【平成の名力士列伝:碧山】仲間に支えられ春日野部屋の伝統を最後まで守り抜いたブルガリア出身の大型力士

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2026年01月31日 07:00  webスポルティーバ

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連載・平成の名力士列伝70:碧山

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、名門部屋の看板を守り続けたブルガリア出身の碧山を紹介する。

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【パワーを生かした押し相撲で輝き放つ】

 22歳の時にブルガリアから来日し、言葉や文化、風習がまったく違う異国の地で力士として名を馳せ、現役晩年は伝統をひとり背負いながら土俵を務めたのが、元関脇の碧山だった。

 もともとレスリングに打ち込み、国内トップクラスの実力を誇っていたが、同国出身初の力士であり、当時現役だった大関・琴欧洲に誘われ、平成21(2009)年7月場所、田子ノ浦部屋から初土俵を踏んだ。

 入門時にすでに189センチ、150キロの堂々たる体躯を有し、レスリングで磨かれた格闘センスもあって初土俵からわずか2年で関取に昇進。十両を2場所で通過すると、巨体を利した強烈な突き放しを武器に、新入幕の平成23(2011)年11月場所は11勝4敗で敢闘賞を受賞する活躍ぶりだった。

 快進撃の一方で年が明けた2月13日、師匠の田子ノ浦親方(元幕内・久島海)が46歳の若さで逝去すると部屋は閉鎖。碧山は同じ出羽一門の春日野部屋所属となった。移籍後も勢いは止まらず同年9月場所は、新三役となる小結に昇進した。1場所でその座を明け渡したが、その後もほぼ横綱、大関陣総当たりの地位に定着し、平成26(2014)年11月場所は新関脇で勝ち越し。翌場所は5勝10敗で平幕に逆戻りしたが、持ち前のパワー全開の押し相撲は上位陣にとって脅威であった。

 平成29(2017)年7月場所は自己最速の9日目に勝ち越しを決めるとさらに白星を重ねていき、横綱・白鵬と千秋楽まで優勝を争って13勝をマーク。優勝決定戦進出の可能性があったが、1敗の白鵬が結びで横綱・日馬富士に勝って逃げきり、賜盃は最強横綱の手に。自身は新入幕場所以来、34場所ぶりの三賞となる2度目の敢闘賞を受賞した。

 三役復帰も期待されたが、左膝や右足首の負傷が重なって2場所連続休場を余儀なくされ、平成30(2018)年1月場所は37場所連続で在位した幕内から陥落。十両からの出直しとなったが1場所で幕内に返り咲くと、1年後の3月場所は白鵬らと優勝を争って12勝。3度目の敢闘賞も受賞し、翌5月場所は約4年ぶりの三役復帰となる小結に返り咲いた。

 結局、この場所が最後の三役の場所となったが、前頭13枚目で迎えた令和2(2020)年3月場所は初日から6連勝を飾り、「相手がよく見えているし、落ち着いている。焦りはない。稽古場みたいで集中もできている」と好調宣言。コロナ禍により無観客開催となったこの場所、どちらかと言うと稽古場の力がなかなか本場所で発揮できずにいた男は、伸び伸びと自分の相撲を取りきった。

 全勝の白鵬は10日目に土。12日目には2敗目を喫するとこの日、御嶽海を押し出して11勝目を挙げた碧山はついに単独トップに立った。だが、重圧が一気に襲い掛かったのか、翌日から3連敗で大失速。初賜盃は逃したものの正攻法の突き押しが評価され、初の技能賞を獲得した。

【春日野部屋一門の支えを力に現役生活を全う】

「大事なところで緊張というより、勝ちたい気持ちが強すぎて体が動かなかった。ちゃんと取れば勝てるのに、あの頃はできなかった」とのちにそう振り返った。

 栃ノ心、栃煌山(現・清見潟親方)という怪力大関と三役常連の実力者との稽古で実力を磨き、3人による申し合いは1時間を超えることもしょっちゅうだった。それでも飽き足らず、夜は毎日1時間以上をかけて、部屋近くを流れる隅田川の川岸にある階段を駆け上がり、橋を渡って向こう岸の階段を駆け下りることの繰り返しで足腰を鍛えた。

 やがて、かつての稽古仲間が相次いで引退。自身も満身創痍の状態で「ケガや気持ちが落ち込んで辞めたいと思うことも何回かあったけど、中途半端な辞め方をして、琴欧洲関が入れたからだと言われるのは絶対に嫌だった」と37歳になっても気持ちを奮い立たせながら土俵を務めたが、令和5(2023)年9月場所限りで十両へ陥落。昭和42(1967)年11月場所から途切れなかった名門・春日野部屋の幕内力士が56年ぶりに不在となった。

「プレッシャーはありました」と目の前の相手以外とも戦わなければならなかった当時を振り返る。

 部屋付き親方となっていた、かつての兄弟子たちからは「ダニエル(旧本名)のせいじゃない。ダニエルがいなかったら、もっと早く途切れていたよ。次の場所で戻れば、いいじゃないか」と励まされ、気持ちが若干、楽になった。"孤軍奮闘"する大ベテランに彼ら親方衆は場所中、対戦相手が決まると毎日みんなで"作戦会議"を開いて策を講じた。土俵上は孤独でも春日野部屋唯一の関取はチーム一丸となって戦い、翌11月場所は東十両筆頭で千秋楽に勝ち越しを決めると、思わず土俵上で自身の締込を思い切り右手で叩いていた。

「自然と気合いが入った。ただの勝ち越しじゃないし、いろいろあったけど、迷わず集中していけた」

 1場所で幕内に返り咲いたものの、もはや余力はほとんど残っていなかった。令和6(2024)年1月場所の再入幕場所は右膝を負傷し、初日から6連敗したところで休場。その後も番付はじり貧となり、幕下への降下が必至となった同年9月場所限りで引退を表明した。

 昭和10(1935)年5月場所以来、継続中だった春日野部屋の関取が途絶えるところだったが、幕下から栃大海が入れ替わるように再十両を決め、伝統断絶の危機はギリギリで回避された。

「三役や大関になりたいと思って稽古をしたことはない。どうやったら強くなれるか、それだけだった」

 ただ強くなりたい一心で、限界を超えてまでも現役生活を全う。名門の看板を後輩に託して土俵を降りた。

【Profile】
碧山亘右(あおいやま・こうすけ)/昭和61(1986)年6月19日生まれ、ブルガリア・ヤンボル出身/本名:古田亘右/所属:田子ノ浦部屋→春日野部屋/初土俵:平成21(2009)年7月場所/引退場所:令和6(2024)年9月場所/最高位:関脇

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