
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第52回】カカ(ブラジル)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第52回は2000年代のミランを代表するミッドフィールダー「カカ」を紹介したい。チャンピオンズリーグを制し、個人ではバロンドールに輝き、ブラジル代表の一員としてワールドカップも制した。非の打ち所がないフットボール界の「聖人君子」は今、何をしているのか。
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敬虔なクリスチャンで、愛読書は聖書、好きな音楽はゴスペル。座右の銘は「神に忠実であれ」。「I BELONG TO JESUS(私はイエスのもの)」というメッセージが記されたTシャツを、ゴール後にアピールしたことすらある。
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「無人島に持っていけるものを3つ挙げるとしたら、サッカーボールと聖書、あとはiPadかな」
リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ──。フットボールでの愛称「カカ」は、多くの選手と一線を画している。
ロマーリオやエヂムンドなどの問題児はもちろん、カフーやレオナルド、リバウドといったブラジル代表の常識人も、羽目を外す時はあった。
しかし、カカは常に真面目。他人の神経を逆撫でするような愚行とは無縁だ。メディアにすれば退屈な存在ではある。見出しになるようなコメントは発しない。欲望を理性で抑えられるのは神のご加護なのか、カカが所属クラブやブラジル代表で火種になったケースは一度もない。
カカは、お金にも執着しなかった。2003年夏にサンパウロからミランに新天地を求めた際、880万ユーロ(当時約12億円)もの移籍金をすべて古巣が受け取れるように配慮している。
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「私を育ててくれたサンパウロが必要としている」
一銭も受け取らなかったカカの姿勢に感動したミランは、彼のためにもう一度、880万ユーロを用意したという。近年稀に見る心暖かいエピソードである。
【ミラニスタに愛された男】
ペレ、ロベルト・リベリーノ、ジーコ、ロマーリオ、ロナウジーニョ......。ブラジル代表は世代ごとに、多くの「魔術師」を世に送り出してきた。
ロベルト・カルロスの左足も「異能」であり、彼のキックは漫画でも描けないような軌道で世界中を驚かせた。ジュニーニョ・ペルナンブカーノの右足も尋常ではなく、曲がりながら落ちてブレるFKにGKが反応できるはずはなかった。
彼ら歴代の名手(クラッキ)に対し、カカは魔術を使わなかった。オーソドックスなタイプにカテゴライズされる、といって差し支えない。しかし、カカのプレーは突き抜けていた。
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特にドリブルである。トップスピードでも意のままにボールをコントロールし、タックルする隙さえ与えない。ここに急速な緩急をつけるのだ。下半身に多大な負担をかける動きだが、カカは涼しい顔でやってのけていた。
「ドリブルする姿が美しいだけではなく、腕の使い方も見事というしかない。身体のバランスを整えたり、相手をブロックしたり......。トレーニングで身につけた動きではないな。すべてに無駄がない。天性のものだよ」
2006-07シーズンのチャンピオンズリーグで対戦したマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督も、カカのドリブルには舌を巻いた。この一戦でカカは、リオ・ファーディナンドをフィジカルで圧倒し、見事なゴールを決めている。
また、状況判断も素晴らしい。相手DFラインの背後をつくスルーパスで多くのチャンスを創出した。決定力にも秀でており、ミドルシュートやワンタッチシュートでチームに貢献している。
2006-07シーズンのチャンピオンズリーグでは10ゴールを挙げて得点王を獲得。ミランにビッグイヤーをもたらすとともに、2007年にはバロンドール、FIFA最優秀選手にも選出されている。
ミランをよく知るイタリア人の識者やジャーナリストも、自国の英雄ジャンニ・リベラに次ぐ「トレクァルティスタ」(トップ下)としてカカの名前を挙げていた。非の打ちどころがない選手なのである。
「決して傲慢にならず、常にフォア・ザ・チームを心がけていた。適性は2列目中央だが、戦術理解度が高かったためにサイドやセカンドトップでも起用された。それでも彼は嫌な顔ひとつせず、黙々とタスクをこなしていた」
ミランで同じ釜の飯を食ったカルロ・アンチェロッティ監督も絶賛している。
【引退後は「カカ二世」発掘へ】
ちなみに2009年1月、ミランとマンチェスター・シティの間で、カカの移籍が合意に至っていた。しかし、本人が拒否。「私はミランに忠誠を誓う」のひと言に、世界中のミラニスタが狂喜乱舞した。
サンパウロ→ミラン→レアル・マドリード→ミランというキャリアは、まさしくエリートコース。メディアの監視も厳しく、多少のスキャンダルが「作られても」不思議ではない環境だ。なかでもレアル・マドリードは特異な猜疑心と好奇心に囲まれている。
財政難に苦しむミランを助ける形で泣く泣くラ・リーガに渡ったカカは、負傷の影響もあって活躍できなかった。期待が大きかったぶん、スケープゴートにされかねない。
ただ、カカにまつわる妙な噂は一度も耳にしなかった。現在ほどSNSが我が物顔でのし歩いていなかった時代とはいえ、超絶真面目な男に対して「作り話」は気が引けたのか。「火のないところに煙を立てまくっていた」ゴシップ系のメディアも、カカには一切攻撃しなかった。
彼が優等生を意識的に演じていれば、もちろんメディアは気づく。「羊の仮面を引きはがす」ことは彼らの得意技だ。しかし、カカは常日頃から周囲を気遣い、他責に逃げもしなかった。彼を批判する声を聞いたことはないし、彼も誰ひとり批判しない。
まさしく「好人物」だ。
2017年にユニフォームを脱いだあと、カカはエージェントとして忙しい毎日を過ごしている。人のいい彼がマネジメントする選手は幸せ者だ。常に寄り添ってくれるだろう。ただその反面、騙されはしないかと心配になる。移籍市場は生き馬の目を抜く修羅場だけに、人がいいだけでは通用しない。
カカの人間性をふまえると、トップクラブの監督を務めるには優しすぎるように思える。トップチームではなく若年層のコーチが適しているのではないだろうか。2022年5月にはブラジルサッカー連盟のA級ライセンスも取得している。
自らの手で後継者を育てる夢に向かって──。攻撃力に秀で、卓越した状況判断を携え、なおかつ周りを気遣える「カカ二世」が、まもなく現れるに違いない。

