
Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第39回】アンドレス・イニエスタ
(ヴィッセル神戸)
Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。
第39回はアンドレス・イニエスタを取り上げる。ヴィッセル神戸にクラブ史上初の主要タイトル(天皇杯)をもたらし、国内有数の強豪へ押し上げた彼の足跡は、Jリーグの歴史にはっきりと刻印されている。
僕自身がその存在を認識したのは2002年だった。ふとしたことから記憶が蘇り、そのポテンシャルを知ることとなった。
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日本サッカー界にとっての2002年と言えば、誰もが思い浮かべるのは「日韓ワールドカップ」だろう。6月4日のベルギー戦を発火点として、日本中が文字どおり熱狂の坩堝(るつぼ)と化した。
ワールドカップの余熱が残るなかでジーコジャパンが発足し、11月にはアルゼンチンと埼玉スタジアムで対戦した。ファン・パブロ・ソリンとエルナン・クレスポのゴールが感嘆の声を誘った3日後、僕はバルセロナのカンプ・ノウにいた。FCバルセロナとレアル・マドリードの「エル・クラシコ」の取材である。
2000年7月にルイス・フィーゴがバルサからレアルへ移籍したことで、このカードには新たな因縁が加わった。禁断の移籍から通算5度目の対戦だったこの日も、レアルの背番号10にえげつないほどのブーイングが浴びせられた。
スコアレスドローに終わった試合後、記者会見場へ向かった。オランダ人のルイ・ファン・ハールが地元記者から矢継ぎ早に質問を受けている。意見のぶつかり合いというべきやり取りが、何度も繰り返された。
【数年後はバルサの中心選手】
記者会見が終わり、現地在住の知人と彼の家まで歩く。
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「そういえば」と聞かれた。
「アンドレス・イニエスタって知ってますか?」
僕は探るように答える。
「ええっと......ちょっと前にデビューしたカンテラ出身の選手だったっけ?」
そうそう、と知人がうなずく。
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「さっきの会見で、ファン・ハールが質問されたんですよ。なんで彼を使わなかったんだって」
当時18歳のイニエスタは、10月にチャンピオンズリーグのクラブ・ブルッヘ戦でトップチームデビューを飾っていた。すでにグループステージ突破を決めていたことで、ファン・ハールは背番号34を着けた少年をスタメンでピッチに送り込んだのだった。
オランダ人のファン・ハールは、前職のアヤックス監督として、ともに成功を収めた選手を中心に、バルサをオランダ化した。そのチーム作りはカンプ・ノウにアレルギー反応を引き起こし、タイトルを獲りながら批判にさらされていた。
だが、Bチームから若手選手を昇格させることに積極的だったことは、彼の功績に挙げられるだろう。長く守護神として活躍するビクトル・バルデス、DFのオレゲール・プレサス、そしてイニエスタらをトップチームへ吸い上げた。のちにイタリア代表となるブラジル出身のティアゴ・モッタも、ファン・ハールのもとでトップチームに定着した。
カンプ・ノウから友人の自宅までは、歩いて20分ほどだ。試合後の夜はできるだけ人通りの多い道を選ぶので、5分ほど遠回りになる。
友人がファン・ハールの答えを教えてくれる。
「クラシコはどちらのチームにとっても特別な試合だ。選手には大きな重圧がかかる。イニエスタのような若い選手を使うのは簡単ではない、と話していましたけどね」
それはまあ、そのとおりだろう。
すでにスペイン代表に定着していた22歳のシャビ・エルナンデス、オランダ代表フィリップ・コクー、ラツィオからレンタル移籍しているスペイン代表ガイスカ・メンディエタ、それにアルゼンチン代表フアン・ロマン・リケルメとティアゴ・モッタが構成した中盤に物足りなさを感じさせる余地がなかったのも事実だ。あくまでも、日本人の感覚ではあるが。
「まあでも、イニエスタは日本の中学生年代から注目されている選手ですからね。数年後には間違いなくバルサの中心選手になっているって、こっちの人はみんな言っていますよ」
