
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第43回】ジネディーヌ・ジダン(フランス)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第43回は「サッカー史上最高の選手のひとり」と称されるジネディーヌ・ジダンを取り上げる。選手として個人の主要タイトルを総ナメし、チームとしてチャンピオンズリーグもワールドカップも制覇。指導者になっても早々に頂点を極めた天才は、まだ53歳というから驚きだ。
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かつて、司令塔と呼ばれた名手たちは体格に恵まれていなかった。ペレとディエゴ・マラドーナは身長170cm前後で、ミシェル・プラティニ、ジーコ、ロベルト・バッジョは痩身である。
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しかし、あの男は頑健な肉体を擁していた。身長185cm、体重80kg。20〜30年ほど前のフットボールでは大型の部類に入る。それでいて繊細なボールテクニックを持ち、卓越した状況判断でゲーム全体をコントロールした。
ジネディーヌ・ジダンである。
「両足にシルクの手袋をつけているかのようにプレーする。私が今まで見たなかで最高の選手だ」
1950年代、レアル・マドリードのチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)5連覇に貢献したレジェンドFWアルフレッド・ディ・ステファノも絶賛している。
マラドーナのような愛嬌も、プラティニが醸し出す芸術性も、バッジョの悲哀も、ジダンには感じられなかった。風貌は傭兵を思わせるほどたくましく、獲物を狙う野獣のような視線は不気味ですらあった。雰囲気は「荒くれストッパー」に近い。
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ところが淡々と、いや、むしろ艶やかにと表現すべきか。ため息を誘うようなスーパープレーが次々に飛び出す。ヒール、アウトサイド、足の裏を使ったシルキータッチのボールコントロールで、相手のスライディングタックルを、プレスを無効化する。傭兵のような男が、だ。
今風に言うなら「ギャップ萌え」。ジダンによって、司令塔のイメージは覆された。
【カントナとコンビを組んだかも?】
1988年、カンヌでプロデビュー。1992年のボルドー移籍で才能を発揮するようになると、4年後にはユベントスに引き抜かれた。イタリア屈指の名門は「君こそプラティニの後継者だ」の甘言で口説き落としたという。なるほど、このひと言ならジダンも抵抗できない。同じフランス人の偉大なる先達との比較は、最強の交渉手段だ。
ちなみに、マンチェスター・ユナイテッドもジダンにアプローチしたが、けんもほろろに断られている。
「マンチェスター・ユナイテッドには興味がなかった。1990年代中頃のプレミアリーグはパッとしなかった。当時はセリエAが最高峰であり、誰もが目指す場所だった」(ジダン)
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もしジダンが「赤い悪魔」を選んでいれば、エリック・カントナ、あるいはポール・スコールズとのコンビが実現していたかもしれない。
さて、ユベントスの5年間でジダンは光り輝き、スクデット2回、チャンピオンズリーグは1996-97シーズンから2年連続決勝進出。アレッサンドロ・デル・ピエロとフィリッポ・インザーギのコンビ「デル・ピッポ」を、ダブルタッチとマルセイユルーレットを多用して自在に操った。
2001年、ユベントスに続く新天地はレアル・マドリードだ。エリートからエリートへ、ジダンの実力を如実に表わすコースである。しかも、ラ・リーガの君主はクラブ創設100周年。フロレンティーノ・ペレス会長は、ありとあらゆるタイトルを獲得するための切り札として、ジダンを指名したのだが......。
ラ・リーガではバレンシアとの差が徐々に開いていった。コパ・デル・レイは決勝でデポルティボ・ラ・コルーニャに敗れた。ペレス会長の野望は早々に挫かれる。残るターゲットはチャンピオンズリーグだけだ。
1次リーグと2次リーグは比較的イージーに勝ち抜いたレアル・マドリードだったが、準々決勝で待っていた相手はバイエルン。ホームの第1戦を2-1で先勝したドイツ王者は、スペインの「白い巨人」に向かって大口を叩いた。
【白い巨人をCL制覇に導くゴール】
「ヤツら(レアル・マドリード)は怖気づいて小便をもらしているんじゃないか」(MFハサン・サリハミジッチ)
「オレがサンチャゴ・ベルナベウで失点するわけがない」(GKオリバー・カーン)
たとえそれがマインドゲームの一環だとしても、あまりも失礼な物言いにレアル・マドリードの面々は奮い立った。
結果、バイエルンを2-0で下して準決勝に進出。しかもその試合内容は一方的だったため、敵将オットマー・ヒッツフェルトも「多様な才能を持つ偉大なチームに脱帽するしかない」と、敗北を認めるしかなかった。
準決勝でバルセロナを3‐1(2試合合計)と退けたレアル・マドリードは、レバークーゼンとの決勝に挑んだ。彼らは準々決勝でリバプール、準決勝でマンチェスター・ユナイテッドを連破してきた。油断ならない相手である。
9分にラウル・ゴンサレスが先制したものの、5分後にはルシオに同点ゴールを許す。チャンピオンズリーグ16試合で13失点、ラ・リーガ38試合で44失点を喫していた今シーズンのレアル・マドリードはこの1失点で浮き足立ち、試合の流れがレバークーゼンに傾いていく。
だが、前半終了間際に伝説のゴールが決まる。ロベルト・カルロスのクロスは狙いすましたものではなかったものの、ジダンはボールの落下速度を瞬時に計算し、左足を振り抜いた。するとそのボールは美しい軌道を描きながら、ネットへと吸い込まれていく。のちにジダン本人が「再現は不可能」と振り返った、芸術的な1点だった。
このゴールを守りきったレアル・マドリードは、2シーズンぶり9度目のヨーロッパ制覇を達成した。
一方、ジダンのフランス代表における圧巻は、地元開催の1998年ワールドカップだ。
特に決勝のブラジル戦は、自ら「得意じゃないし、好きでもない」と公言していたヘディングの競り合いでレオナルド、ドゥンガを弾き飛ばして2ゴールを奪い、3‐0の圧勝に貢献している。ビジョン、パスワーク、強靭なメンタルなどすべて申し分なく、ジダンひとりでブラジルを叩きのめしたと言っても差し支えないほど圧倒的なパフォーマンスだった。
【ついにフランス代表監督に就任?】
2006年に現役を引退したあとは、レアル・マドリードの指揮官となってラ・リーガを2度制し、2015-16シーズンからチャンピオンズリーグ3連覇も成し遂げた。早々に名将の仲間入りを果たしたが、2020-21シーズンに監督を退任したのち、第一線から距離を置いている。
ところが2025年11月、思わぬニュースが流れてきた。
「近々、現場に戻る」
本人の興味深い発言をきっかけに、2026年の北中米ワールドカップ終了後にフランス代表監督への就任が有力視され始めた。
ジダンに憧れた選手たちのポテンシャルを最大限に引き出し、フランス代表監督としても世界を制するのだろうか。足もとは誰よりも優雅でありながら、球際で破壊的なほど強くアプローチできる後継者を育てられるだろうか。
あるいは、シャビ・アロンソ監督と一部の主力が異常な緊張状態に陥ったとされるレアル・マドリードへ、近日中に復帰するのか。
ジネディーヌ・ジダンの新章がまもなく始まる。
