プロ漫画家の僧侶66歳「どんな出来事も幸福の種」修行に反対した夫、後押ししたのは“7歳の娘”

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2026年04月05日 18:00  週刊女性PRIME

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悟東あすかさん…高野山真言宗尼僧、漫画家。1984年、高野山別格本山西禅院より得度。2006年、高野山大学加行道場大菩提院にて加行成満。同年伝法灌頂授了。2007〜2009年、高野山大学にて中院流一流伝授受了。著書は『心のフタの開き方』(徳間書店)など多数。

「今つらい状況にある方は、そんな自分を丸ごと認めた上で、小さな幸せを探してみてください。ささいな幸せであっても“味わい方”をつかめれば、どんな出来事も幸福の種と気づけます」

 そう話すのは真言宗の尼僧で、漫画家としても活躍する悟東あすかさんだ。幼いころから漫画が大好きだった悟東さんは、『ななこSOS』などで知られる漫画家・吾妻ひでおさんの仕事場に、小学生のころから遊びに行っていたそう。

ホテルの本で仏教と出会う

「姉が先生にファンレターを送ったのがきっかけで。中学生になると先生から漫画のいろはを教わり、ベタ塗りの手伝いもしました」(悟東さん、以下同)

 高校時代、後に極貧の中で学生結婚する夫と出会う。

「同じ高校だった夫が病に伏したと共通の友人づたいに聞き、彼の家にお見舞いに行くと、喘息の大発作を繰り返し、体重は30kg台まで減っていました。なんとか彼を助けたいと思った私は、病院を嫌う彼の両親の不在中にその場で救急車を呼んで。その結果、重度の気胸だと診断され、緊急入院に。回復して実家に戻っても発作の再発を繰り返しました。家族でなければ、治療計画にも関われない現実に直面し、心配でたまらなかった私は、私の家で引き受けたいと母に相談。すると、結婚するなら構わないと。夫を守りたい一心で、入籍したんです

 当時はまだ若く、自分の将来について考える余裕はなかったが命について深く考えるきっかけとなった。

 仏教との出会いは大学受験の前夜。ホテルにあった『仏教聖典』がきっかけ。

「こんな思考・論理・価値観があるのかと驚き、この上なく面白くて。一晩で何度も読み返しました。大学には入学したものの、図書館で仏教書を読みあさる日々。いろいろな宗教があるなか、密教はやってみないと理解できないと、興味が湧きました」

漫画を描いて、尼僧として生きる

 探し続けた人生の答えは、仏教にあると確信する。大学を中退し、高野山大師教会本部にて得度受戒。しかし、それだけでは何もわからず戸惑う日々が続いた。

「加行という百日間の修行を行い、伝法灌頂を受けないと僧侶として一人前になれません。むしろそこからが学びのスタートです。密教を知るため修行をしたかったのですが、夫には反対されました。それを押し切ってまで行うのは誰も幸せにならないので、今はそのときではないのだろうと。同時に、仏教はこんなにも面白いのだから、漫画にして伝えられたら興味を持つ人もいるに違いないと思い、まずはしっかり漫画家を目指そうと決意しました

 複数の漫画家のアシスタントを務めながら作品を描き続け、1989年にギャグ漫画の登竜門「赤塚賞」でトップ受賞。現在まで漫画家として活動を続けている一方、尼僧としては近くの寺で役僧を務めた。そして、2006年には百日間の修行に励み、阿闍梨(高位の僧侶の称号)になった。

「高野山大学で修行できることになったのですが、夫は身体への負担を心配し反対。でも当時7歳の娘が“受けたいなら行ったほうがいいよ”なんて言ったものですから、主人も自分の仕事が難しい局面の中でも、送り出してくれました」

 朝夕の勤行、下座行、数kmにわたる諸堂参拝、数時間かかる修法を3回行う。

「46歳での修行でしたから、それはもう大変。知力も体力も使い果たし、極限まで追い込まれるんです。足は震え、目は回り……。それでも身体は勝手に動いて印を組み、真言を唱えている。自分が自分でない感覚になりました。密教は本当に奥深く、やめろと言われてもやめられないありがたさ。学びはずっと続きます」

悟東あすかさん…高野山真言宗尼僧、漫画家。1984年、高野山別格本山西禅院より得度。2006年、高野山大学加行道場大菩提院にて加行成満。同年伝法灌頂授了。2007〜2009年、高野山大学にて中院流一流伝授受了。著書は『心のフタの開き方』(徳間書店)など多数。

取材・文/植田沙羅

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