“最下位候補”を覆すヤクルトの快進撃。ブンブン丸・池山監督が薫陶を受けた「2人の指導者」の存在

0

2026年05月02日 16:30  日刊SPA!

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊SPA!

野村氏の薫陶を受けた池山氏 ©産経新聞
プロ野球が開幕して1ヵ月が経つが、誰もが予想できなかったのがヤクルトの快進撃である。シーズン開幕前のセ・リーグの順位予想では、ほぼ全員の野球評論家がヤクルトを最下位にしていただけに、4月30日時点で28試合を消化して17勝11敗の2位という成績は特筆すべきことだ。
注目したいのは、今年から監督に就任した池山隆寛氏のベンチでの振る舞いである。ピンチの場面を脱したとき、チャンスの場面で得点したときには、ベンチ内で拳を高々と突き上げて喜びを表す。監督のこうした振る舞いに勇気づけられる若い選手もいるはずだ。

◆池山監督には恩義を感じる2人の指導者が

今から7年前の2019年、当時現場から離れ、野球評論家として活動していた池山氏。筆者はある雑誌のインタビューでお会いした。

このときは、

「またユニフォームを着て、古巣のヤクルトで若い選手たちと一緒に汗を流して強いチームを作っていきたい」

と話していたのと同時に、現役時代のことも振り返ってもらっていた。

1983年ドラフト2位で入団した池山氏は、引退するまでの19年間、ヤクルト一筋の現役生活を送っていたが、池山氏を一流のプレーヤーとして作り上げていくなかで、2人の指導者の存在が大きかったと話していた。

1人が関根潤三氏、もう1人が野村克也氏である。

池山が入団した当時のヤクルトは、1週間に一度くらいしか勝てないほど弱かったこともあり、1年目からチャンスをもらえていたものの、3年目まではシーズンを通して成績を残せずにいた。

◆ホームランと比例するように三振も…

最大の転機は入団4年目の87年。この年、関根が監督に就任した。

ユマキャンプの期間中、夜間練習のときに関根は池山の立ち位置と構えだけをチェックすると、「力いっぱい振れ」とだけ言って、素振りを始めさせた。このときスイングの音を聞いては、「今のはよし」「今のはダメ」と言う以外、細かいことは一切指摘しない。

これを毎日、1時間半続けさせると、スイングの力がうまくバットに伝わったときには、「ブッ」とキレのいい音が出るようになり、やがてその音の出る確率が高くなっていった。池山の「ブンブン丸」というバッティングスタイルは、こうして誕生したのだ。

87年シーズンは「7番・ショート」でレギュラーに定着。88年はホームラン31本、89年はキャリアハイとなる34本をマークしたのと同時に三振数も多かった。87年から3年間で112、120、141と増える一方だった。

「関根さんは選手の長所を伸ばす方針だったので、僕も結果を恐れず伸び伸びプレーすることができた。たしかに三振数は多かったけど、力いっぱい振り切ることができれば次への自信につながった。僕が選手として成長できたのは、間違いなく関根さんのおかげです」

と池山は語っている。

だが、ヤクルトは勝てなかった。関根監督時代の3年間のヤクルトの順位は、4位、5位、4位と、優勝争いはおろか、一度もAクラスに入ることができなかった。

◆「タレントはいらん」の一言に困惑

そうして89年秋に関根監督が退陣すると、新たに監督に就任したのが野村だった。

池山は野村が偉大な野球人であることは知っていたものの、性格まではよくわからなかった。「いったいどんな野球をやるんだろう?」と思っていたら、野村が監督就任会見を行った翌日のスポーツ紙の見出しを見て、わが目を疑った。

「タレントはいらん」

その横に池山の顔写真が載っている。記事にはこう書かれていた。

「野球選手は野球が本分だ。それを忘れ、浮かれているような選手は、これからのヤクルトにはいらない」

「えっ、オレのこと?」と驚いたのと同時に、「会って話もしていないのに、なんちゅうこと言う監督や」と本気で困惑していたという。

今の若い人は知らないと思うが、当時の池山はファッション雑誌にも登場し、「追っかけギャル」に追跡されては、人気タレント並みに騒がれていた。だからこそ野村は、「チャラチャラしたヤツだ」と危惧していたのではないかと、池山は考えていた。

◆ミーティングは野球と関係ない話が続いた

そして翌年2月、ユマキャンプがスタートすると、池山を含めたヤクルトの全選手が驚くことが毎日実施された。夕食後の午後7時から2時間かけて行われたミーティングである。

「監督が話をしながらホワイトボードに板書をするので、みんな書き写すように」と球団関係者から聞いていたので、池山はボールペンと何枚かの紙を持ってミーティングに臨む。

すると野村から発せられた第一声は、

「一番大切なことはジジュンである」

そう言うと、「耳順」という字を大きく書いた。

池山にとって初めて聞く言葉だった。どういう意味なんだろう? と思っていると、野村は続けて説明した。

「論語のなかに『六十にして耳順う』という言葉がある。これは孔子が60歳のとき、すべての物事の道理を悟り、何を聞いても理解できたという意味だ。だから君たちも私の話をよく聞くように」

