佳子さま「高校の終わりまで…」ミラノ五輪開催で思い出される“フィギュアスケート”に夢中だった日々

0

2026年02月24日 06:10  週刊女性PRIME

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

週刊女性PRIME

佳子さま

《毎年「世界青年の船」や「東南アジア青年の船」で訪日する参加者とお会いになっており、プログラムでの経験などをお聞きになることを楽しみにしていらっしゃいます。また、このような事業を通して、相互の理解や友情が深まり、国際理解が進むことを願っておられると伺っています》

東南アジアの国々の青年代表と面会した佳子さま

 1月22日、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは、東京・元赤坂の赤坂御用地にある赤坂東邸で国際交流事業「東南アジア青年の船」に参加する、東南アジアの国々の青年代表らと面会し、懇談した。

 昨年の暮れも押し迫った12月29日、佳子さまは31歳の誕生日を迎えたが、この際に宮内庁は昨年一年間の活動の様子を1月から順に公表した。その2月の欄には冒頭のような記述があるが、今年もまた佳子さまは、海外の青年たちとの交流や親善を大切にしている。

「今回のオリンピック冬季競技大会においては、スキーと登山の両方の技術を駆使するスキーマウンテニアリングが新たな競技として加わり、競技数で前回の北京大会を上回る8競技11種別116種目が実施されると伺っております。

 参加される皆様には、競技の場に臨んでは、日頃の成果を存分に発揮し、素晴らしいパフォーマンスを披露してくださることを期待いたします。そして、皆様一人ひとりがスポーツを通して世界から集う人々との交流を深められ、国際親善に努められることを願っております」

 2月6日にミラノ・コルティナ冬季五輪が開幕し、連日、熱戦が繰り広げられている。これに先立ち1月18日、日本選手団の結団式と壮行会が千葉県船橋市内で行われ、秋篠宮ご夫妻が出席した。

 秋篠宮さまは前述のように挨拶し、選手たちを激励した。報道によると、旗手代行のフィギュアスケート女子・坂本花織選手は、「チームジャパンは全国民の皆様、全世界の皆様に、エネルギッシュで元気な姿と笑顔を届けます」などと、日本オリンピック委員会(JOC)の橋本聖子会長を前に、力強く決意を表明した。

 秋篠宮ご夫妻が拍手を送りながら見守る中、橋本会長から伊東秀仁団長を経て、坂本選手にしっかりと団旗が手渡された。団旗を受け取った坂本旗手代行は、秋篠宮さまに向かって丁重に頭を下げ、続いて紀子さまにも深々と頭を下げた。

 秩父宮さまから贈られた栄えある団旗には、「秩父宮殿下御下賜」の文字が鮮やかに記され、報道写真などからも文字がはっきりと確認できる。では、スポーツと関係が深い「秩父宮殿下」とは、どういう方なのだろうか。

 秩父宮さま(1902年-1953年)は、大正天皇と貞明皇后の次男として生まれている。昭和天皇のすぐ下の弟で、兄とは1歳余りしか違わなかった。天皇陛下の弟である秋篠宮さまと、立場が重なる秩父宮さまは、駐米大使などを歴任した松平恆雄の長女、勢津子さまと結婚した。陸軍士官学校、陸軍大学校などに学び、陸軍参謀本部などに勤務している。

 スキーやラグビーなどの普及や振興に尽力し、生前、「スポーツの宮さま」と呼ばれて広く国民に親しまれた。1948年に刊行した『御殿場清話』の中で、秩父宮さまの次のようなやりとりが出てくる。

「スポーツの宮さま」のきっかけ

 ─世の中で殿下をお呼びするのに「スポーツの宮さま」と申し上げるようになったのはいつ頃からでございますか。

「大正12年(筆者注、1923年)かに大阪で極東オリンピック大会があった。その時、僕は総裁になったのですが、その頃からじゃないですかね。あの頃は、そういう表現をするのが流行していましたね。日本アルプスを数日歩いて来ればすぐに『山の宮さま』と書かれると言った調子で(略)」

─このオリンピック大会の頃から、殿下ご自身色々とスポーツをおやり遊ばした訳ですか?

「まあそうです。僕の成年は大正11年なので、それから以後はある程度…と言っても、色々の制約はあったのですが、勝手なことをした訳で、スポーツの方面でも山登りやスキー、スケートなどをしました(略)僕は元来、冒険的なことが好きで、もっとも、子供は誰でもこうした一面は持っていると思いますが、よく木に登ったり、屋根に上ったりしたものでした。

 そして、下を見下ろして、何とも言えない快感に子供心に満足を味わったことを思い出します。こんなことから段々高い所に登ることに、憧れを持つようになって来たのかもしれませんね。それに、大正の半ば頃から、各種のスポーツが盛んになる気運に向いていたので、自然この一般の傾向に僕自身無意識的に誘われることになったのも事実です」

 2014年12月、20歳の誕生日を迎え成年皇族となる前に、佳子さまの初めての記者会見が行われた。記者から、「(略)これまで身体を動かされたもの、やってこられたことと、今続けていらっしゃることとはそれぞれどういうものなのかというのを教えていただけますでしょうか」と尋ねられた佳子さまは、

「これまでは、高校の終わりまでフィギュアスケートを続けておりました。今では、これといって特にはございませんが、家の中で身体を動かしたり、弟と家の中や外で遊んだりしております」

 と答えている。佳子さまは小学2年生のときから、高校を卒業する前までフィギュアスケートを続けていた。かつては佳子さまといえば、フィギュアスケートの華麗な演技を思い浮かべる国民が多かったと思う。

《舞に込められた祈りをお感じになりながら鑑賞されたと伺いました。「かぎやで風」の演目は、お小さいころにお稽古されたことがある舞であり、前奏が始まった時に振りを思い出され、お帰りになってから踊ってみられたそうです》

 宮内庁が公表した佳子さまの昨年一年間の活動で、9月には先の大戦の激戦地・沖縄に伝わる琉球舞踊を家族と一緒に鑑賞し、帰宅後、稽古したことのある琉球舞踊を佳子さまが踊ったと紹介している。

 佳子さまは冬季五輪を熱心に観戦しながら、フィギュアスケートを懐かしく思い出すだけではなく、「また、氷上で演技がしたい」と思ったりしたのだろうか。聞いてみたい気がする。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『

悠仁さま

』(講談社)や『

秋篠宮

』(小学館)など

    アクセス数ランキング

    一覧へ

    話題数ランキング

    一覧へ

    前日のランキングへ

    ニュース設定