20歳で手足3本を失った男性「死にたいと思った」絶望からの“再出発”を支えた家族からの言葉

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2026年01月02日 16:10  週刊女性PRIME

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事故から数日、入院中の様子。当時は何が起こっていたのか記憶が曖昧だったそう 写真提供/山田千紘さん

 20歳で突然、手足3本を失った─。絶望の中で山田千紘さんを支えたのは、家族の「生きてくれてありがとう」という言葉だった。左手だけの日常生活、義足での再歩行、仕事復帰、結婚、そして富士山登頂やホノルルマラソンへの挑戦。「限界を決めたくない」と語る彼が歩んできた、自立と挑戦の日々とは。

現実とは思えなかった

 目が覚めたら、そこは病院のベッドの上だった。事故当時の記憶も、搬送されたときの記憶もない。そして、右腕と両足を失っていた。

 2012年7月。20歳だった山田千紘さんは、仕事の疲れもあって、終電を待つホームから線路に転落。入線してきた電車に轢かれるという大事故に遭った。

右手と両足の計3本を切断しましたが、幸いなことに脳や内臓に損傷はありませんでした。生きていること自体、奇跡だったのかもしれません。でも、自分に起きたことが、現実とは思えませんでした」(山田さん、以下同)

 と、当時を振り返る。やがて、手足のない自分の現実を少しずつ受け入れ始めると、今度はこの先の不安や、家族、周囲への申し訳なさが胸に押し寄せてきた。

事故のこと、身体のことで迷惑をかけて、ごめんなさいという気持ちが強く、死にたいと思いました

 そんな山田さんに、家族がかけたのは「生きてくれてありがとう」の言葉だった。

 そのひと言をきっかけに、山田さんは前を向く。事故から10日後には気持ちを切り替え、利き手ではない左手で箸を使い、文字を書く練習をする。その後、リハビリテーションセンターに転院し、社会復帰のための本格的なリハビリに取り組んでいく。

掲げた目標は“自立”です。同じ年齢の人が大学を卒業して社会人になる22歳の4月をゴールに設定しました。失ったものは大きいですが、残った左腕の可能性に懸けてみようと、毎日リハビリに励みました

 左腕の筋力トレーニングを行い、同時に1年ほどかかるといわれた義足歩行も、周囲が驚くほどのスピードでクリアしていく。それは不断の努力があってこそだ。

すべてがマイナスからのスタートですが、できることが少しずつ増えていくことで達成感を得られ、ポジティブになれました

 入院期間に、家族をはじめ、医師、看護師、リハビリを指導する理学療法士や作業療法士、義足をつくる義肢装具士など、多くの人に支えられていることを実感した。その人たちへの感謝の思いが懸命なリハビリを、さらに後押しした。

僕の姿を見て希望を感じたり、立ち直るきっかけになってくれたら

 義足で歩けるようになると車の免許を取得。職業訓練校に通い、事故から2年後には障害者枠で再就職を果たす。そして目標どおり、自立のためのひとり暮らしを始める。

事故前は実家暮らしでしたが、掃除から着替え、洗濯も、全部ひとりでやるしかない。料理もしたことがありませんでしたが、節約も兼ねてお弁当を作るようになりました。リハビリもそうでしたが、できることが増えるたびに、自分の成長を感じました。毎日が攻略本のないゲームに挑んでいるようでした

 現在は会社員として働きながら、スキューバダイビングをはじめ、さまざまなスポーツや富士山登山などにもチャレンジ。今年はハワイで行われた、ホノルルマラソンにも挑戦した。

 そして、YouTubeチャンネルを開設し、日常生活やチャレンジする姿を発信し、自分の思いを語ってきた。その姿は多くの共感を呼び、同じように障害のある人やその家族からの反響も大きいという。

僕の姿を見て希望を感じたり、立ち直るきっかけになってくれたら。僕の一歩が誰かの一歩になればと思っています。失敗しても、そこには必ず成長があり、無駄なことはないと信じています

 もともと前向きで明るい性格だという山田さんだが、壁にぶつかるたびに悩みながら、周囲の支えに力を借りて立ち上がり、歩いてきた。

特に3歳上の兄の存在は大きいですね。事故直後は仕事を休んで付き添ってくれ、ひとり暮らしを始めるときにはお金も貸してくれました。本音を話せ、弱音を吐ける相手でもあり、そんなときも活を入れてもらいました。兄には本当に感謝しかないです

 そして昨年、山田さんは結婚。頼れる、もうひとりの新しい家族ができた。

どんな困難も、彼女となら一緒に乗り越えていける。共に笑えて“ここが自分の居場所だ”と思える人です。ホノルルマラソンも、一緒に出場しました

 生活面ではしっかり自立している山田さんだが、日々の暮らしにおいて事故の影響が完全になくなることはない。

 事故から14年。左手や義足を使いこなせるようになった今でも、時々襲われる強い痛みがある。それが“幻肢痛”だ。

事故直後は、腕も足も失っているのに、まだそこにあるような感覚があって、しびれるような痛みがありました。今でも年に数回、激痛が走ります。残念ながら対処法はなく、痛みが過ぎ去るのをただ耐えるしかないんです

 また、義肢は体形が少しでも変わるとつくり替えなければならず、体重管理にも気を使うという。

夏は汗をかくと、義肢があたる部分の皮膚が炎症を起こし、かぶれることもあります。乾燥もしやすいので、肌トラブルにならないように、ケアに気を使っています

自分の可能性を信じて歩き続けたい

 さらに、社会にはまだまだ越えなければならない壁がいくつもある。

「転倒を防ぐコンピューター制御の義肢ができたり、施設のバリアフリー化であったりと、ハード面はすごく進化していると思います。でも、ソフト面、心のバリアフリーはまだまだじゃないでしょうか。実際に僕も就職やひとり暮らしの物件探しでは、苦労しました。

“障害者だから、できない”と決めつけず、その人の可能性を見てもらえたら。社会が障害者の実情を知る機会がもっと増えてほしい。その思いが、SNSをはじめとした、さまざまな活動を続ける理由になっています

 山田さんに事故前に持っていた夢を聞いてみたが、「もう忘れました」とあっけらかんと笑う。見つめるのは未来。そして可能性だけだ。

限界を決めたくはないし、人生を楽しむことを諦めたくないんです。失ったものより、できることに目を向けて、今日も自分の可能性を信じて歩き続けたいですね

 義肢の扱い、生活動作の工夫、スポーツや仕事への挑戦など、どれも簡単ではない。それでも山田さんは、自分にできることをひとつずつ増やし、失敗しても諦めずに挑戦を続けてきた。

 それは、自分を支えてくれる人たちのためでもある。その力強い姿勢は、障害の有無にかかわらず、誰もが前に進む勇気を与えてくれる。

取材・文/小林賢恵

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