
メキシコシティの屋内競技場、アレナ・メヒコを背に決めポーズを取るYUTANI
「CMLLにデビューした2025年3月14日のことは一生忘れません。しかも、興行がいちばん盛り上がる金曜日でしたから。それまでは朝8時から16時まで日本食レストランでバイトし、夕方からジム、その後22時か23時頃までプロレスの練習で、ほぼ休みのない生活を続けていました。メキシコに来て、ちょうど丸8年くらい。僕がプロレスを始めた頃から知っている知人には、『お金がなくてパスタに塩をかけて食べていた少年が、"聖地アレナ・メヒコ"で試合をするようになったんだからね』と驚かれます(笑)。デビューしてからはバイトもやめて、生活も全然変わりました」
そう話すのは、サッカー北中米W杯の開催国のひとつメキシコで、国民的な娯楽であり文化として知られるメキシコ式プロレス、"ルチャ・リブレ(スペイン語で「Lucha=戦い」「Libre=自由」を意味し、直訳すると「自由な戦い」となる)"で昨年のデビュー以来、人気を博している日本人レスラーのYUTANIだ。
1933年に創設されたCMLLは、現存する世界最古のプロレス団体と言われる。約1万6000人収容のメキシコシティのアレナ・メヒコを中心に、興行は週3、4日ほど行なわれ、開催日には多くの観光客や世界中から訪れるプロレスファンでにぎわいを見せている。
青く染めた髪に、顔を走る黒いペイントライン。片目には白いコンタクトが入っている。ルチャ・リブレといえば、まず思い浮かぶのは色鮮やかなマスクマンだが、YUTANIはあえて素顔をさらし、メイクによって「ルード(悪役)」としての存在感を際立たせている。
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マスクマンが主流な中、素顔に派手なメイクを施して大きな存在感を放つ
「僕がCMLLでデビューできるとなったときに、一番考えたのは『どう生き残るか』ということでした。ルチャ・リブレといえば、やっぱりマスクマンのイメージがあり、自分もマスクを使ってみたかった思いもあります。ただ、CMLLには約200人のルチャドール(レスラー)がいて、競争は激しい。コンスタントに試合を入れてもらうには実力はもちろん、人気も必要になってきます。100人いたら90人はマスクマンなので、マスクをかぶってしまうと、ほかの選手と同じになってしまう。だったら僕はアジア人なので、素顔を出しながら顔にペイントした方がインパクトがあるかなと思ったんです」
当初、髪色はピンクだった。だが、CMLLデビューに合わせて青に変えたことがハマったという。最近は女性ファンも増加中で、街中で「YUTANIさんですか?」と声をかけられることも増えたそうだ。
「もしマスクをつけていたら、リングを離れたら誰だかわからないですもんね。実際、マスクマンの選手で、トレーニングジムで会ったら普通の中年のオジさんみたいに見える人もいますからね(笑)」
多くのレスラーがいる中、観客にどうインパクトを残すかを常に考えているという(写真提供/CMLL)
実は、YUTANIが最初に追いかけた夢は、リングではなくピッチにあった。高校までは広島県内の公立高校でサッカーに打ち込み、高校3年の6月、プロになるべくトライアウトを受けに初めてメキシコを訪れたという。
きっかけは、当時メキシコのパチューカでプレーしていた本田圭佑の存在だった。
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「本田選手を小さい頃からずっと尊敬していました。技術面もそうですけど、メンタルの持っていき方とかも含めて。サッカーなら普通、欧州を目指すと思いますが、本田選手がいたことでメキシコで挑戦しようと決めました。まあ、僕と入れ替わるように本田選手は移籍してしまい、メキシコを離れてしまったのですが(苦笑)」
カンクン近郊のクラブ、インテル・プラヤのトライアウトを受けた。
「トップチームには入れなかったんですけど、U-17でやらせてもらえることになりました。それがちょうど2018年ロシアW杯の頃です。当時は1部に上がって絶対プロになってやると思っていました。ただ1年後、またトライアウトで落ちてしまい......。それで、サッカーはもうやり切ったという気持ちになりました」
普通なら、ここで帰国するところだ。
「迷いましたよ。ただ、高校時代からプロレスも好きでしたし、トライアウトの際にお世話になった方に、1度アレナ・メヒコにルチャ・リブレを観に連れて行ってもらったことがあったんです。そのときの衝撃が強烈で......。会場の盛り上がりも凄かったですし、日本とは違う空中戦も多用したスピーディーなプロレスというか。サッカーがダメとなったからといって、メキシコに来て手ぶらでは帰れないという思いもあって、帰国せずルチャに挑むことにしました」
