玲奈さんの本籍地付近。現在は区画が変わっていた/筆者撮影 2025年2月、大阪府八尾市の長屋からコンクリート詰めされた少女(当時6歳)の遺体が発見された事件。傷害致死と死体遺棄の罪に問われた、少女の叔父の飯森憲幸被告(起訴時・41歳)に、大阪地裁(伊藤寛樹裁判長)は懲役8年の実刑判決を言い渡した。この判決は確定していることが明らかになった。
筆者は、
前編・後編に分けて、悲惨な事件の一部始終を紐解いた。しかし、この裁判で明らかになった事実は、現代社会に課題を残すものでもあった——。
◆19年前に起きた悲劇の全貌
改めて事件を簡単に整理する。事件は約19年前の、2006年12月下旬から翌年1月上旬頃に起きた。被害者は岩本玲奈さん。2000年10月26日生まれで、当時6歳だった。
事件の約3か月前から、玲奈さんの叔父にあたる飯森被告に引き取られ、交際相手のA(死体遺棄の罪で公判中)らと一緒に生活していた。玲奈さんと母親は、飯森被告の父親のB(死体遺棄の罪で不起訴)の家で生活していた。だが、2004年に玲奈さんの母親が消費者金融からの借金を返済するために、働きに出ることに。Bだけでは、玲奈さんを育てきれなかったことから、飯森被告が引き取ることになった。
「かわいい、大好きな姪でした」(被告人質問から・以下同)
しかし飯森被告は、徐々に玲奈さんの生活態度などに嫌気がさしてきた。
「愛情はあるんですけど、(玲奈さんが)いるのがしんどくなってきました」
飯森被告は、玲奈さんに対する苛立ちを抑えきることができず、自宅で暴行を加えて、死に至らしめた。その後、飯森被告の供述によると、玲奈さんの祖父にあたるBから「お前が処理せえ」「コンクリートに詰めようか」と遺体の処理を指示されたという。
八尾市内にあるBの家の2階で、玲奈さんの遺体をコンクリ詰めにして長年放置。それから約18年が経過した2024年11月。飯森被告によると、ふたたびBの指示で、新たに借りた長屋に運んだ。
その後、管理人が不審なコンクリの塊を発見し、警察に通報したことで事件が明るみに出た。
◆同情論を覆す“金銭受領”の衝撃事実
一見すると、飯森被告が玲奈さんの母親やBから翻弄されていたようにも感じる。実際、SNS上では飯森被告に同情する声もあった。しかし、法廷で検察側が強く追及した、“まったく同情できない事実”もあった——。
「『風俗店で働くことは父親に黙っていてほしい』と言っていました。住み込みで働くと聞きました」
そう言い残して、玲奈さんをBの家に置いて一人で家を出て行った母親。飯森被告によると、2〜3か月後に「仕送りをしたい」と連絡がきたという。その後も、何度も会っていたようだ。
「会った時には、お金と(玲奈さんの母親が)玲奈に服や物を買っていて、それを預かっていました」
玲奈さんの母親は、働きに出た後も実の子供を気遣っていたように感じる。そのペースは「2〜3か月に1回だった」とのことだが、その額も明らかになった。
「少なくとも28万円くらいで、多いと80万円くらいでした。80万円は1〜2回です。(玲奈さんに)洋服を買ったり、遊びに行ったり、病院代にしていました」
検察側は、飯森被告の犯行後の悪質性を立証するためなのか、その後も法廷で強く追及する。
「玲奈ちゃんが亡くなった後も、お金は受け取っていましたか?」(検察官)
「受け取っていました」(飯森被告)
◆玲奈さんの写真は「渡されへん」
飯森被告が玲奈さんの母親と会っていた際に、交際相手のAも一緒だったこともあったという。仕送りは2018年頃まで続いた。玲奈さんが生きていれば18歳、成人になる年だった。
飯森被告は、一度も玲奈さんが亡くなっていることを伝えたことがなかった。
「父親(玲奈さんの祖父B)と僕と○○(交際相手A)と3人で内緒にしておこうと約束したので……。父親が会わせるなとも言っていたので」
玲奈さんが死亡する2か月前にも、飯森被告は会っていた。
「(玲奈さんの母親は)毎年、誕生日プレゼントを買ってきて渡してくるので」
「玲奈に会いたい」と飯森被告は懇願されたというが、「会わされへん」と言って断っていた。
「会えないなら写真だけでも」とお願いされたこともあったが、飯森被告は「渡されへん」と断った。
玲奈さんの母親は、この時点で違和感を察したのだろうか。飯森被告によると、それ以上追及してくることもなかったという。最後まで玲奈さんの母親には、実子の命が絶たれてしまった事実を伝えられることはなかった。
◆祖父の影響か、責任転嫁か…供述に残る闇
一方で飯森被告は、死体遺棄事件については不起訴になった「Bの指示によるものだ」と繰り返し供述している。この裁判で、Bの証人尋問は行われておらず、真相は定かでない。
事件当時、「出頭しようと思う」とBに表明していた飯森被告。しかし、さらなるBの遺体処理の指示を断ることはできなかったのか——。その背景には「ネグレクト」が影響しているのかもしれない。飯森被告は明かす。
「母と僕を全裸でベランダに出すと、父親から水をかけられたりしたことがあります」
さらにBも「暴力的な人物だ」と、やや諦めたような口調で若い頃の記憶を振り返る。
「父親も短気な人で怒りのコントロールができないので、手の出し合いになることもありました」
◆少女が“存在しない子”となった衝撃の経緯
「(処理)平成16年9月2日 事実調査による職権消除」(開示文書から)
翻って、この事件は「社会の責任」も浮き彫りにした。
玲奈さんの出生届が提出された八尾市は、居住実態が認められないとして、住民基本台帳から職権で抹消されていた。わずか3歳で、行政上の“存在しない子”とされていたのだ。
住民基本台帳法に基づいた手続きだが、抹消されると、自治体からは健康診断や公立小学校の就学通知などの行政サービス全般が受けられなくなる。
当初は「大好きな姪だ」と感じていた飯森被告。玲奈さんが置かれた状況を案じて「市役所に相談しよう」とも考えたが、結局しなかった。
「相談するところがわからなかったので。父親に(相談するように)言ったことはありました。まとめて一回聞いてくれると約束してくれたんですけど、結局聞くことはありませんでした」
◆飯森被告は「家」という漢字すら書けなかった?
さらに、飯森被告は中学校を卒業しているものの、ほとんど登校しなかったとのこと。それが相談できなかった一因でもあると話す。
「自分は学がないので、字を書いたりするのが苦手で……。(届出などの)手続きするのが苦手という面がありました」
実際、裁判中に法廷のモニターに、飯森被告が手書きした地図が映し出されたが、「家」という簡単な漢字すら書けないのか「○○のいえ」と記載されていたほどだった。
ネグレクトに社会問題など、“負の連鎖”が交錯しつづけた事件。残忍な犯行は、どんな理由があろうと許されない。飯森被告は、最終陳述で「罪を償い、玲奈のことを思い忘れずに生きていきたいと思います」と更生の意欲をみせた。
文/学生傍聴人
【学生傍聴人】
傍聴歴7年、傍聴総数1000件超。 都内某私立大の大学院に在籍中の現役大学院生。趣味は御神輿を担ぐこと。高校生の頃から裁判傍聴をはじめ、有名事件から万引き事件など幅広く傍聴している。その他、裁判記録の閲覧や行政文書の開示請求も行なっている。