まず見るのは「コメント欄」? 消費も進路も“他人基準”で決まる若者たち

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2026年01月04日 06:10  ITmedia ビジネスオンライン

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人が勧めたものが、自分の「欲しい」ものになる

 この記事は、金間大介氏、酒井崇匡氏の著書『仕事に「生きがい」はいりません 30年の調査データが明かすZ世代のリアル』(SBクリエイティブ、2025年)に、編集を加えて転載したものです(無断転載禁止)。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。


【画像】『仕事に「生きがい」はいりません 30年の調査データが明かすZ世代のリアル』


 若者の○○離れ、という言葉を聞いたことがない、という人はもはやいないだろう。そんな中「今の若者は『欲しい』という感情がそもそも生まれにくくなっている」という主張には、もううなずくしかない。キャンパスの中で生活している立場としても、実感することばかりだ。


 では、今の若者は本当に「欲しい」という感情が生まれにくくなっているのか。第一の仮説はこうだ。「そうです。本当に『自分はこれが欲しい』っていうのはないんです」というもの。


 この仮説は、特に年上の世代の人たちにとっては理解しがたいらしい。ただ、誰でも「どっちでもいいな」と思うことは多々あるはずだ。あくまでも「どうでもいい」ではなく、「どっちでもOK」のほう。


 例えば、ファミレスのメニューを考えてみてほしい。立ててあるグランドメニューを開くと、どれも魅力的でおいしそうだ。まさに「どれでもOK」な状態。テーブルについた誰もがそう思っている時は、ちょっとたちが悪い。空気が微妙な濁り方をする。


 そんなとき「お母さんがこのチーズインハンバーグがおいしいって言ってた」と誰かが言う。まさに神の一声。これ以上の神様は他にいない。このときのポイントは、いかにあなたを優柔不断かではない。その母親からのレコメンドがあなたの心に刺さり、本当にそのメニューがおいしそう、食べたい、とあなたが思っているところだ。


 その証拠に、店員さんにこう言われたらどう思うだろう。


 「すみません、そちらは本日、終了となってしまいました」


 このときの落胆の深さは、うそではないはずだ。きっとあなたは「もう口がハンバーグモードになってたじゃん!」と言って、5分ほど挫折から立ち直れない。


 何が言いたいのかというと、こういうことだ。


 周りの誰か、特に自分に近くて信頼できる人が勧めたものは、そっくりそのまま自分の欲しいものになり得るということ。


 このエピソードは、しょせん「晩ご飯何食べる?」程度のものだ。だから人からのおすすめをそのまま取り込みやすい。が、この感覚が消費シーンの全方位に広がっているのが、今の若者たちだ。


●自分がない状態は消費からキャリア選択にまで


 人生において、本当に欲しいものなんてない状態。大体どれでも、どっちでもOKな状態。NGと思えるものはいくつかあるけど、それ以外なら本当にどれでも大丈夫な状態。まさにファミレスのメニューと同じだ。よって「自分はこれ!」というものがない。こんなときに、身近な人(=ほぼ親か同性の友達の2択)が「これいいよ」と教えてくれる。結果、それが自分の欲しいものとなる。


 こんな状況が、一部の若者たちの間で広がっていると僕は考えている。しかも、それがチーズインハンバーグをはじめ、その他多くの消費シーンから、進学や就職など、その後の人生に大きな影響を与えるキャリア選択にまで広がっている可能性がある。


 興味深い事例として、最近のアニメでは、登場人物の心境をいちいち細かく「心の声」として解説するケースが目立つ。大ヒットした『鬼滅の刃』が典型例だ。今、主人公はつらいのか、辛くないのか。画面に映し出された状況を、ポジティブに受け取っていいのか、ネガティブに受け取るべきなのか。そういったことまで、細かく声優さんがキャラクターの心の声として解説してくれる。


 あるいは、ネットニュースを見るとき、最近ではすぐに「コメント欄」に飛べるような仕組みになっていて、気になった人は多いと思う。PC画面で見る場合、画面のスクロールに合わせて付いてくるあれだ。


 学生たちのニュースの見方を見ていると、とにかくすぐそのコメ欄に飛ぶのだ。何なら「全文を読む」より先に「コメントを読む」をクリックする。コメ欄を読んで、そのニュースを“どう解釈していいのか”をまず知る。そうして、そのコメ欄に書いてあることをそのまま自分の解釈とするのだ。


 このことは、政治や経済などの難しいニュースにとどまらない。話題のヒット作から芸能人の結婚に至るまで、読めばすぐ理解できるようなことであっても、自分で解釈するにはコメ欄が必要となる学生もいる。


 これは「パクる」といった、悪意や悪気があっての話ではない。本当にそのコメ欄に書かれていることが、自分の解釈だと思える状態になるのだ。


 さらに驚くことに、この感覚は自らのキャリアにまで及ぶ。例えば、大学の学部選択。母親に「あなたはこの学部が好きだと思うな」と言われると、本当に自分にはそれが好きなように思えてくるという。


 さらには就職活動。「あなたにはこの会社が合うと思う」と言われれば、これまたそう思えてくるという不思議。


 「今の若者は自分でニュースも読めないのか」と言えば、その通りなのかもしれない。「自分の進路くらい自分で決めないでどうする」と言えば、それもまたその通りだ。


 だが、ファミレスで、すすめられたチーズインハンバーグに一瞬で心を持っていかれることがあるように、いくつかのはっきりしたNG項目を除き、「周りの人が好きなものが自分の好きなもの」という状態は、本人たちの責めに帰すべきものではない。「本当に『欲しい』というものはない」という状態は、十分にありうるという話だ。



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