画像提供:マイナビニュースこの記事では、「一流・二流・三流の違い」を、色気・人間関係・ファッション・聞き方・夜の所作など、あらゆる角度から浮き彫りにした『一流の男 二流の男 三流の男』(潮凪洋介/あさ出版)から一部を抜粋して紹介します。
今回のテーマは『第三の場所』。
○第三の場所
一流は、サードプレイスとともに生きる
二流は、ただ逃げ場を探す
三流は、ONにもOFFにも居場所がない
仕事場でもない、家庭でもない第三の場所――サードプレイス。
サードプレイスは受け身にならず、自分で探す。出会う。耕す。育む。
「与えられる」と思った瞬間、それはどんどん逃げて行く。
もう一人の自分で人生を謳歌し、命を完全燃焼できる舞台を持つかどうかで、人生の味も深みも変わってくる。
○一流は、「サードプレイスとともに生きる」
一流の男は、オフの時間に別世界を持つ。長年熟成させた自分専用のパラダイスだ。
趣味、スポーツ、学び、表現活動、ボランティア、アソビジネス――好きなことに夢中になり、自分と周りを幸福に導く場所。一流はそんな聖域(サンクチュアリ)とともに人生を過ごす。
サードプレイスから得たセンス、知識、人脈を自然と仕事にも還流、相乗効果を生む。ONでは「俺流」を抑えざるを得ない。しかしサードプレイスでは俺流が存分に解放される。利害を超えた友情や愛情が際限なく芽吹く。
仕事で知り合った女性は、自由と浪漫に溢れた息遣いに翻弄される。サードプレイスで知り合った女性は、仕事の顔を後から知り「この趣味オジがまさかの大人物?」と尊敬モードに!二つの波で心を奪われる。
まるでONの絹ごし冷奴と、OFFの四川風麻婆豆腐。同じ素材でも味も刺激も後味もまるで違う。引く手あまたな女性が、忙しいデートの合間を縫って過ごしたいのは、こんな深すぎる2つの奥行を持った男である。
○二流は、「ただ逃げ場を探す」
二流の男は、疲れたから休む、ストレスが溜まったからリフレッシュ。"療養止まり"の休日を繰り返す。ソファでだら〜んと横になり、会話が始まれば取引先の悪口と「俺は悪くない」まがいの自己正当化トーク。
創造や感情でつながった友人、仲間が増えず、仕事外に心通じる人はいない。
女性も当初、「頼られてるのかも」と思うが、三度目のデートで「この人、エネルギー吸いまくる」と、距離を置き始める。
大好きで得意なアソビと出会い、まずはそれに没頭し、技能成長のフルネスを感じる。まずはそこからでいい。家でも会社でもない第三の場所で心躍らせよう。
○三流は、「ONにもOFFにも居場所がない」
三流の男は、仕事でも私生活でも「俺の場所」と呼べる空間を持たない。
口から出るのは「趣味探すのって難しい」「人付き合いがめんどくさい」「でも寂しいなあ」の発言ばかり。サードプレイスを持つには、少しの反逆心が必要だ。誰にも奪わせない自分時間を守るには、ある意味仕事を蹴飛ばす、マザーファッカーマインドが必要になる。
日本人は同調圧力洗脳にかかりやすいうえ、「居場所を持たない人」があまりにも多い。日本社会、文化の弱点といってもよい。
一流はサードプレイスで本当の自分を昇華し、二流はそこを一時避難所にとどめる。三流は仕事外でも、「人生の主役になる場所がない」と思い込む。
第三の場所が生きた幸福を連れてくる。
○『一流の男 二流の男 三流の男』(潮凪洋介/あさ出版)
三流は焦り、二流は狙い、一流はただ“そこにいる”――この違いは何か?
それは、言葉やスペックでは説明しきれない“空気”のようなものだ。たとえば、恋愛の場でもビジネスの場でも、「なぜかあの人、気になる」「一緒にいると心地いい」「また会いたい」と思わせる男がいる。彼らは必死にアピールせずとも、ただ静かにそこに“存在している”だけで、周囲を引き寄せてしまう。努力をしていないわけではない。ただ、その努力が見えないほど自然に、日々の所作に“たしなみ”としてにじんでいるのだ。
本書は、そんな「一流の男」と呼ばれる人たちがもつ共通点を、昼と夜の両面から紐解く。()