鱗滝左近次の「天狗面」に見る“鬼を滅する”覚悟|『鬼滅の刃』 仮面に潜む“善の鬼”【前編】<連載:仮面からまなざすエンタメ世界>

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2025年12月29日 18:00  ねとらぼ

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ねとらぼ

鬼滅の刃の仮面考

異常者と言われようが、私たちは、へしむ、もどく。


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ライター:黒木貴啓

ライター・編集者・主夫。週2〜3能楽の出版社に勤めながら家事、仮面と男性学の研究、時々書き仕事。OMOTE PRESSの屋号で、古今東西の仮面文化から現代の面を見つめるリトルプレス『面とペルソナ20’s』を発行。ほかZINE『スタジオジブリの仮面と覆面』など。


X:@abbey_road9696


note:@takahirokuroki


 竈門炭治郎(かまど・たんじろう)たちの着物の柄、刀と神楽の結びつき、手毬や鼓(つづみ)で戦う鬼――。マンガ『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴/集英社)は、日本の伝統的なモチーフが、キャラクターのデザインや戦闘の小道具に巧みに取り込まれているのが、この国にいた遠い誰かとつながっているようで懐かしくもたのしい。中でも印象的な意匠として早くから登場するのが、仮面である。


 炭治郎に鬼殺隊へ入るための修行をつける鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ)は、初登場時から最後まで天狗(てんぐ)の面を着け、素顔を一度も見せない。鬼殺隊のための特別な武器「日輪刀」を作る刀鍛冶の里の人々は皆、ひょっとこの面を装着している。物語の序盤からずっと、炭治郎たちを支えるサポート役の“顔”として、日本に古来から存在する面が登場するのだ。


 登場人物にインパクトをもたらす手っ取り早い手段として、仮面はマンガのみならず、あらゆるメディア作品に用いられてきた。『鬼滅の刃』はそれだけでなく、その伝統的な面がもつ神格やペルソナ、歴史的背景と、装着する人物との役割とが見事に合致している。


 意図してのことなのか、それとも自然と選んでしまったのか。いずれにせよ、なぜ人々は山に住む異能の者に天狗、刀鍛冶にひょっとこという面を重ねてきたのか。天狗の高い鼻と、固く結んだ口。ひょっとこの丸い眼と、とんがらせた口。それぞれに日本人は何を託してきたのか。その面(おもて)の奥には、悪鬼に対する“善の鬼”というべき、福をもたらす逸脱者の、支配者の理不尽に抵抗する顔が見えてくる。


「そう 私 怒っているんですよ 炭治郎君」「ずっと ずーーっと 怒ってますよ」(『鬼滅の刃』第143話「怒り」胡蝶しのぶのセリフより)


 まずは鱗瀧の天狗面から掘り下げていきたい。


※後編を12月30日18時に公開予定です。


仮面はキャラにインパクトをもたらすため

 鱗滝左近次は、炭治郎が鬼殺隊に入れるよう修行をつけてくれる「育手(そだて)」の老人だ。物語ではずっと天狗の面で素顔を隠しており、にらみつけるような太眉に、口をへの字に結んだしかめっ面と、威厳を漂わせる。


 初登場は第2話とけっこう早い。家を出てから初めて対峙した鬼を何とか木に縛り付けたものの、どうすればいいか炭治郎が困惑していると、後ろからいきなり肩を掴んで「そんなものでは止めを刺せん」と、天狗の面を着けた人がアドバイスしてくる。面の横側から見えるシワからして、なかなかのおじいさんのようだ。じゃあどうすればいいのか聞き返すと、「人に聞くな」「自分の頭で考えられないのか」。妹が人を喰ったらどうするかという質問に炭治郎が1コマ分だけ考えると、大きくビンタを食らわして「判断が遅い」と言い放つ。そしてトラップだらけの山に炭治郎を置き去りにする。


 あらためて文字に書き起こしていくと、結構やばい。物語の序盤から主人公にめちゃくちゃスパルタ教育を仕掛けてくる、本作の厳しい老師、メンターの象徴だ。


 鱗滝が天狗面をつけている理由について、コミックスやアニメのおまけ話では「顔立ちが優しすぎるため何度も鬼にバカにされたから」と説明されているが、これは作者の後付けの可能性が高い。本作の初代担当編集者がインタビューで次のように語っている。