友人の話を聞きながら、僕は記憶のドアをひとつずつ叩いた。イニエスタという名前を、もっと前に聞いたことがあるような気がしていたのだ。さて、いつだったか──。
【バルサの哲学が継承されている】
記憶のドアが開いたのは、クラシコから数日後だった。
2001年の春に、バルセロナでハビエル・アスカルゴルタさんにインタビューをさせてもらった。横浜マリノスの監督として日本サッカーに触れ、ボリビア代表監督としてワールドカップで采配を振るったことのある彼に、日韓ワールドカップでの日本代表の可能性を聞く、という内容だった。
用意した質問にすべて答えてもらうと、話題はバルサに移った。「ファン・ハールのサッカーには、どうも面白さを感じないんですよ」と僕が言うと、アスカルゴルタさんは「ハハハ」と声を上げて笑った。
「でも、それも、もう少しの辛抱だ。ラ・マシア(バルセロナの育成組織の総称)では、すばらしいタレントが育っている。そのひとりがアンドレスだ。身体は大きくないけれど、ものすごい才能を持ったMFだよ」
僕は「シャビ・エルナンデスのような選手でしょうか?」と聞いた。アスカルゴルタさんは「そう、そう、そう」とスペイン語で繰り返した。
「シャビもアンドレスも、バルサのカンテラで育っている選手だから、技術がしっかりしているのは間違いない。ボールタッチはとても柔らかくて、テンポよくボールを動かして、難しいパスをいとも簡単に通してみせる。ピッチを俯瞰(ふかん)できるスタンドからはよく見えるけれど、ピッチレベルでは見えにくいスペースを、彼らは的確に見つけることができる。
だから、観客はそのプレーに酔いしれる。アンドレスはバルセロナ出身ではないけれど、生まれながらのバルサの選手のようだ。グアルディオラ、シャビ、アンドレスと、バルサの哲学が継承されている」
ここで通訳の方が、「アンドレスはファーストネームで、日本的に言うとイニエスタになります」と注釈を入れてくれた。僕らのやり取りを聞いたアスカルゴルタさんは、「ああ、そうか。ごめん、ごめん」と笑った。
「グアルディオラやシャビがそうであるように、イニエスタも試合が求めることをプレーで見せられる選手だ。自分が持っている技術や戦況を読む力を、試合が求めるもののために使うことができる。試合が求めるものというのは......」
【日本人にとって参考になる選手】
自分がやりたいプレーではなく、チームが勝つためにプレーすることですか、と聞く。アスカルゴルタさんは「もうひとつ加えて」と、人差し指を立てる。
「その試合が魅力的になるようなプレーをする、ということも含まれる。たとえば、ここでゴールを決めてほしいという場面で決める、といったことがそれにあたる。イニエスタはストライカーではないけれど、そういうプレーもできるようになるはずだ」
日本人にとっても大いに参考になる選手だよ、とアスカルゴルタさんは言った。
その言葉どおりに、Jリーガーとなった彼は、同じピッチに立つ選手の模範となった。ヴィッセル神戸のチームメイトだけでなく、対戦相手の選手にも多くのインスピレーションや気づきを与えてくれた。
Jリーグ時代を振り返ると、個人的には、試合前のウォーミングアップが印象深い。
パス&コントロールでも、シュート練習でも、イニエスタはほぼノーミスである。止める、蹴る、の技術が高いのは当然だが、シュートがうまかった。ゴールの四隅を的確にとらえていた。それぐらいの技術があるから、ワールドカップ決勝のような重圧のかかる場面で、スペインを世界チャンピオンへ導くゴールを決めることができたのだろう。
試合中では、味方のパスが乱れたあとのリアクションが、まあとにかく絶妙だった。イニエスタが想定しているところにボールが来なかったから、足を無理に伸ばしたり、重心がどちらかに傾いたり、視野を十分に確保できなかったりしている。相手側からすれば、ボールを奪う好機だ。
しかしここで、彼は巧みにスクリーンをして、あるいは相手のパワーを利用して、さらには瞬間的なアイデアで、ボールを失わないのである。気が急いた相手のファウルを誘うのだ。
フットボーラーのアスリート化が進んだ現代では、イニエスタのようなタイプは生きにくいかもしれない。仮にそうだとしても、彼が見せる「試合が求めるプレー」は、チームメイトに、対戦相手に、観衆に、支持されるに違いない。サッカーという競技の本質を、教えてくれると思うのだ。