続けて野村は、

「仕事は計画、実行、確認の三要素から成り立つ」
「予備知識は重いほどいい。先入観は軽いほどいい」

と、野球とはまったく関係ない話ばかり。社会人になりたての新入社員の研修かと思えた。

池山はこのとき、「このミーティングがキャンプ期間中に毎日続くのかと思うと、数枚の紙では書ききれない」ことに気がついた。そこで初日のミーティングが終わると、池山はA4判のノートを購入して、翌日からはそれに書き写すようにした。

◆ノートに書いた「ノムラの考え」は500ページにも及ぶ

池山は野村のミーティングが楽しみで仕方がなかったという。

「僕はこう見えて、学生時代は授業中にノートをきれいにとっていたんです。大事だと思われる箇所にはマーカーで線を引き、図表を作るのも得意でした。監督の話も学生時代と同様、自分の心に響いた言葉に線を引いたり、枠で囲ったりしていましたよ」

翌年以降もルーキーが入ってくるたびに同じ話ではなく、前年よりバージョンアップして内容が深まった講義が多くなっていく。

池山は筆者とのインタビュー前に、当時のノートを引っ張り出してみたところ、書いた文字の量はA4判のノートで500ページ近くに及んでいることに気づいたという。

「それだけで一冊の本になりそうですし、『ノムラの考え』が凝縮されていたんだなと、あらためて思いました」

一方で池山の代名詞であるフルスイングについては、野村監督から疑問視されていた。

「実は野村監督から直接、『ブンブン丸を封印しろ』と言われたことは一度もなかったんです。あれは監督なりのマスコミに対するリップサービスだったんじゃないかな」

と回想するのだが、

「お前は三振が多すぎる。100個以上三振をするうち、半分をバットに当てて前に飛ばせ。そうすればそのうち何割かはヒットになって打率が上がるし、チームに貢献できる。これからはそういうバッティングを心掛けなさい」

というアドバイスをもらっていた。

◆心底こたえた「マネしたらあかんぞ」

三振が少ないに越したことはない。理屈から言えば野村の言う通りである。バットに当てない限り、ホームランはおろか、ヒットだって打てない。

「けれども三振を減らすために思い切りバットを振らなくなれば、ブンブン丸でなくなってしまう。プロの世界で通用していた、僕の最大の特徴であるフルスイングをなくしてしまうのには、大きな葛藤があったのも事実だったんです」

と池山は当時の心境を吐露する。野球は失敗のスポーツだから仕方がない……という理屈は、野村には通用しなかった。ある試合中に池山が三振してベンチに戻ると、野村はみんなに聞こえるような大きな声で、

「ああいうバッティングをマネしたらあかんぞ」

とボヤいた。これには心底こたえたと池山は話す。結局、1990年は三振数が100へと減ったものの、91年以降124、148と再び増えていくと、野村のボヤキはますますヒートアップして、ことあるごとに「なんとかならんのか」と言われたそうだ。

◆「たった一度だけ」褒められた出来事

そんな池山だが、たった一度だけ、野村に面と向かって褒められたことがあった。97年6月5日に東京ドームで行われた巨人戦のこと。同点で迎えた9回表、池山は巨人の三沢興一からバックスクリーン横にソロホームランを放ち、これが決勝点となってヤクルトが4対3で勝利した。

翌日、試合前の練習を終え、通路で野村監督の横を通ったとき、「おい」と声をかけられると、

「昨日はよう打ったな」

たった一言だけだったが、普段は褒めない野村が褒めてくれたことが印象深く残っていたという。

◆出会えたタイミングが良かった

池山は、こんな考えも持っていた。

「“出会いの順番”って大切なんだなって思いました。もし僕が関根さんよりも前に野村さんに出会ってヤクルトの監督になっていたとしたら、委縮して混乱し、思うような成績が残せていなかったかもしれません。バッターとして一人前になってから野村さんに出会えたからこそ、野村さんの野球を受け止め、さらに成長することができた。これは間違いないと思います」

今のヤクルトの選手たちは、池山が二軍監督時代から指導し続けてきた山野太一、鈴木叶、伊藤琉偉ら、成長著しい若手選手が多くいる。池山自身、関根から学んだ「長所を伸ばす」指導を貫き通そうとしている段階であるに違いない。

2025年10月10日にヤクルトの一軍監督に就任したときの記者会見で、

「選手と一緒に勉強しながら、成長しながら、強いチームを作りたいと思っています」

と話していた。

ゴールデンウィークを迎え、ここから先がヤクルトの強さが本物かどうかの真価が問われてくるが、若さあふれる伸び伸びはつらつとしたプレーを貫き通し、監督と選手が一緒になって、喜びを分かち合う姿をこの先も見続けていきたいと期待している。

<TEXT/小山宣宏>

【小山宣宏】
スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』『オイシックス新潟アルビレックスBCの挑戦』(いずれも双葉社)

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定