“たとえば鱗滝(左近次)さんは、当初は天狗のお面をつけていなかったんですよ”“初めにネームを見せてもらったときは、普通のおじいさんでした。ちょっとインパクトがないですよねという話をしたら、原稿の段階ではお面をつけていた(笑)。聞いてみると、「よいのが思いつかないんで、とりあえずお面をつけてみました!」とおっしゃって。だから、鱗滝の素顔を知っているのは僕だけなんです(笑)”(ライブドアニュース「『鬼滅の刃』大ブレイクの陰にあった、絶え間ない努力――初代担当編集が明かす誕生秘話」より)


 『ドラゴンボール』だと、悟空の育ての親である孫悟飯が狐面のようなお面を着けたり、『NARUTO -ナルト-』でも暗部がこれまた狐面を着けているなど、少年マンガで古典的な仮面が用いられるのは珍しくない。近年だと『チェンソーマン』でも暴力の魔人がペストマスクを被っていた。鬼滅では鱗滝や刀鍛冶がお面をかぶる理由について、特に物語の中では語られない。キャラクターにインパクトをもたらすためだった、という担当編集の告白は真実なのだろう。


 でも、『鬼滅の刃』の舞台は明治初期。日本を代表する仮面は、能面に狂言面、神楽面、各地の民俗面、さらには中国大陸から来た伎楽面(ぎがくめん)に舞楽面(ぶがくめん)、そのずっと前の土面(どめん)――と、ひと通り出揃っている。仮面をつかって印象付けるにしても、さまざまな面の中から吾峠呼世晴はなぜ天狗を選んだのだろう。


山で修行する修験者=天狗

 現代における一般的な天狗のイメージは2種類ある。鼻が高く赤い顔で、口を固く結び、山伏のような服装をして羽のうちわを持って空中を飛行する「山伏型」と、烏天狗(からすてんぐ)を筆頭とする鳥の頭をもち背中から翼が生えた「鳥類型」。鱗瀧が着けているのは前者、典型的な山伏型天狗の面だ。


 こうした天狗=「高い鼻×への口×赤い面×山伏」のビジュアルは、13世紀あたりから徐々に固まっていったものだという。日本史における「天狗」という言葉自体の初出は、720年成立の『日本書紀』とかなり古い。そこには、舒明天皇(じょめいてんのう)9年(637年)に大きな星が音を立てて流れた際に、中国系の渡来氏族の学僧が「流星ではなく、これは天狗なり。雷鳴のような声で鳴く」と指摘したことが記述されている。


 中国には古来、流星や彗星、雷などを、天を駆ける狗(いぬ、きつね)の姿形をした物の怪、「天狗」と呼ぶ言い伝えがあった。ある日の日本で、普通の流れ星とは違い、音を立てて大きく流れていった星の存在に戸惑った人々に対し(おそらく火球と思われる)、学僧が「それは中国でいう天狗だ」と伝えたのだろう。


 しかしその後、日本では、空飛ぶ超自然的現象のイメージとして狗(いぬ、きつね)は定着しなかった。『世界の仮面文化事典』(2022年/丸善出版)における民俗学者・笠原亮二氏の解説によれば、天狗はその後、平安時代成立の『今昔物語』などで、中国やインドから飛来し、山中を住処にして人々に超自然的な力を見せながらも、仏教の妨げとして日本の僧たちに調伏(ちょうぶく)される存在として描かれていったという。ざっくりいえば“仏教に負ける先住の怪異”である。


 一方で、もともと日本には古神道(こしんとう)と呼ばれるような、山の中を超自然的な山神や山霊の支配する異界とみなす信仰があった。次第に、深夜に木が倒れるのを「天狗倒し」、石が倒れるのを「天狗の礫(つぶて)」と呼ぶなど、山中で遭遇する怪異現象を天狗の仕業と認識するようになる。これが山中で修業しながら超自然的な能力を得ようとする修験道、山伏の姿に結びついていったのではないか――と笠原氏は指摘している。


 13世紀の『古今著聞集』では天狗が法師や山伏の姿で描かれ、14世紀『太平記』では天狗と山伏が一体化した天狗山伏が人に騙される愚者として描かれるなど、中世には天狗=山伏のイメージが絵として固まっていく。以降、正義のヒーローのような天狗に災厄をもたらす天狗、道化としての天狗など、さまざまな天狗の物語が生み出されていった。


 鱗滝と炭治郎の師弟関係を見ていると、強く思い出されるのが能の演目「鞍馬天狗」だ。


 源義経の幼少時代を題材にした物語で、舞台は京の都の北西にある鞍馬山。僧が子どもたちを引き連れ花見に来たところ、先にいた見慣れぬ山伏を警戒して帰ってしまう。しかし一人残った沙那王(しゃなおう。義経のこと)が優しく声をかけてくるので、山伏は自分が山に住む大天狗であることを明かし、鞍馬山での再会を約束する。後日、大天狗は諸国の山々の天狗を連れて登場し、沙那王に兵法の大事を伝える。沙那王がやがて平氏を滅ぼすだろうと予言し、絶えず力添えする約束をして去っていくのだった。


