
日本人は今や「2人に1人ががんになる」といわれる時代。しかし、がん治療もまた時代とともに進化している。手術、放射線、化学療法、免疫療法など、治療の選択肢は広がり、部位によって差はあるものの、多くのがんで生存率も上がっている。
治療法の進歩により、治療しながら生活できるケースも増えている。
周囲の「痩せたね」の言葉から病院を受診
そんながん治療の最前線を、2025年に体験したのがフリーアナウンサーの野村邦丸さんだ。
現在69歳。茨城放送を経て文化放送に入社し、26年にわたり朝のワイド番組を担当。2017年に定年退職後はフリーとして活動し、現在は日曜の『野村くにまる日曜ぐらいは…』でパーソナリティーを務めている。
がんが見つかったきっかけは、周囲からの「痩せたね」という言葉だった。
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「その1年くらい前から、自分でも食欲が落ちて、疲れやすくなったと感じていました」(野村さん 以下同)
無類のお酒好きとして知られる野村さんだが、「飲みに行っても2軒目には行けない。飲む気になれなかったです」と、当時を振り返る。
文化放送のアナウンサー時代は、毎年会社の健康診断を受けていたが、退職してフリーになってからは、健康診断や人間ドックを受けていなかったという。
家族からも「明らかにおかしい」と心配され、人間ドックを受けようと、病院で医療事務をしている長女に相談したところ、「今すぐ検査を受けにきて」と叱られた。
こうして2024年11月に病院を受診。CT検査で腫瘍らしき影が見つかり、自宅近くの大学病院を紹介され、そこで腎臓がんであることが判明した。
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「右の腎臓にがん細胞があり、しかもステージ3。一部はステージ4に食い込んでいると言われて……。それは正直、厳しいんじゃないかと思って、先生に『治りますか?』と聞いたら、『治ります』と即答されたんです。それも淡々としていて、まったく深刻な雰囲気がなくって。なんだか拍子抜けしました」
担当の医師は、その言葉を裏付けるように、野村さんの仕事のスケジュールなども聞きながら、治療法や今後の計画を提示していった。
「それもまた淡々と。セカンドオピニオンやサードオピニオンを受けることもすすめられました。でも、その先生の姿勢を見て、『この先生におまかせできる』と思ったんですよね。それに、飲み友達がその病院に勤めていて、先生のことを『腕がいい』と言っていたので、信頼して治療を受けようと思いました」
最先端のロボット手術で身体への負担を軽減
医師からは「嘘偽りなく、すべてをお伝えしています。治療できる自信がありますから、ラクに考えていいですよ」と言葉をかけられ、ステージ3という不安を和らげてくれた。
「妻からも『絶対に大丈夫』と言われて。何か根拠があるわけではないと思うんですが、そう言われると本当に大丈夫な気がしてくるんですよね。先生からはストレスがいちばんよくないと言われていましたが、その言葉のおかげで、ずいぶん気持ちがラクになりました」
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仕事を続けながら、抗がん剤治療が始まった。かゆみなどはあったものの、大きな副作用はなかったという。
「今は副作用を抑えた薬も登場しているようです。治療を始めて2回目の投与で、炎症反応の数値が平常に近いところまで、劇的に下がったんです」
そして治療は、次の段階へと進む。
「右の腎臓はすでにあまり機能していなくて、転移を防ぐためにも摘出することになりました」
2025年4月。手術を控え、入院の前の週まで仕事を続け、担当番組の中でがんを公表。休養することをリスナーに伝えた。
野村さんが受けたのは、最先端の「内視鏡ロボット支援手術」。小さな切開部から内視鏡カメラと鉗子(かんし)を装着したロボットアームを挿入し、モニターを見ながら執刀医が操作する手術だ。
開腹手術に比べて切開範囲が小さいため、身体への負担が少ないというメリットがある。手術中の出血を抑え、術後の痛みも軽減。回復が早く、合併症のリスクも低いとされている。
「月曜日に入院して、水曜日に手術。そして1週間後にはもう退院していました。もともと勤労意欲はないほうなので、このままリタイアしてもいいかな……とも思っていたんですが、スタッフから『何もしていないなら出てきてよ』と言われて。家族からも『ボケるよ。身体がきつくないなら仕事に行ったら?』と背中を押され、結局、2週間ほどで番組に復帰しました」
あたりまえの日常は健康であってこそ
復帰した野村さんを待っていたのは、多くのリスナーからの祝福の言葉だった。
「公表したときも、番組のX(旧Twitter)やメールに励ましの言葉をたくさんいただいたのですが、復帰のときにも膨大な数のメッセージが届きました。読みきれなかったメールは帰りの電車の中で読ませてもらったんですが、泣きそうになりましたね」
野村さんは、阪神・淡路大震災をきっかけに、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震と、被災地に足を運び、現地の声を伝えてきた。
「岩手で、九死に一生を得た旅館のおかみさんと出会い、親しくさせてもらっているんですが、『人助けをするにも、自分が生きていないと』という言葉が、すごく心に残っています。自分の身を守り、生活を守ることの大切さを教えられました」
ラジオは、働きながら、家事をしながら聴いている人も多い。“日常に寄り添うメディア”だと野村さんは言う。
「だからこそ、リラックスしたおしゃべりで、あたりまえの日常をリスナーに届けたい。被災地には、今後も来てほしいと言われれば、現場に行きたいと思っています。行ってみないとわからない景色や空気がありますから」
現在は定期的に診察を受けているが、転移もなく経過は良好。仕事のない日は、孫の世話を手伝うなど、穏やかな日々を過ごしている。
「週に2、3日はウォーキングをして、身体を動かすようにしています。でも、お酒も飲んでいますよ。やっぱりそれが楽しみですから。ただ、プリン体ゼロのハイボールや赤ワインにしたり、少し気を使うようになりました。食事も塩分は控えめにしています」
がんを経験した今、病気との向き合い方にも思うところがある。
「昔とは違って、周囲にも働きながら治療を続けている人がいます。がんは怖い病気ですが、必要以上に恐れるものでもない。大事なのは“正しく怖がる”ことだと思うんです。人間ドックなど、定期的に検診を受けることの大切さを改めて感じました」
病気が見つかる怖さから病院に行くのを避ける人もいるが、ずっと不安の中にいるより、治療の道を知ることのほうが大切だ。野村さんのように、ステージ3、4でも治療法が増え、悲観ばかりの時代ではなくなっている。
「孫が大きくなったら、一緒に旅行に行って、お酒を飲むのが夢なんです。そのためにも、これからも“正しく怖がりながら”、日々を大事に過ごしていきたいですね」
取材・文/小林賢恵

