
※本記事は『【推しの子】』のネタバレを含みます。ご注意ください。
いま、「あの」『【推しの子】』がみたび、アニメとして放送されている。
原作は、すさまじい人気を誇りながら衝撃の結末で賛否両論を呼んだ作品。その最終回の内容を巡っては、いまなおファンのなかで肯定、あるいは否定と激論が続いている。
アニメは原作通り、ダークでコミカルでスピーディー、文句なしに面白い。しかし上記の事情もあり、原作ファンのあいだでは先の展開への不安が渦巻いている。
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やはり『【推しの子】』は、またも主人公アクアの死へ向かっていくのだろうか、と。
ジャンル横断エンタメライター。主にマンガ・アニメ・ゲーム・映画を題材に、読者が感じる違和感や評価の分かれ目を言葉にする記事を執筆。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』CLAMP特集、マルハン東日本「ヲトナ基地」連載など。
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原作最終巻で、アクアはアイ殺害事件の黒幕であるカミキヒカルからルビーを守るため、カミキに刺されたことを装ってみずから命を絶ったのだ。ひとの心を自在に操って自分の手は汚さずに殺人犯に仕立てるため、法的に罪を問うことができないカミキを封じる、ほとんど唯一ともいえる手であった。
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アクアの選択を愚行と切り捨てることはたやすい。だが同時に、彼の選択ほど「現実的」な解決策もまた存在しなかった、そう考えられることも事実だろう。
芸能界の悪の象徴であるカミキを斃すために選んだ究極の自己犠牲。
華やかで欺瞞に満ちたショービジネスの世界を舞台としたこの暗い復讐譚は、こうしてアクアのルビーへの想いが生み出した最大の偽りとともに完結した。
ひとつの「これ以外ありえない」結末では、ある。この悲劇的な結末をそう受け止められた人もいれば「どうしても受け入れられない」と感じた人もいるだろう。
先述したように、カミキの罪を法律に則って裁くことは非常にむずかしい。かれはきわめて巧みにひとを利用するため、殺人を吹き込んだその証拠がいっさい残らないからだ。
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また、かれを何らかの手段で殺害したなら、トップアイドルであるルビーのスキャンダルとなる可能性がある。したがって、表の手段でも裏の手段でもカミキを止めることはできないのである。
だが、かれを放置したなら、カミキはいつまでもあらたな刺客をルビーのもとへ送り込みつづけるだろう。それを止める手立てはない――あたりまえの選択の範疇では。
だからこそ、アクアは自分の生命を犠牲にした起死回生の大トリックを用いるしかなかった。それこそが、かれが愛する妹を救うために考えだした最高の嘘だったのだ。
アクアの選択は幼稚な自己満足ではない。それ以外の道は、すべて「ルビーが壊れる未来」に繋がっていたかもしれないのだから。
生きることより、守ることを選ぶ。その勇敢な行動を否定する資格が、だれにあるだろうか。
こうして愛と嘘の物語としての『【推しの子】』は終わった。ある意味では、すべて見事なほどに筋は通っている、たしかに。
しかし――ほんとうに、これで良かったのか?