 義経は幼い頃に鞍馬山の天狗に修行をつけてもらった、という伝説は有名だが、その元となった話である。山奥で少年が天狗に厳しい修行をつけてもらうイメージは、早くとも室町時代には存在していたことになる。炭治郎をスパルタでしごく師匠のペルソナとして、天狗を選ぶのはごくごく自然、ということになってくる。


高い鼻のルーツ「治道」と「猿田彦」

 ところで、天狗の鼻はなぜ高くなったのだろうか。自慢したいことがあって得意げになることを「鼻が高い」と言う。また「鼻にかける」は自惚れや思い上がりのニュアンスがある。高い鼻は権力構造で上の立場の者が持つイメージがあるけれども、修験道に励んだ者がみんな鼻が高かったわけではないはずだ。


 仮面研究の中で、高鼻のルーツとしてよく挙げられているのが、伎楽面の「治道(ちどう)」と、九州の民俗面や神楽の天狗役によく用いられる面「猿田彦(さるたひこ)」だ。


 日本には飛鳥時代、中国南部の呉から仏教とともに「伎楽(ぎがく)」という仮面舞楽が伝わった。頭を後頭部まですっぽり覆う面をかぶって笛や鼓にあわせて無言で舞う芸で、日本では仏寺の供養や朝廷の宴の席で行われた。宮廷の中だけではなく、「行道(ぎょうどう)」と呼ばれる、無言の仮面たちが道を歩きながら面白おかしいやり取りを見せるパレードのような催しも行ったらしい。


 その伎楽面の中でも、「治道」は高く伸びた長鼻を持っている面で、行道の際には先頭を歩き、獅子とともに道の邪気を払い清める、その名の通り“道を治める”役割にあった。


 そもそも伎楽は古代インド・チベットで発生したとされており、同じく高い鼻をもった伎楽面の「胡徳楽(ことくらく)」は、ペルシア人が酔っ払った様子だとされている。治道の長鼻が何を意味するかはわからないが、こちらも異人の高い鼻の表象なのだろうか。


 「猿田彦」は、『日本書紀』に登場する「国つ神(地上に住む神々。天上=高天原に住むのが「天つ神」)」だ。天上の「天つ国」から神々が日本の地に降り立つ際(天孫降臨)、途中の道で神々を迎えて案内役をかって出た、古来から日本列島にいる土着の神、先住の神の一柱とされる。日本書紀には「その鼻の長さ七咫(ななあた。約126cm)、背の長さ七尺(約212.1cm)あまり」で「眼は八咫鏡(やたのかがみ)の如くして、赤酸醤(あかかがち。果実のホオズキのこと)のように輝いている」と書かれている。治道と同じように、先導する鼻の長い存在、というイメージがここにある。


 日本書紀の時期に猿田彦の仮面の記録は存在せず、現れるのは室町時代ごろから。面は赤い顔、高い鼻、鋭い目が特徴で、中世の修験者や芸能集団が普及させたと考えられている。 「猿田彦」の名を冠した同様の面は日本ほぼ全域に残っているほか、神楽の演目「猿田彦」では天狗の面が用いられるところがあるなど、猿田彦と天狗の関係はとても深い。


高鼻に潜む先住民の古層

 伎楽の伝来時期が612年と、日本書紀の成立時期(720年)よりもずっと早いことから、「治道」のような鼻の高い面が大陸からやってきた影響で猿田彦の鼻も高くなった、と考えるのが自然だろう。ただ、それ以前から日本に、支配者に大きな鼻のイメージがあった可能性も捨てきれない。


 私が好きなのは高見乾司氏の説だ。九州の民俗面を300点以上集めて展示している「森の空想ミュージアム」の館長であり、民俗面についてさまざまな論考を書いている在野の研究者で、猿田彦を「先住の民」の象徴だと推察している。


 高見氏の著書『神々の造形・民俗仮面の系譜』(2012/鉱脈社)によれば、猿田彦の面は、大陸からやってきた伎楽面や舞楽面の影響を受けつつも、九州各地に点在する大きな鼻と目を持った民俗面「火の王・水の王」「王鼻面」「先払い面」などと混交しながら、多様な相貌をみせるのだという。


