし乗ってきたら自分が降りるようにと。実際、同じ階で降りたふりをしてついて行き、部屋に押し入る事件もありました。怖い思いをするくらいなら、待つほうがいい』エレベーターという密室空間では、他人との距離の近さがどうしても気になるという意見もあり、「警戒している」というより「気をつけるのがマナー」と考える人も。
『場合によってわけている。顔見知りとかならご一緒しちゃうかな。後からついてきて急いで乗り込まれたらなんとなくイヤかも』感染症で“他人との密接”を避ける意識が広まったこともあり、「同乗を避ける習慣が定着した」という声もありました。
『うちはファミリーマンションだけれど、なるべく一緒にならないようにタイミングを見ている』
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エレベーターに知らない人がいても「気にならない」派の意見
一方で、それを気にしていたら生活できないとの声も根強くあります。
『「みんな」なわけないでしょ。そのような“普通”はない。人による、それだけのこと』
『前に住んでいたマンションでは、朝の通勤時間なんて誰でも一緒に乗る。気にしていたら住めないよ。管理人さんもいるし、怖いと思ったことはなかった』
『うちは誰も気にせず乗っている。お子さんを抱っこしている人がいたら「何階ですか?」とボタン押してあげることもある。むしろ助け合いの場って感じ』マンションに住んでいればエレベーターは生活の一部。毎日、何度も乗り降りすることがあるでしょう。それに相手が降りても表示を見れば、止まったところが住んでいる階数はわかってしまいます。生活空間を共有している以上、エレベーターを「怖い場所」として避けるのは不自然ではないかとの考えも。むしろご近所付き合いの意味合いもあります。顔見知りなら会釈をして、共有のものとして使う場所なのでしょう。
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自衛は大事、でも相手に求めるのは違う
ママたちは「防犯意識は大事だが、それを他人に求めるのは違う」とも考えるようです。
『その友だちの言い方がすごい。何もしていない普通の人なのに“遠慮しろ”って思うのはどうかと。疑ってごめんなさい、でいいのではない?』
『怖いと思うなら、自分が降りればいいだけ。相手に配慮を求めるのはエゴだと思う』特にひとり暮らしでは、知らない人が乗っていたら少し気を引き締める女性もいるでしょう。「怖い」「気をつけたい」という気持ちは理解できるけれど、その線引きは自分で行うべきとの考え方です。
「同乗を避ける」のは個人の判断。“空気を読む”を押し付けないこと
結局のところ、マンションのエレベーターで「同乗を避ける」のは普通でも非常識でもなく、個人の感覚に委ねられているようです。
防犯意識が高まる時代、自分や家族を守るための行動は決して悪いことではありません。ただ一方で、それを当然のルールとして他人に押しつけてしまうと、日常の少しの思いやりや人との関係までギスギスしてしまうかもしれません。もし違和感があるのなら、自分が離れればいいのです。静かな密室のなかで、お互い少し気をつかい合う……それが一番自然な「エレベーターの空気」なのかもしれません。
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