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とはいえ、メキシコでルチャに挑むのは簡単なことではない。日本に空手や柔道の道場が多くあるように、メキシコには街中にルチャの教室がある。インディー団体も含めれば、リングの数は無数にあり、プロとして活躍する選手の多くは、幼い頃からルチャに親しんできた。外国人が身ひとつで飛び込み、成功できる保証などどこにもない。
「最初はCMLLは高嶺の花で、インディーでやっていければ、くらいの感じでした。ただ、キャリアを重ねるなかで、どうせメキシコでやるなら、トップというか、世界でも一番といえる団体であるCMLLを目指すようになりました。そういうマインドは本田選手の影響があるかもしれません」
最初の数年はインディーのリングに上がっていたが、現実は甘くなかった。インディーで結果を残してCMLLに引き抜かれる道もあるが、それは簡単なことではない。そこでYUTANIは、CMLLでのデビューを目指し、2022年頃から月謝を払いながらCMLLのクラスに通い始めた。インディーからCMLLへの移行期には、1年ほど試合に出られず、試合収入が途絶えた時期もあった。それでも、日本食レストランで働きながらジムと練習に通う生活を続け、少しずつ評価を高めていった。
メキシコシティを歩きながら、CMLLデビュー前の下積み時代を振り返ってもらった
ルチャドールを目指す日々で、何がいちばんきつかったのか。そう尋ねると、YUTANIは「食べることですね」と答えた。
「サッカーをやめてプロレスの練習を始めてから、めちゃくちゃ食べました。1カ月で10キロぐらい増やして、次の1カ月でまた10キロ増やして、とか。いっぱい食べることに慣れていなかったですし、きつかったですね。しかも、お金もなかった。だから、パスタに塩をかけて食べていたんです(笑)」
その積み重ねの先にあったのが、冒頭の2025年3月14日、アレナ・メヒコでのCMLLデビューだった。
デビューから1年余り。YUTANIは現在、月に12〜15試合をこなし、金曜のアレナ・メヒコ大会でメインやセミファイナルに出場する機会も増えている。CMLLには多くの選手が所属し、毎週いくつもの興行が行なわれる一方で、コンスタントに試合へ出られる選手は限られる。どの大会に組まれるか、何試合目に出るかは、レスラーとしての現在地を示すものでもある。
「CMLLの面白いところは、試合をやればやるほどお金が増える形式なんです。第1試合からメインに近づくにつれて金額も上がるし、その興行のお客さんの入りも給料に反映される。だからこそ、みんながメインを目指して競争しているんです」
そのなかでYUTANIの武器になっているのが、空中戦だ。代名詞は「ノータッチ・トペ・コンヒーロ」。助走をつけ、トップロープを飛び越え、空中で回転しながら場外の相手に飛び込んでいく。
「自分で言うのもなんですけど、多分、世界で一番きれいじゃないかと思っています」
メキシコのプロレス「ルチャ・リブレ」の最大団体CMLLで、得意の空中戦を武器に闘う(写真提供/CMLL)
サッカーで培った身体能力は、形を変えてルチャ・リブレのリングに生きている。では、かつて本気でプロを目指したサッカーへの未練はないのか。
「未練はないですね。もうやり切ったという気持ちでしたから。サッカーをやっていたからメキシコに来られたし、その経験が今のルチャにもつながっている。だから、サッカーをやってきたことに後悔はまったくないです」
今年、YUTANIの歩みは再びサッカーと重なる。YUTANIによれば、北中米W杯でメキシコを訪れる観光客を意識して、CMLLの興行も増えているという。
現地時間6月20日には、モンテレイで日本代表がチュニジアとグループリーグの第2戦を戦う。その翌21日には、同じモンテレイでCMLLの興行が行なわれ、YUTANIも出場を予定している。
「日程次第ですけど、もし前倒しでモンテレイに入れるなら、日本代表の試合も見に行きたいですね。W杯を見に来た日本の方にも、ぜひルチャ・リブレを見てほしい。サッカーを見て、次の日にルチャを見てもらえたら最高です」
もちろん、YUTANIはまだ満足していない。
「まずはセミ、メインイベントに定着することです。僕は人生でまだ1回もチャンピオンベルトを巻いたことがないので、それが今年の目標ですね」
その先に見据えるのは、日本のリングだ。CMLLと新日本プロレスは提携関係にあり、YUTANIは新日本プロレスのジュニア戦線最高峰ともいえる「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」への出場にも意欲を見せる。ただし、それは自分から帰国して売り込むという意味ではない。メキシコで結果を残し、呼ばれて日本のリングに上がることに意味がある。
「日本でも一回やりたいです。でも、新日本プロレスに呼ばれるまでは、日本に帰らないと決めています」
本田圭佑に憧れ、サッカー選手を夢見て渡ったメキシコ。かつてピッチを追いかけた男は、今度はリングの上で自分の名前を刻もうとしている。
派手な入場で会場を沸かすYUTANI。メキシコシティに住む市民の間でも徐々に名前が定着している
取材・文・撮影/栗原正夫