 そして1999年に九州各地の研究者たちと開いた「猿田彦大神フォーラム」の内容をまとめ、猿田彦について次のように記している。


「猿田彦は親しみ深いけれども謎も多く、怖そうだけれども異性の魅力には弱く、争いを好まず、天と地あるいは国と国との境界を守りながらも新しい文化・人脈を自身の勢力圏内へと案内し、土着の信仰と渡来の文化を混交させ、日本列島の文化の古層を残しながら現代に至るまでさまざまに変容を繰り返しながら分布する愛すべき神様――すなわち『国つ神=先住民族の代表』である」


 また、北部九州・南九州には「祭りを先導する猿田彦」の神事が多く分布し、それら猿田彦の面をヤマト朝廷に侵略された隼人(はやと。かつて九州南部、現在の鹿児島県あたりに住んでいた人々)とする説も提示されていて興味深い(大分県中津市豊田町・古要神社の神事「古要舞」の両脇に置かれた赤と青の鼻高面や、鹿児島県曽於市・岩川八幡神社の「弥五郎どん祭り」など)。


 九州には猿田彦を含む「王面」系と呼ばれる土着的な民俗面のグループがあり、高見氏がそれらを「いずれも『土地神』の系譜を引くもの」、日本という国家が成立する前の縄文の神々の残像、と表しているのも見逃せない。


 とにかく治道にせよ猿田彦にせよ、どちらも高い鼻を持つ者が“道を先導”しているのが重要だ。昔は今のように道は整備されておらず、通るときは数日でのびてしまう植物を刈らなければいけないし、葉や枝についた朝露を払わなければ服がぐっしょり濡れてしまう。位の高い人が道をゆく際、先頭の者が障害物を避けたり「露払い」をしたりする役が必要だった。つまり、先導役とはどちらかというと身分の低い者の務めだった。


 天つ国の神(ヤマト朝廷の先祖)を先導した国つ神の猿田彦(先住の民、各地の豪族)、伎楽で先導役を担った治道の鼻が結びつき、同じく山に追いやられた先住民、仏教に調伏された天狗(山の神)へと引き継がれていった――というのは筋が通る。天狗の高い鼻には、大きな勢力に住む土地を追われた被支配者の悲哀や怒り、国家成立前の神々の精神が記憶されているかもしれないのだ。


への字の口=抵抗する精霊の姿

 最後に、天狗の口が「むっ」とへの字になっているのについて、興味深い論考がある。先ほど紹介した能の演目「鞍馬天狗」では、我々の知っている天狗の鼻高面ではなく、「癋見(べしみ)」と呼ばれる、大きな鼻で口を真一文字に結んだ能面が使われる。


 この癋見の口には、日本古来からいる土地の精霊の姿がある――と、民俗学者の折口信夫は論考「日本文学における一つの象徴」の中で書いている。


 能面や狂言面は、中国からやってきた「伎楽面」「舞楽面」といった、高度な技術によって作られた外来の優秀な面の影響を受けている。しかし一方で、「癋見」の「癋」とは「物言はぬ」の意である。発音の「へしむ」とは、絶対に口を開かず、沈黙を守ることを意味するところから、「癋見」のかたく結んだ口の造形は、あとからやってきた大きな力を持つ神の力の言葉に対して、圧服されまいと沈黙を守り続ける精霊(もどき)の姿がルーツにある、と書き綴っているのだ。


 鬼舞辻無惨、悪鬼という、圧倒的な理不尽、大きな暴力に、多くの継子(つぐこ)を殺された無念と、それでも屈しまいと静かに怒る鱗滝左近次。現役時代は鬼殺隊の柱として戦いながらも宿願は果たせず、老いた後は人里離れた山の中で育手となるのも、天狗や猿田彦のような人と異界の間に身を置く「境界の神」「被支配者側の実力者」の姿と重なる。


 優しい顔立ちを、高い鼻と鋭い目、口をムッとへしませた天狗の面で、固定する。そこには圧倒的な力に対する、外へと追いやられた精霊や先住民の反骨心や悲哀が詰まっていると思うと、鱗瀧の「鬼を滅せよ」という覚悟がより伝わってくる。


※後編を12月30日18時に公開予定です。


参考文献

(1)【取材・文】横川良明「『鬼滅の刃』大ブレイクの陰にあった、絶え間ない努力――初代担当編集が明かす誕生秘話」(ライブドアニュース/公開2020年2月5日、参照2025年12月1日)(2)吉田憲司編(2022)『世界の仮面文化事典』(丸善出版)(3)【写真】高見剛、【文】高見乾司(2012)『神々の造形・民俗仮面の系譜』(鉱脈社)(4)折口信夫「日本文学における一つの象徴」『折口信夫全集21』(1996)中央公論社(初出:「新日本 第一巻第六号」1938年6月発行)



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