
米国人の友人と日本各地を旅した。友人は米中西部生まれだが、大自然に魅せられて米最北端のアラスカに移住したサイクリストだ。それだけに、広島県呉市御手洗の休憩所に展示されていた古い自転車に強く引きつけられていた。明治時代、自転車で世界一周をした中村春吉のものという。
120年以上前にそんな冒険家がいたなんて。ペダルをこいで世界を走る彼を想像し、私も胸が高鳴った。
「アラスカに住むまで知らなかった歴史がある」と友人が言う。「アッツ島を知ってる?」
アラスカ州アリューシャン列島の最西端にあり、第2次世界大戦中に日本に占領された数少ない米領土の一つでである。「アッツ島で日本軍の捕虜になってヨコハマの収容所で3年以上抑留された女性がいたのよ」。
初めて聞く話だった。
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1942年6月上旬、日本軍はアッツ島を占領した。北方からの米軍接近を防ぐなどの狙いがあったとされる。
島には先住民アレウト族のほか、2人の白人が住んでいた。小学校教師のエッタ・ジョーンズさんと電気技師の夫である。日本軍は夫を処刑した後、当時62歳だったエッタさんを横浜の捕虜収容所に、45人のアレウト族の人々を北海道の収容所へ連行した。
翌年、島で繰り広げられた日米間の激戦で日本軍は全滅した。大本営は初めて「玉砕」という言葉を使った。米軍側にも多大な被害が出た第2次大戦で最も苛烈な戦闘の一つだった。
しかしこの悲劇は日米両国でほぼ忘れられている。ましてや捕虜になった民間人女性のことは知られていない。
友人は、エッタさんの姪孫、メアリー・ブロイさんが2009年に出版した本を読み、この歴史を知った。日本語版はないが、本のタイトルは「アッツ島からの最後の手紙 アラスカの開拓者で日本軍の捕虜だったエッタ・ジョーンズの真実の物語」と訳せる。エッタさんが残した多数の手紙や手記、写真、書類、現地取材のほか、同じ収容所で抑留されていた元オーストラリア人看護師らの協力も得て書かれた。島に上陸した日本兵たちの様子、パプアニューギニアから連行された18人のオーストラリア人看護師らと支え合って過酷な環境を生き抜く日々などが、細部まで観察する女性の目を通して説得力のある筆致で描かれている。
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エッタさんと看護師ら計19人の存在は、国際赤十字に報告されず秘密にされていたという。奇跡的に全員が生還したが、北海道に連行された45人のうち20人は栄養失調や病気で死亡した。戦後、アッツ島は米軍の航空基地となり、島民は帰還を許されなかった。
ブロイさんは大叔母のエッタさんについて「歴史的に極めて重要な出来事を目の当たりにしたにもかかわらず、謙虚で思いやりがあり、人を温かく包み込むような女性だった」と書いている。
米国に戻った友人と、旅の思い出やアラスカの歴史についてやり取りしていたら、言葉が浮かんだ。「偉大なる普通の人々」。
ふなこし・みか 1989年上智大学ロシア語学科卒。元共同通信社記者。アジアや旧ソ連、アフリカ、中東などを舞台に、紛争の犠牲者のほか、加害者や傍観者にも焦点を当てた記事を書いている。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.23からの転載】
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