
【前編】田中角栄はじめ歴代総理も通いつめて 芸者として初の旭日双光章を受勲した赤坂育子さん(85)から続く
「手を袂に〜扇を持ちかえて〜はい、クルリと回る〜」
東京都港区にある赤坂会館の稽古場にて。藤間流のお師匠さんの指導のもと、長唄『菊』に合わせて踊るのは、赤坂随一の「きれいどころ」たち。
着物の帯の柄を見るだけで、彩りも鮮やかな蝶々や椿があるかと思えば、ロックバンド・Queenのロゴをあしらった現代風のものまで。この艶のある華やかさこそ、赤坂芸者の真骨頂だ。
「テンポが速くなるとき、遅れないようにね」
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自らも舞いながら、最若手の20代の芸者に声をかけたのは、赤坂花柳界を代表し、最高齢芸者でもある赤坂育子さん(85)。
およそ70年もの間、お座敷に出続け、芸者としては初めて旭日双光章を授与されており、海外向けSNSでは「レジェンダリー・ゲイシャ」と紹介されることも。
「手の返しも、はっきりとね」
「はい、育子お姐さん。ありがとうございます」
「そういう私も、ちょっと稽古を休むと忘れちゃいそう。年かしらね(笑)」
いえいえ、80代半ばにして背筋はピンと、手足の所作も流れるように舞う姿は、実に艶やか。
稽古の小休止に、弟子の淹れた茶をすすりながら育子さん。
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「私らの若いころは、お稽古も三味線や鳴り物の地方のお姐さんたちが一緒でしたからね。ずいぶん前に音曲もカセットからCDになって、いまやスマホでブルートゥースっていうんですか、それで飛ばして聴く時代。赤坂の花柳界が変わるのも仕方ないのかも」
ここ赤坂と神楽坂、新橋、芳町、浅草、向島で東京六花街とされるが、なかでも赤坂は土地柄、政財界人の往来も盛んで、大人の街として名をはせていた。国会議事堂も目と鼻の先で、育子さん自身、歴代総理との交流でも知られる。
育子さんが赤坂へやってきた昭和の半ばには芸者も400人以上、料亭も50軒を数えていたが、時代の流れとともに接待の簡素化やコロナ禍を経て、いまやそれぞれ20人弱、わずか2軒という寂しさ。
「だからこそまた、みんなで盛り上げていかなきゃと思うんです。踊りも着物も料亭遊びも、私たち芸者も、日本の伝統文化のひとつですからね。その思いで、若い人たちと頑張っています」
2月末からは、育子お姐さん肝入りの、赤坂の街を挙げてのイベントも控えている。
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「さあ、稽古稽古。春は赤坂の街から、という心意気でね!」
■自宅に若い芸者や半玉たちが住み込んで。伝統文化を若い世代に伝えていきたい
通されたご自宅客間の一方の壁全面を特注の着物箪笥が埋めている。テーブルに供された季節の水菓子とクッキー。見れば個包装のクッキーは、食べやすいように封が開けられているという心遣いも。
育子さんが、自慢の着物箪笥の前に立って語る。
「お稽古やお座敷のない日は、片付けが好きだから、家中を掃除や整理してます。だから、この?笥のどこにどの着物や帯があるかも全部頭に入ってます。
日本舞踊などお稽古は月に10日くらいで、その後、支度をしてお座敷に出ます。寝るのは、だいたい午前1時ごろ。朝は自然に5時半には目覚めてますね。
朝食をすませるころに、ちょうど近所に住む、うちの元芸者の子供が学校に行くので、その通学を見送ったり。私には子供がいないけど、その子たちが孫みたいなものです」
「仙台での小学校時代にテレビで見た舞子さんに憧れたのが、この世界に入るきっかけです。
当時は電話帳に“芸妓・置屋”というジャンルがあって、そこで育子おかあさんと出会います。22歳で赤坂に来たとき、私のような住み込みと通いで6人の弟子がいました」
赤坂会館での踊りの稽古の合間に語るのは、一番弟子で育子さんが“長女”と呼ぶ真希さん(49)。
「当時はおかあさんも50代初めで、バリバリにトップを張っていたころでしょう。毎晩、帰宅は夜の12時過ぎでも、翌日は午前中から元気で稽古してましたからね。きっと、お座敷からエネルギーをもらってるんでしょう(笑)。
裏表のない情が深い人で、稽古でもふだんの生活でも、わが子のように叱ってもらいました」
常に育子さんが、弟子の女性たちに厳しく言うことがあった。
「着物を着て一歩外に出たら、あなたたちは赤坂の看板をしょってるのだからね、恥ずかしくないよう身を処しなさい」
後日、自宅マンションを訪ねると、冒頭の踊りの稽古で育子さんから助言を受けていた小梅さん(28)が出迎えてくれた。一昨年の11月から住み込んでいる、いわばファミリーの末っ子だ。
「おかあさんからは、お座敷での作法や礼儀に加えて、日常の箸の上げ下ろしまで、人としての生き方の基本を学んでいます」
■2月末に赤坂で行われるイベントには育子さんら赤坂の芸者衆も参加。赤坂ににぎわいを取り戻す
「元気の秘訣は、いつも“くじけちゃいけない”と思って生活してます。80過ぎても、つらいこと悲しいことはあります。ですが悪いことは半分にして受け止め、例の鏡に向かって、時には泣きながら『イヤな顔してゴメンよ』で、おしまい。
あとは今日みたいに若い人と稽古したり、お座敷でお客さまと会話するのが生きがいになってます」
きたる2月28日から3月8日まで赤坂の街を舞台に、東京都が実施し、育子さんが企画にも参加した江戸文化を体験できる一大イベント「赤坂茜彩」が開催される。この日も、その稽古の帰りだった。
「私も28日には、『赤坂坂物語』という新しい踊りと語りをミックスさせた演目に出演します。ぜひ赤坂にお越しくださいませ」
いまなお、チャレンジ精神も健在だ。さて、取材の最後に、愛する赤坂の街を背景にした写真撮影をお願いした。日枝神社やTBSも近い、こじゃれた飲食店の看板が並ぶ商店街を歩くときも、育子さんが“わが娘”と呼ぶ弟子たちの誰かが、自然に“おかあさん”の手を引いている。
周囲の通行の妨げにならぬよう大通りを一本入った場所で撮ろうとしていると、ひとりの通行人の男性が声をかけてきた。
「みなさん、雑誌の撮影ですか。それだったら、せっかくですので、どうぞ、うちの正面で撮ってください。
なんといっても、育子お姐さんは赤坂の宝ですから」
偶然、通りかかったのが、いまや赤坂に2軒だけ残る料亭のひとつ「赤坂浅田」の浅田松太社長だった。
いざ浅田の表玄関で撮影が始まると、やっぱり中心になって皆をまとめ盛り上げるのは育子さん。
「みんな、とびきりの笑顔と艶姿でね。お口は“い〜”の形で。さあ、ご一緒に、『赤坂の街はきれい〜』『芸者さんはかわいい〜』で、はいポーズ。誰だい、『おかあさんは怖い〜』なんて言ってるのは!」
大人の街・赤坂に、そこだけ春を先取りしたかのような、華やいだ芸者衆の笑い声がはじけた。
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