
『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」 二つの家族はなぜ衝突したのか』(大木賢一著)では、平成と令和の天皇家にあった価値観の違いについて、皇室記者として取材を続けてきた著者が描き出す一冊。
今回は本書から一部抜粋し、雅子さまが抱いていた「実務的貢献」への意欲と、平成流の公務との間にあったギャップについて紹介する。
穏やかな笑顔の誕生日会見
1997(平成9)年は、雅子皇太子妃の「不妊治療」について明仁天皇から言及があったとされる年だが、12月の誕生日に際した記者会見を伝える宮内庁ホームページを見ると、雅子皇太子妃は自然で穏やかな笑顔を見せている。受け答えの内容にも、何か喜びと楽しさのようなものがあふれていて、内面の充実ぶりを感じさせる。
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そこから皇太子のジョギングの話になり、「犬の方がより良くお供をして犬はちゃんと走ってお供をするのですけれども、私は自転車でお供をしたり」と話した。
さらに「たまにテニスなどもご一緒したり」「音楽とか絵画などの美術にも関心がございますし」「那須の御用邸に参りました時には晴れた晩にとても星空が素晴らしいので、ご一緒に天体観測をさせていただくのも大きな楽しみ」と語った。
登山の思い出や、オマーンの国王から贈られて御料牧場にいる馬やその子どもの話にも触れ、「私自身は大変動物とか自然などが好きですので、人と動物のかかわり、あるいは人と自然とのかかわりといったことについて、そのような良い関係から生まれ得るものということにも関心を持っております」と語っているのは、後に自分自身も受けることになる「動物セラピー」への関心をうかがわせる。
「寄り添い」との明確な差
この1997(平成9)年の会見には、雅子皇太子妃が漠然とながらも胸に描いていた「望ましい自分像」のようなものを考えるヒントがいくつも含まれている。|
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また、そうした思いの先にあるものとして「その人その人の幸せなり可能性といったものを見いだしていくことのできる社会」が実現することを思い描いていて、人間の多様性や、人それぞれの「自分らしい生き方」を何よりも大事にしたいという根本的姿勢が垣間見える。
言ってみればこれは、画一化された人間の理想像よりも、「個」としての在り方を尊重する精神の表れである。
また、国際化時代の人類の問題について、「世界各国の人々が、手を携えて取り組んでいく」ことが必要である、とし、「各国の人々との相互理解が進んでいくことが大切」「そのような面でお役に立つことがあれば、与えていただく機会というものは大切にしていきたい」とも述べた。
「お手伝い」「お役に立ちたい」との言葉から私が感じるのは、明仁天皇や美智子皇后によって強調されてきた「寄り添い」や「祈り」とのニュアンスの違いである。
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そこでの基本的な姿勢は「傾聴」に徹しており、語られる言葉は「大変でしたね」「ご苦労をされましたね」「頑張りましたね」「お元気ですか」などの何気ないものばかりだった。
実務的行動を志向する精神
これらの言葉を私は実際に各地で何度も聞いており、天皇や皇后からのこうした何気ない言葉が相手に与える非常な喜びも知っているつもりだ。天皇や皇后による、こうした「寄り添い」の行為というのは、心理学で言うところの「コンパッション」の概念と、よく符合している。「コンパッション」は、「他者の苦しみへの共感」や「苦しみをやわらげてあげたいという願望」を指すもので、共感を寄せられる人が「自分は見捨てられていない」という気持ちをつなぎとめるために重要なものだという。
天皇や皇后は「国という公」を象徴する者なのだから、天皇や皇后から「コンパッション」を受けることは、とりもなおさず、「国は私たちを見捨てていない。私たちは世間から見放されているわけではない」というメッセージになる。
被災地でも沖縄でも、また戦跡の地や離島であっても、天皇や皇后の「コンパッション」が、国によるどんな施策や政治家の行動にも代えがたい多大な効果を持っていることを、私は否定しない。
だが、「寄り添い」だけの言葉では、語る者の「個」としての主体性が宿らないように思える。「寄り添う」こと、すなわち「傍にいる」ことの表明以外には何も表さず、また何も語ってはいない。
「忘れずに見ていますよ」とのメッセージを超えることはできず、だから何をしますとは言っていない。
それに対し、「お役に立ちたい」と口にする雅子皇太子妃は、「寄り添い」の範疇と限界を超えて、自分自身が寄り添う人々のために何ができるのかを考えているかのようだ。
この年の会見で雅子皇太子妃が口にした「お手伝い」「お役に立ちたい」という言葉に、私は、これまで「寄り添い」に限定されてきた皇室のありようを超えて行こうとするモチベーションを感じる。
自分が問題の解決に役立ちたいとの意思を示しているのだから、単なる寄り添いや同情では収まり切れない一種の「実務的な行動」を志向していると言えるのではないか。
だが、「寄り添うこと」そのものを重視してきた「平成流」に反するともみなされかねないそういった実務が、現実の皇室制度の中で許されるのかどうかは別問題であり、雅子皇太子妃や徳仁皇太子の心の中でも決着のつかない課題だったようにも思える。
のちに語る「時代に即した新しい公務」の問題が、はっきりとは言葉にできないもどかしさとともに、進展しないまま時を過ごしていくのは、こうした「皇室制度との兼ね合い」が原因だったのではないか。
大木 賢一(おおき・けんいち)プロフィール
1967年、東京都生まれ。1990年、早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。共同通信社入社。鳥取支局、秋田支局などに勤務し、大阪府警と警視庁で捜査一課担当。2004年から大阪府警キャップ。2006年から2008年まで社会部宮内庁担当。大阪支社、東京支社、仙台支社デスクを経て2016年から本社社会部編集委員。2024年7月からメディアセンターデジタル編成部編集委員。著書に『皇室番 黒革の手帖』(2018年、宝島社新書)、共著に『昭和天皇 最後の侍従日記』(2019年、文春新書)、『令和の胎動 天皇代替わり報道の記録』(2020年、共同通信社)。「現代ビジネス」などインターネットメディアでの執筆多数。
(文:大木 賢一)
