海は、ふるさと=「ここが被災地とは」千葉・旭―東日本大震災15年

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2026年03月08日 07:32  時事通信社

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千葉県旭市の刑部岬から飯岡漁港や飯岡海岸を望む。東日本大震災の津波で大きな被害を受けた=2月3日
 東日本大震災では関東地方の沿岸部にも甚大な被害をもたらした。太平洋に面する千葉県旭市では、津波が繰り返し押し寄せ、高さは最大7.6メートルに達した。関連死を含む死者・行方不明者は16人に上った。震災から15年、津波で被災しながらも、今日も海と共に生きる人々と街の姿をとらえた。

 「あの日の寒さは忘れもしない」。旭市防災資料館の宮本英一さん(77)は自身が被災した経験を伝える。地震発生から2時間以上たった午後5時すぎ、海に面する自宅にいた宮本さん夫婦はごう音とともに押し寄せた波に外の道路まで流された。2人は何度も溺れかけながらも、大声で励まし合い、近くの建物の屋根にしがみつき九死に一生を得た。

 その夜は流れ着いた民家の2階で震える体を寄せ合った。来館者からは、旭が津波で甚大な被害を受けたことは知らなかったとの声が寄せられる。「東北に比べると被害は小さいが、命を落とした人がいる事実に変わりはない」と宮本さん。

 幼い頃から目の前にあった海は、時として脅威となることを身をもって知った。自宅は再び波にのまれる恐れが常につきまとう。

 それでも「海は過去の思い出が全て詰まっているふるさとだ。離れるわけにいかない」。海を望む宮本さんは、懐かしむように穏やかな表情を見せた。

 「これからどうしていけばいいのだろう」。旭市を襲った津波から数日後、高台から見た変わり果てた地元を前に、関口常男さん(72)はがくぜんとした。高校生のときにサーフィンを始め、旭市の飯岡海岸そばでサーフショップを営む。

 15年前の3月11日、「自分を受け入れてくれる大切な居場所」という飯岡の海は、店舗をのみ込み、慕っていた叔父の命を奪った。店を畳むことも考えた関口さんを立ち直らせたのは、飯岡の海を愛する波乗りたちの存在だった。被災後の店の状況を案じ、各地から駆け付けてくれた。

 「失ったものも多いけど、山ほどのことを学んだ。一人では何もできなかった」と振り返る。震災から2カ月後には営業を再開。手作りの店舗だったが、「波乗りたちのよりどころとなれば」という思いだった。

 今年で開業から45年を迎える。飯岡の海を好きで来てくれている人のためにも、「海から離れちゃいけないな」。 

「先祖代々受け継がれてきた土地。離れることは考えなかった」。宮本英一さんは被災した自宅の写真を前に当時を振り返る=1月16日、千葉県旭市
「先祖代々受け継がれてきた土地。離れることは考えなかった」。宮本英一さんは被災した自宅の写真を前に当時を振り返る=1月16日、千葉県旭市


東日本大震災の津波で旭市の海岸保安林のほとんどが被害を受けたとされる。市では、枯れた保安林を再生するため、植樹会をほぼ毎年開催。参加した児童は「大きく育ってほしい」と願いを込めて土をかぶせた=2月16日、千葉県旭市
東日本大震災の津波で旭市の海岸保安林のほとんどが被害を受けたとされる。市では、枯れた保安林を再生するため、植樹会をほぼ毎年開催。参加した児童は「大きく育ってほしい」と願いを込めて土をかぶせた=2月16日、千葉県旭市


震災当時、地元の漁業組合職員だった守部幸一さん(76)。飯岡漁港では約7割にあたる漁船が被害を受けた。生まれ育った飯岡の海で漁ができるよう「一日でも早く元通りに」という思いで職員を引っ張った=2月3日、千葉県旭市
震災当時、地元の漁業組合職員だった守部幸一さん(76)。飯岡漁港では約7割にあたる漁船が被害を受けた。生まれ育った飯岡の海で漁ができるよう「一日でも早く元通りに」という思いで職員を引っ張った=2月3日、千葉県旭市


震災当時の体験を話す宮本英一さん(中央)。「自分の命は自分で守るしかない。いざというときのための備えを」。将来の被災者を一人でも減らすため、語り続ける=3月6日、千葉県旭市
震災当時の体験を話す宮本英一さん(中央)。「自分の命は自分で守るしかない。いざというときのための備えを」。将来の被災者を一人でも減らすため、語り続ける=3月6日、千葉県旭市


震災後にかさ上げされた堤防を妻と歩く宮本英一さん(右)。「もう15年もたったのか。それはお互い年もとるわけだ」夫婦の会話が弾む=3月6日、千葉県旭市
震災後にかさ上げされた堤防を妻と歩く宮本英一さん(右)。「もう15年もたったのか。それはお互い年もとるわけだ」夫婦の会話が弾む=3月6日、千葉県旭市


飯岡の海を前にする関口常男さん。慣れ親しんだ波は叔父の命を奪った。「震災後、10年くらいは当時を思い出すのが嫌だった。ただ、海はいつでも自分を受け入れてくれる。居場所はいつも海にある」=2月3日、千葉県旭市
飯岡の海を前にする関口常男さん。慣れ親しんだ波は叔父の命を奪った。「震災後、10年くらいは当時を思い出すのが嫌だった。ただ、海はいつでも自分を受け入れてくれる。居場所はいつも海にある」=2月3日、千葉県旭市


自作のサーフボードを手にする関口常男さん。毎年、自分のボードを製作することから1年が始まる。波乗りとしても「まだまだ諦めていない」=2月16日、千葉県旭市
自作のサーフボードを手にする関口常男さん。毎年、自分のボードを製作することから1年が始まる。波乗りとしても「まだまだ諦めていない」=2月16日、千葉県旭市

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