アクアのカミキを巻き込んだ偽装自殺が、純粋なロジックの上で、これ以上なく考え抜かれた策略であることはたしかである。
おそらく、アクアはカミキを消し去るにあたって、少しのリスクも犯したくなかったのだ。
完全犯罪でもって、かれを葬り去ることは可能ではあるだろう。しかし、もしそれが発覚した場合、ルビーのアイドルとしてのあり方に消せない汚点を残すこととなる。その危険性を冒すことはできなかったに違いない。
だが、それでも、アクアの行動には不審も残る。その凄惨な自己犠牲は最愛の妹への無償の愛から出たものであることは疑いようがない。だが、かれはあまりに自分の存在の価値を軽く見積もってはいなかっただろうか。
アクアは、たしかにルビーをカミキから守り抜いた。少なくともその肉体は。しかし、はたしてルビーの心まで守ったといえるか。
アクアにとって、ルビーがいのちに代えても守りたい少女であるのと同様、ルビーにとってのアクアも、だれよりも強く、強く愛する存在であった。
そのアクアがいなくなってしまったとき、ルビーの精神はガラスのように砕けたに違いない。だれもが二度と立ち上がることはできないだろうと確信するほどに。
そう、だが、それでもルビーはアイドルとして再起した。それは事実だ。その姿もまた、彼女がアクアへ奉げた想いがこもった、ひとつの至高の嘘ではあるのだろう。
こうしてアクアの愛とルビーの嘘、そしてまたアクアの嘘とルビーの愛でもって、物語は完全に終結する。ある意味では、たしかに残酷で美しい結末である。
だが、しかし――やはりもうひとつ納得がいかないところが残るのである。
すべての理屈をかなぐり捨てて言う。アクアにはルビーといっしょにしあわせになってほしかった。何より、かたわらのアクアなしにルビーが本心から笑顔になれるはずがないではないか。
アクア、やっぱりきみは、どこかでどうしようもなく間違えたんじゃないか。
もちろん「それでもアクアの選択こそが唯一の正解だ」という意見もあるだろう。
かれが生き延びれば、ルビーは永遠にカミキの影に怯えつづけることになるかもしれないのだから、そう考える人がいても不思議ではない。
そして、いま。そのような原作の展開を踏まえて、アニメ版『【推しの子】』第3期、またおそらくは、さらにそこから続くであろう第4期が、その結末をどう演出するのかが、大きな問いとして立ち上がっている。
もし原作に忠実に描くなら、この『【推しの子】』という物語は、ひとつの「愛と嘘を巡る寓話」として、非の打ち所がない完成度を誇るかもしれない。少なくとも、論理と構造の上では。
ただ、その一方で、原作を知る視聴者は、アクアの、あえていう、あまりに身勝手な自己犠牲を、より生々しく、より逃げ場がない形でふたたび突きつけられることになる。
はたして、アニメはその道を選ぶだろうか。それとも、何らかのアニメ独自の「もうひとつのルート」に踏み込んでゆくのだろうか。
ひとりの原作愛読者として、ぼくはいま、相半ばする不安と期待を抱えたまま、物語を追っている。
もしアニメがここでオリジナルな展開に踏み込むとしたら、それは筋を変え、起こったことを起こらなかったことにするためではないだろう。
むしろ、アクアがおそらくは考えに考え抜いて選び出したのであろうあの血塗られた選択肢が、ほんとうにほんとうの正しいアンサーであったのかどうか、もういちど問い直す、そのためであるはずだ。
アニメスタッフにはその問いに答える意思があるのか、それとも原作の筋書きをそのままになぞって同じところにたどり着くのか。
いま、アニメ『【推しの子】』は、原作とアニメのファンたちの期待と不安がこもったまなざしの檻のただ中で、まさにその岐路に立っている。
アクアが選んだ選択は、じつはマンガやアニメのなかだけの話ではないだろう。仕事、家庭、恋愛、病気、介護――「自分さえいなくなれば丸く収まる」と考えたことが、一度もない人がどれほどいるだろうか。
わたしたちはしばしば自己犠牲の美に誘惑される。だがそれは万能の答えではなく、ときに「生き残った側」に一生消えない孤独と罪悪感を押しつけることすらある。
もしあなたが「生き残った側」だったら、愛する人の自己犠牲を感謝しながら生きつづけることがほんとうにできるだろうか。
甘いかもしれない。けれど、これがぼくの本心だ。だから、どうか、どこでもかまわない、あなたの声も聞かせてほしい。
もしあなたがルビーの立場だったら、アクアが選んだ行動を赦しますか?
そして、もしあなたがアクアの立場に置かれたなら、かれと同じように愛する人のため自分が消え去ることで解決する「たったひとつの冴えたやりかた」を選ぶでしょうか?
アクアの選択は「正しかった」、いや、「間違えていた」、ぜひ、あなたの答えを教えてください。
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