【ジャンプ】高梨沙羅「幸せな日。自分の中でピリオド打てた」混合団体で4年前の悪夢乗り越え銅

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2026年02月11日 12:46  日刊スポーツ

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ジャンプ混合団体で銅メダルを獲得し感極まる高梨(撮影・パオロ ヌッチ)

<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):ジャンプ>◇混合団体決勝◇10日◇プレダッツォ・ジャンプ競技場


絶望の涙から4年、うれし涙に変わった。日本が合計1034・0点で初の銅メダルを獲得した。


高梨沙羅(29=クラレ)は18年平昌大会女子ノーマルヒル以来2大会ぶり2個目のメダル。3番手として96・5メートル、97メートルを飛び、仕事を果たした。前回の22年北京大会ではスーツの規定違反による失格で号泣。あれから1464日、イタリアでは仲間と笑って、泣いて、幸せな1日となった。


   ◇   ◇   ◇


高梨は我慢していた涙が止まらなかった。4年前の涙とは違う、うれし涙だ。銅メダル確定後、北京大会で一緒に戦った伊藤有希の胸に飛び込み、頭をなでられながら、目いっぱい泣いた。「みんなのおかげで取らせていただいた銅メダル。今でも信じられないけど、徐々に重みを感じている」としみじみ、幸せそうに話した。


不安と緊張と向き合いながら戦い切った先に、笑顔があった。1回目2番手終了時点で5位だったが、高梨の飛躍で3位に上げた。2回目4番手の二階堂をチームメートと待ち、2チームを残して首位に立ってメダルが確定。両手ガッツポーズで喜んだ。混合団体のメンバーに決まると「本当に私でいいのか」と、ナーバスになった。そんな姿に仲間が気遣った。二階堂からは飛躍前に「沙羅さんは楽しく飛んでください。僕がその分やってやりますから」と声をかけられた。心強かった。


「チームのメダルを奪ってしまった。やめて償おう」。22年北京大会後、現役引退も考えた。ジャンプと距離を置こうとしたが「ジャンプのことをずっと考えてしまう自分がいた」。決意が固まらないまま、同5月に秋田・鹿角でトレーニングを開始。地元の子どもたちが自身のジャンプを見て「わー!」と喜んでくれた。うれしかった。


現役続行を決め、その後山形・蔵王では、通りすがりの地元の人から「元気づけられる」という言葉をもらった。「私のジャンプで元気になる方がいるんだとしたら、もっと頑張りたい。それも償いの1つにもなるのかな」と、4度目の五輪を目指して駆け抜けた。


全てはリベンジのため。「五輪の失敗は五輪でしか消化できない」と、もがいた。課題のテレマークには、日常生活でも姿勢を意識して、逃げずに向き合った。次世代の子どもたちのためにできることを探し、環境保全活動にも積極的に取り組んだ。同学年の小林陵侑や中村直幹と合同練習を行い、刺激を受けた。雀士の桜井章一氏の著書を読んで、勝負師の心構えを学ぶこともあった。


「幸せな日にできた。1つまた自分の中でピリオドを打てた」と北京の悪夢を払拭した。8年前に五輪の銅メダルを手にしたが個人戦。「圧倒的に今日のこのメダルの方が厚みというか重みを感じる」と誇らしそうだった。【保坂果那】


◆保坂果那(ほさか・かな)1986年(昭61)10月31日、北海道札幌市生まれ。13年から高校野球などアマチュア野球を担当し、16年11月からプロ野球日本ハム、17年12月から北海道コンサドーレ札幌を担当。冬季五輪は2大会連続の現地取材で、今大会はノルディックスキーやカーリングを担当。

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