'21年「野村克也をしのぶ会」に出席した江夏豊氏(右)。左は江本孟紀氏=神宮球場 写真/産経新聞社
シーズン401奪三振、両リーグでのMVP獲得などの大記録を残し、「プロ野球史上最高の左腕」と評される江夏豊氏。78歳になった江夏氏の最後の書き下ろしとなった書籍『江夏の遺言』(江夏豊・松永多佳倫の共著、小学館刊)が話題を呼んでいる。同書では「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など、球史に残る名場面を振り返ったほか、各球団での衝突と軋轢の真相、さらには引退後に起こした「過ち」からの再起の日々を赤裸々に明かしている。※本記事は『江夏の遺言』から本文の一部を抜粋、再編集したものです。
◆野村克也と朝まで語った野球論
俺とおっさん(野村克也)は隣同士のマンションに住んでいた。歩いて10秒ほどで目と鼻の先。大阪球場でナイターが終わって帰ってきて、互いに部屋で飯を食ってから必ずおっさんの部屋へ行って朝方まで野球談義をするのが日課だった。
おっさんは子ども好きなので、時には俺の部屋に来ては娘を風呂によく入れてくれた。俺は自分の子どもを一度も風呂に入れたことなかったけれど、なぜかおっさんが入れてくれる。娘は佑希子といい「ユッコ、大きくなったらいいもん着さしてもらって、いいもん食わしてもらえよ」と湯船に浸かりながら願いことを叶えるように語りかけていた。ほっといてくれよと思ったものだ。
飯も食って、ひとっ風呂を浴び、おっさんの部屋で試合の検証から始まる。お互いタバコが好きで、俺はショートホープ、おっさんはケント。灰皿はすぐにてんこ盛りとなり、おっさんがせっせと灰を捨てにいったり灰皿を換えたりなどグラウンド以外でも甲斐甲斐しい女房役を見せてくれる。
◆野村克也が予言した「分業化」の時代
ある晩のこと。いつものように灰皿が何回目かの山盛りになったとき空が白々と明けてきた。
ちょうどプロ野球の変革的な話題で盛り上がり、熱を込めて話せば話すほど日本のプロ野球の形がどんどん変わっていかなければならないと思えた。73年にメジャーのアメリカン・リーグがDHを採用。投手が打席に立たずに打撃専門の選手をラインナップに並べることで打撃戦の増加を狙ったのである。これに習ってパ・リーグが七五年に採用する。昔だったら打つだけの選手は二流で、打って守って走れるのが一流選手。今はそうじゃなく、打つだけで守れない人がいっぱいいる。反対に打てなくても守りだけの選手もいて、確実に分業化の波が訪れる気配は感じていた。
1977年の時点で野村克也はそういう時代が必ず来るとボソボソと憎まれ口を叩きながらもはっきりと断言する。
「これからの強いチームは分業化されたチームほど勝ち残っていく」
◆江夏豊を変えた野村克也の“革命”
当時パ・リーグは前期後期制(73年から82年)だった。なんで前期、後期の2シーズン制に分かれたかというと、この時期130試合戦えば2位と20ゲーム差離してぶっちぎりの優勝をしてしまうほどの阪急黄金時代。これではお客さんが面白くないから、半分に割って戦うという形式にしたのが前期後期制。この形式になった今、ピッチャーも初回から最後まで投げ切るのじゃなしに、先発と後半の七回八回九回専門に投げるピッチャーに分業化されていく。そういう時代が必ず来る。だからそれに備えてやってみんか、とおっさんが説いていたときに一拍置いてボソって言う。
「なあ、革命起こしてみんか」
「革命って何ですか?」
革命って単語自体に反応した。
「江夏、お前に二回三回を投げろと言わんから、一回のみを投げるピッチャーになってくれ。新しいピッチャーの分野として革命を起こしてみんか」
何を言ってるんや。そのときは革命ってなんのこっちゃとピンとこなかった。ただ、革命という単語自体には惹かれた。おっさんがいうリリーフの時代を作りたい意味も理解できた。どんな分野でもパイオニアは偉大であり賞賛される。その分、産みの苦しみも付随してくるのは百も承知だ。肩もギリギリの状態だし、心臓のこともある。長いイニングはもう難しいと自分でもわかっている。
オレンジ色の朝日の光がカーテンの隙間からうっすらと差し込み、夜が明ける合図だ。そろそろお開きだ。世間さまの一日が始まろうとする前に俺らはようやく日を跨いで一日が終わり、寝床に就く時間となる。おっさんが満を持した感じで呟く。
「そのコンディション作りに関してはすべてお前ひとりで考えてやってみい」
この言葉を聞いて、自分の中で何か踏ん切りがついた。
「わかりました。やりましょう」
この日を境に俺は生まれ変わる決断をした。
【松永多佳倫】
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て沖縄移住後、ノンフィクション作家に。プロ野球界の重鎮のインタビューをはじめ、スポーツ取材に定評がある。著書に『怪物 江川卓伝』(集英社)、『92歳、広岡達朗の正体』、『確執と信念 スジを通した男たち』(ともに扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。5月15日に江夏豊氏との共著『江夏の遺言』を刊行した。